大学アメフト

特集:駆け抜けた4years. 2020

コーチに、父に支えられてナンチクは変わった 同志社アメフトQB南竹司

駆け抜けた4years. 2020
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主将の笹尾は南竹について「フットボールにアツくて練習で妥協しなかった」と評した(撮影・安本夏望)

同志社大学アメフト部ワイルドローバーは昨秋のシーズン、関西学生リーグ1部で151分け。6位で近畿大と並び、抽選の末に10年連続の入れ替え戦出場となった。ここで甲南大に35-8で快勝し、1部残留を決めた。同志社の8番をつけたQB(クオーターバック)はこの4年間を思い出し、涙が止まらなかった。 

パスレイティングで関西2位

南竹司(みなみたけ・つかさ、4年、清風)のチームでの愛称は「ナンチク」。身長166cm、体重85kgの体は、小柄なOL(オフェンスライン)にしか見えないが、ラストシーズンはエースQBとして同志社のオフェンスを引っ張った。 

QBをあきらめようとしたほど苦手だったパスで、関西2位の数値を残した(撮影・安本夏望)

QBのパス能力を評価する「レイティング」という数値がある。昨シーズンの関西1部では年間最優秀選手に選ばれた立命館大の荒木優也(4年、立命館守山)が156.75で1位。荒木に次ぐ2位にナンチクが入った。リーグ戦7試合で72回パスを投げ、44回の成功で604ydを稼いだ。パスでのタッチダウン(TD)は五つ。四つのインターセプトを食らった。レイティングは143.38で、関西学院大の奥野耕世(3年、関西学院、141.183位)を上回った。同志社のオフェンスコーディネーターである木目田(きめだ)康太コーチ(法政大)は「まぐれじゃないです。この1年、彼が学生で一番練習したと思います」とナンチクをたたえる。 

大学でQBをやる自信なく、LB転向。1カ月で翻意

父の研志さんは甲南大アメフト部のOB。いまも関西学生リーグの審判を務めている。その影響でナンチクは清風高校(大阪)入学と同時にアメフトを始めた。QBとしてプレーしたが、同志社に進むにあたって「大学でQBやれる自信ないなぁ」と弱気になっていた。 

昨年の甲子園ボウルの中学招待試合で審判を務めた父の研志さん(撮影・安本夏望)

まずはディフェンスのLB(ラインバッカー)に挑戦してみた。たった1カ月で「やっぱりQBがやりたい」とコンバートしてもらった。自信のなさは、パスへの苦手意識の表れだった。4回生の先輩が利き腕の逆で投げたボールの方が、ナンチクがいつもの右で投げたボールより遠くまで飛んだ。「ほんと、恥ずかしかったですね」と笑う。 

3回生になり、QBのパートリーダーになった。その年の同志社は2部での戦いを強いられていた。秋のリーグ戦の京都産業大戦。ナンチクは試合前、相手チームの友だちと談笑していた。それが木目田コーチの逆鱗(げきりん)に触れた。「いい加減にしろよ」とコーチ。そこから、ナンチクは毎日のように厳しい言葉を投げかけられた。「アメフトが嫌いになった。アメフトを見たくなくなった」

入れ替え戦のあと、いろんなことを思い出して涙が出た(撮影・松尾誠悟)

大事なリーグ戦中にもかかわらず、ヘッドコーチに「しばらく休みます」というメールを送り、逃げるように1週間練習を休んだ。「やめよう、とも思いました」とナンチク。踏みとどまれたのは家族のおかげだ。「父が『逃げるな。嫌なことがあっても逃げるな』って言ってくれました。その言葉で最後まで続けようと思ったんです。父のおかげです。父がいなかったら、そこでやめてました」

可能性を信じていた木目田コーチ

木目田コーチが怒ったのも、彼の可能性を信じていたからこそだ。昨シーズンを2年ぶりの1部で戦うにあたり、ナンチクをエースQBとして戦う方針が固まりつつあった。しかし「ナンチクでは無理や」との声が、あちこちから聞こえてきた。それでも木目田コーチは、ぶれなかった。「勝つことよりも、ナンチクが変われるかどうかが大切でした」 

入れ替え戦の試合中、木目田コーチ(左)から指示を受ける(撮影・安本夏望)

昨年1月、ナンチクは初めて木目田コーチに電話をかけた。また弱気になっていた。エースとしてやっていく自信がなく、「スタッフに回りたいと思ってます」と告げた。すると、木目田コーチは「誰がリーダーやるんや? やるか、やらんか自分で決めろ」と突き返した。ナンチクは、この言葉で腹をくくった。「下手くそでもやったる。グラウンドに立って行動で、背中で見せる」と決心。肉体改造に取り組み、全体練習の2時間前からパスの練習に取り組んだ。もちろん居残りでも投げた。これを1年間やり抜いた。「いつまで続くかなと思ってたら、最後まで続けましたね」と木目田コーチ。 

秋のリーグ戦は王者関学との戦いで幕を開けた。0-21の第3クオーター(Q8分すぎ、ナンチクはフィールド中央の奥へ走り込んだWR(ワイドレシーバー)の毛綿谷海都(もめんや・かいと、4年、同志社香里)目がけて、思いっきり右腕を振った。ボールが打ち上げ花火のように高く上がりすぎて、関学のDB(ディフェンスバック)が2人、落下点に間に合ってしまった。 

入れ替え戦で味方のTDに喜ぶ(撮影・松尾誠悟)

打ち上げ花火のようなロングパス

この試合を見守ったほとんどの人が「インターセプト!」と思ったその瞬間、ボールを捕るためにジャンプした関学のDB同士が衝突し、バランスを崩した。その後ろにいた毛綿谷がしっかりキャッチして、エンドゾーンまで駆け抜けた。69ydTDパスになった。「去年の冬休みから、練習で死ぬほど合わせてきました」というパスだった。昨シーズン、ナンチクからエースWR毛綿谷へのパスで奪ったTDは四つ。1年間の努力のたまものだ。 

実はリーグ戦でけがを繰り返し、ナンチクの体はボロボロだった。入れ替え戦は父の出身校である甲南大が相手。父は複雑な思いを持ちながら、息子の背番号である8番のTシャツを着て、同志社サイドのスタンドに陣取った。スターターは1回生のQBだった。第2Q、けがをした後輩と入れ替わりで、この日初めてナンチクがフィールドに入った。落ち着いてオフェンスを率いて快勝。試合後、自然と涙がほおを伝った。父も同じ思いだった。「けがも多くて、痛めてる中で、よく頑張ったと思います。アメフトをやめるか、という時期もあったから、見てて涙が出そうになりました」 

ランではリーグ戦7試合で二つのTD(撮影・安本夏望)

木目田コーチと父が、気づかせてくれた

「自分で考えて行動できるようになり、リーダーシップを持てる人間になれたと思います。あの人がいなかったら、ユルい自分のままでした。選手としても、人としても成長することができて、ほんまに感謝してます」。ナンチクが涙目で木目田コーチへの思いを口にした。 

弱気になったとき、重責を投げだそうとしたとき、木目田コーチが、そして父が、自分の甘さに気づかせてくれた。そして、ナンチクは変わった。

入れ替え戦はけがを抱えながら奮闘した(撮影・安本夏望)

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