國學院大・土方英和 笑顔で卒業、すべてが成長した「最高」の4年間
出雲駅伝初優勝、箱根駅伝総合3位。「歴史を変える挑戦」のスローガンのもと、今シーズン大躍進を遂げた國學院大學。2年にわたり主将としてチームを引っ張ってきた土方英和(4年、埼玉栄)に、この4年間を振り返ってもらった。
ルーキーイヤーに最も早く活躍
埼玉栄高校出身の土方。同級生には館澤亨次(東海大4年)、中村大聖(駒澤大4年)がおり、くしくも今シーズン、3人とも主将を務めていた(中村は駅伝主将)。土方自身、高2のときまでは順調に走れていたというが、高3になると貧血で走れず、苦しい時期が続いた。目の前のことに必死で、大学選びまでは考えられない状態。そんな中でも前田康弘監督が「一緒にやろう」と声をかけてくれたという。
高3のときは目標としていた全国高校駅伝にも出られず、「つらいことだらけ」と振り返る土方。しかしその冬に貧血が改善して走れるようになり、1月の奥むさし駅伝では優勝かつ区間新記録での区間賞。さらに2月の埼玉県駅伝でも好走するなど、完全にいい流れをもって國學院大の門を叩いた。
同学年には高校のときから結果を残していた青木祐人(愛知)、そして浦野雄平(富山商)がいた。だが土方は「負ける気がしなかった」と言う。6月の全日本大学駅伝予選では、1年生で唯一メンバーに入り、10月の箱根駅伝予選会ではチーム内3位。このころから「自分がこのチームを引っ張っていかないといけない」という気持ちが芽生えてきた、と口にする。
陸上の「師匠」、蜂須賀との出会い
当時のエースは蜂須賀源(現・コニカミノルタ)。彼との出会いは土方の陸上への考えに多大な影響を与え、競技をする上でのターニングポイントになった。「努力する姿勢、走り込みの量がとにかくすごかったです。國學院大はもともと走り込むのがチームカラーだと思うんですけど、その中でもずば抜けてて。それぐらいやらないと『やった』って言えないんだなって思いました」。蜂須賀の夏合宿の走行距離は1200~1400kmにもなったという。
「僕たちも基準がそれぐらいになってしまったんですけど、それが本当にいい形に傾いて、4年間できたのかなと思います」。土方をもってしても、蜂須賀の取り組みに追いつくことはできなかった。「すごすぎました」と尊敬の念を持って言う。彼の姿を見て、少しでも真似をしよう、追いつこう、下級生にもそういう姿を見せよう。そう思って走り込みを続けてきた。ちなみに蜂須賀とは、いまでも会い、アドバイスをもらったりする間柄だという。「箱根駅伝前にも『自分らしくやればいいから』って言われて、すごく気が楽になりました」と土方は口にした。
大失敗のちけが、のち「やらなきゃ」
迎えた初めての箱根駅伝。エース・蜂須賀の調子が上がらず、他の上級生も走れていなかった状況で、「主要区間を自分がやるしかないな」と感じていた。3区を任されたものの、区間18位。「大失敗です」と笑う。「とにかく緊張しました。いままでの駅伝とは全然人の多さも違ったし。力を出せずに、ただただつらい21kmになってしまいました」
尊敬する4年生が卒業し、2年目のシーズン。チーム内でタイムも一番速かった土方は、頑張ろうという気持ちから1日80kmの距離を踏むこともあった。「でもそれがもとでけがしてしまい、春から夏のシーズンで出遅れてしまいました」。そんな中、関東インカレ(2部)の10000mで浦野が8位入賞、全日本大学駅伝予選で向晃平(当時4年、現・マツダ)が10000m28分台で走り、「2人が完全に抜けたなと思いました」。結局貧血もあり、7月ぐらいまで走れなかった土方は、とにかく「2人に追いつこう」という気持ちで練習に取り組んだ。
9月、安定して走れていた熊耳智貴(くまがみのりき、当時4年)がけがで離脱。頼れる先輩が抜けて、土方は「自分が本当にやらなきゃ、自分でも引っ張っていかなきゃ」という気持ちになったという。2年目の箱根駅伝は、チームのためというより自分が結果を残し、それがチームに還元されればいい、という意識だった。結果は4区で区間3位。「すごくうれしかったです。(前年の)不安もあったので、『よかった、よかった』と付き添いの人に言いながら泣いてました。プレッシャーから開放されました。1年目とは全然違いました」
土方と前田監督しか知らなかった「3位」の目標
箱根駅伝が終わった閉会式の後、土方はキャプテンに任命された。もともと高校のころから人の面倒を見るのが好きで、指導できるタイプだという土方は、キャプテンだからといって気負うことは特になかった、と振り返る。役割を与えられることによって、周りをより見られるようになった。「全員を見て、チームで強くなろう、という意識が生まれました。走り、生活。気になったところは声をかけたりしました。けがをしやすい人だったら、その部位を把握したり、ということもしてました」。部員それぞれの生活態度のみならず、体の特性まで把握しているというから驚きだ。
