アメフト

特集:駆け抜けた4years. 2020

関西3位に躍進の神戸大レイバンズ 個性派キャプテン・中谷建司の4years.

法政大との東京ボウルの試合後、負けてもVサインの中谷(撮影・松尾誠悟)

2019年の神戸大学アメフト部レイバンズは「日本一」の目標に向かって戦い抜いた。関西学生リーグ1部で関西大から11年ぶりの白星を挙げ、王者関西学院大には15-17の惜敗。チーム最高となる27年ぶり3度目のリーグ戦5勝をマークし、3位で全日本大学選手権に初出場した。17年のシーズンは21年ぶりに2部で戦ったレイバンズ。昨シーズンの浮上は、主将のWR(ワイドレシーバー)中谷(なかたに)建司(4年、春日丘)を抜きには語れない。 

12月の東京ボウルの試合後、4回生で記念撮影(撮影・安本夏望)

たった一人でコイントスへ向かう主将

昨シーズンの神戸大には副将がいなかった。関西学生リーグ1部のほかのチームは2人以上の副将を置き、試合開始前のコイントスセレモニーには1チームから3、4人がフィールドの中央へ出て行くのが当たり前となっている。そんな中、神戸大はコイントスのときに中谷ひとりが悠然と歩み出ていく。最初は奇妙にさえ見えた。 

秋のリーグ初戦は近畿大を7-0と辛くも下した。昨シーズンから全日本大学選手権への関西からの出場枠が2から3に増えた。神戸大にとって第2戦の関西大戦は最初の大きな山場となった。9-10で迎えた第4クオーター(Q)早々に逆転し、ディフェンスの踏ん張りで勝ちきった。この試合、中谷が前を向き続ける姿が印象深かった。勝ちが決まると涙を流し、彼がハドルの輪の中で話すと、チームメイトが一気に笑顔になり、盛り上がった。私はその光景からとてつもないリーダーシップを感じた。これでレイバンズは波に乗った。 

最後の東京ボウルの試合前、中谷の背中からのぞいた防具には同学年の選手の背番号が書かれていた(撮影・安本夏望)

幼稚園児のころから大阪府立春日丘高校まではサッカーに夢中だった。神戸大に進学が決まり、「サッカーするか、チャラチャラすんのかな」と思っていた。新入生歓迎の時期に、アメフト部の話を聞いた。入部の決め手について「高校のサッカー部とよく似てて、みんな仲よく真剣にやる雰囲気に惹(ひ)かれた」と話す。そのころは身長168cmで体重が57kgしかなかった。家族や友だちからは「アメフト? 冗談やろ?」と言われた。 

4回生で主将になるまでの自分を振り返り、「真面目じゃなかったです」と認める。チームに対する熱い思いはあったが、遅刻したり、土足厳禁のところで靴を履いたまま着替えたりしていたという。「先輩にタメ口を使うし、態度もよくはなかったですね」と中谷。熱さゆえに遠慮のない口ぶりで、同期の仲間とぶつかり合うこともあった。 

そんな中谷が主将になると決めたのは、3回生のリーグ戦がきっかけだった。全勝という目標を掲げたが、2年ぶりの1部で3勝4敗に終わった。そこで中谷は反省した。「チームのことを考えず、自分が活躍できたら楽しいとしか思ってなかった。自分の中で全勝という目標やチームのことを考えられてなかった」。レイバンズでのラストイヤーに向け、「チームを変える」と、主将になることを決めた。 

関西学生リーグ最終戦の京大戦でナイスキャッチ(撮影・安本夏望)

代々で目標が変わるのはよくないと「日本一」に

主将候補には新4回生の17人の選手から、立候補や推薦で中谷を含め4人の名前が挙がった。ミーティングルームにこもって話し合いを重ね、中谷が人生で初めて主将の大役を担うことになった。QB(クオーターバック)の是澤太朗(東海)は主将候補の一人でありながら、「ケンジの背中を押していきたい」と言ったそうだ。是澤が中谷を強く推薦した理由となったプレーがある。7-35と大敗した3回生の秋の関大戦。中谷は試合終盤のキックオフリターンでボールを持った。そして最後の一人のタックルをかわせず、号泣した。中谷によると「あの試合はレシーバーとしてミスが多くて、それを取り返したかったのに……」という気持ちの表れだったという。あの涙が、是澤にとっては「コイツにならついていける」と思えた瞬間だった。 小所帯の4回生が一枚岩になるため、副将は置かなかった。16人でキャプテン中谷を支えることにした。

チームの目標は「日本一」とした。中谷は常々、毎年のように目標が変わることに疑問を抱いていた。「全員が目標に向かっていれば、代が変わっても目標は変わらない。1部にいるからには『日本一』を狙い続けるチームにしたい」との思いが強かった。1年だけではなく、将来のレイバンズのことも考えての目標設定だった。 

東京ボウルの試合前、集まってポーズをとってくれた(撮影・安本夏望)

中谷についてチームメイトに聞くと、「アイツにとって当たり前の基準は高く、自分に対して厳しかった」と返してきた。日々の練習では誰よりも早くグラウンドに入り、最後までいた。しんどい練習も笑ってやってのけた。アメフトのことを第一に考え、「練習に行けなくなるのは嫌だ」と早々に就活を凍結した。かつてレイバンズの主将だった矢野川源ヘッドコーチも「みんなでやるってことを全面に出してました。みんなを頑張らせることを頑張ってくれた」と、キャプテン中谷を評価する。 

オフェンスリーダーとして近くで見てきた是澤は「いい意味でアイツのチームになった。チームの雰囲気が変わった。いいプレーは4回生みんなで全力でほめる。ダメなプレーは指摘する。3回生まで楽しくなかった練習が楽しくなって、一つのプレーに没入できるようになりました。ケンジのスター性に、みんながついていきました」と語る。 

サッカー経験者の中谷はキッカーもやった(撮影・朝日新聞社)

レイバンズを日本一を目指し続ける集団にできた

全日本大学選手権で関学との再戦に完敗し、目標に掲げていた日本一にはなれなかった。上を目指す戦いが終わり、中谷はこう言った。「5勝できたうれしさより、日本一になれなかった悔しさの方が大きいです。僕というよりも、僕以外の4回生が役割を決めてやってくれたことが、関西3位につながってます。個性を出して、盛り上がるチームをつくれました。4回生の仲間に恵まれて、その代で主将をやらせてもらったのはうれしいです。レイバンズを日本一を狙い続けるチームにできたと思います。来年も、再来年も、日本一を目指して、とにかく日本一になってほしいです」 

お調子者だけど、真面目。昨秋のシーズンを通して、私が中谷を見てきた印象だ。シーズン終盤は、試合前のコイントスに一人で歩み出ていく背番号11が、頼もしく見えた。彼は、神戸大レイバンズが日本一になるための種まきをした。中谷の引っ張った2019年のチームは、いつかレイバンズが高みにたどり着いたとき、ターニングポイントとして触れられるべき代だと思う。

名古屋での試合後、港でチームメイトとポーズ(前列中央が中谷、撮影・安本夏望)

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