箱根駅伝で好走できたことで自信もつき、2月の丸亀ハーフで1時間2分47秒。4月に10000m28分台を出し、関東インカレ(2部)10000m6位入賞と、一気に競技力も上がっていった。3年生のときの箱根駅伝ではエース区間の2区を任された。「レース展開に恵まれていた」と、1時間7分台で好走。さらに自信をつけていく。チームは7位に入り、シード権を獲得した。レース後の報告会で土方は宣言した。「来年は往路優勝、総合3位を目標にします」
1年生のときに、自分たちの代が4年になったら5位を目標にしようと話し合っていた。3年の箱根駅伝前、8位を目標にするとみんなで決めて前田監督に報告しに行ったら、「5位じゃないのか」と言われたという。「いや、今年は8位でと言いました。そうしたら、『じゃあ次の年は3位な』と言われて。その時点で僕の中では3位を目指すしかないなと思ってました」
土方と前田監督しか知らなかった「3位」の目標。その後のミーティングで、チーム全体が5位じゃない、3位を目指せるチームだという意識でまとまった。「でも最初はきっとみんな驚いたと思います」と少し笑う。
「選手層が薄い」評価を覆す下級生の台頭
シーズンを通して、ことあるごとに「箱根駅伝往路優勝、総合3位」の目標を口にし続けた土方。だが実のところは、総合3位よりも往路優勝の方が現実味があるな、と考えていた。「往路は5人だけがしっかりやれば取れるので。まずは上の選手がしっかり走って、その目標に届けばなと思ってました」。事実、土方、浦野の活躍は際立ったが、その他に活躍したのは日本インカレで好走した藤木宏太(2年、北海道栄)、夏の網走学連記録会で10000m28分台を出した青木、島崎慎愛(よしのり、2年、藤岡中央)など。「選手層が厚い」と自信を持って言えない状況だった。
だが上のレベルの選手が好走することで「もしかしたら出雲勝てるかも」という機運がチーム全体に高まっていったと土方は言う。結果的に勢いそのままに、出雲駅伝3回目の出場にして初優勝をつかみとった。そして目標通り、箱根駅伝での総合3位も達成した。
往路を2位で終わった時点で、土方は「3位は取れたな」と思った。それには根拠があった。7位だった全日本大学駅伝の後、上尾ハーフで自己ベストを出す選手が続出し、いままで目立たなかった3年生も台頭してきた。それでやっと、本当の意味でチームが一つになった、と感じ始めたという。「下級生たちが、僕らが2、3年生のときと比べても引けを取らないぐらい走れるようになってきて、単純に『すごいな』って思いました。これだったら区間を任せられるし、これからの國學院を任せられるなと思うほどの走りだなと」。全員のレベルが上がってきているからこそ、復路でも安心できると思えた。
「最後まであきらめない」の本当の意味を知る
「これまでは僕たちがいつも引っ張っていってましたけど、今回ばかりは下級生、特に2年生に助けられたなって思います」。特に10区を走った殿地琢朗(どんじ、2年、益田清風)の名前を挙げる。殿地に襷(たすき)が渡った時点では5位。3位の東京国際大とは1分5秒離された。4位明治大、6位帝京大と4人の集団になったが、殿地はスピードタイプではなく、ラスト勝負に弱い。3位どころか、6位もあり得る。チームに少し諦めムードが漂いかけた。
しかし殿地は猛烈なスパートをかけて集団から抜け出し、3位でゴール。「前に出た瞬間の映像を見たとき、たとえ最後に抜かれたとしても、その姿を見られてよかったなって。その姿に涙が出てきました」。箱根駅伝の映像を見返すこともあるが、自分の走った2区よりも、10区を何度も見てしまうという。
「みんな1回諦めかけてたと思うんです。出雲のときもそうだったんですけど、あのときは自分がアンカーで、『抜くぞ!』としか思ってませんでした。『諦めないこと』ってシンプルで誰でも言えるようなことだと思うけど、出雲も箱根も、『最後まで諦めない』という言葉の本当の重みを知った大会になったと思います」
最高の4年間、新たなステップへのワクワク
卒業後は実業団・ホンダで競技を継続し、マラソンに取り組む。3月1日の東京マラソンが初マラソンとなり、目標は2時間10分切りだ。箱根駅伝後はホンダの奄美大島合宿に参加し、初めて40km走にも取り組んだ。「いままで見たことがなかった景色を見られました。今回のマラソン練習の過程、それからレースで課題を見つけて、(社会人)1年目からしっかり勝負できるようにしていきたいです」
個人としてマラソンでオリンピックを目指すのはもちろんだが、ホンダのチームとして、ニューイヤー駅伝初優勝にも貢献したい、と視線は次なる目標に向かっている。新しいチームには、マラソン前日本記録保持者の設楽悠太がいる。そして同期には東京国際大から伊藤達彦(4年、浜松商)が加入する。この1年で台頭した新チームメイトを新たなライバルと定め、切磋琢磨(せっさたくま)することを楽しみにしている。
改めて最後に聞いた。國學院大での4年間はどんな時間でしたか? 少し考えて答えた。「人間として、競技として、生活面もすべてを成長させてくれた4年間です」。そして「最高でした!」と笑った。
最高の4年間の思い出を糧に、土方は新しいステージへと足を踏み入れる。