陸上・駅伝

帝京大の新主将・星岳、箱根駅伝で目指す2区“最高体験”と過去最高順位

高速レースとなった今年の箱根駅伝で、星は初めて2区を任された(撮影・藤井みさ)

今年の箱根駅伝で過去最高に並ぶ4位だった帝京大は来年、その上をいく「3位以内」を目標に掲げている。過去最高を目指すチームを新主将として支えているのが星岳(4年、明成)だ。中野孝行監督は星に対し「体は小さいかもしれない。でも神さまは我慢する力を与えてくれた」と言う。今年の箱根駅伝はまさにそんなレースだった。

自分とは違い、優勝できる選手になってほしい 帝京大駅伝部・中野孝行監督1
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高速レースとなった2区でジリジリと攻め

前回の箱根駅伝で星は10区を任され、区間賞の快走で2人抜いての5位でフィニッシュ。その勝負強さも評価され、中野監督からは「(次の箱根駅伝で)2区を走ることを心の片隅に入れておけ」と言われていた。実際に「2区でいくぞ」と言われたのは今年の箱根駅伝の10日前。星には喜びと不安があった。「“花の2区”と言われるぐらいで影響力もあるし、チームの代表みたいな感じがありますよね。そこに選ばれたうれしさはありました。ただ、10区間の2番目という序盤で、影響力も大きいというプレッシャーもすごく感じてました」。入念に準備を重ね、本番を迎えた。

1区の小野寺悠(4年、加藤学園)から団子状態での8位で襷(たすき)を受け取る。星とほぼ同時に走り出した青山学院大の岸本大紀(2年、三条)が最初の1kmを2分41秒ほどのハイペースで入り、レースを動かした。星は岸本の背中を気にしながらも自分のペースを刻み、ジリジリと先行ランナーとの差を詰める。耐える走りで一人、また一人と抜いていき、5位で遠藤大地(3年、古川工)に襷をつないだ。

今年の箱根駅伝で1区を走った小野寺(左)は、帝京大に入学したときから競り合ってきた仲だ(撮影・安本夏望)

あこがれてきた2区を走り終え、「自分の役割は果たせた」という思いはあった。しかし、3位と3秒差での総合4位という結果を思うと「アンカーだけじゃなくて、全区間であと一歩足りなかった」と悔しさをにじませた。

村山謙太先輩の走りに魅せられて

星は箱根駅伝を夢見て、高校から本格的に陸上を始めた。中学校では野球部だったが、夏休みから9月の駅伝大会に向けて活動する臨時の駅伝部で走っていた。トラックでのレースはほぼ経験がないものの、仙台市中学校駅伝で1区3位という好成績を残している。その走りが明成高校(宮城)の中村登先生の目にとまり、声をかけられた。「明成の卒業生には村山謙太(現・旭化成)や、池田紀保(現・プレス工業)みたいな選手もいる」という中村先生の言葉が胸に響いた。その中3のときの箱根駅伝で、当時駒澤大3年生だった村山が2区をトップで駆けていた姿は、いまも鮮明に覚えている。

高校時代に星が「忘れたくても忘れられないレース」と言うのが、高2のときのインターハイ県予選だ。5000m予選1組で20番となり、決勝を逃した。「陸上部を強化し始めてから、5000mの県予選で初めて落ちたのが僕だったそうです。僕自身、故障をしてて体調もよくなく、屈辱的な走りになってしまいました……」。その悔しさをバネにして、3年生での都道府県対抗駅伝では宮城県代表で5区を任された。それが初めて経験した全国の舞台だった。

帝京大に興味をもったのは中村先生からの提案がきっかけだ。3年生になる前の春、「練習に参加してアピールしてこい」と中村先生に言われ、緊張しながら帝京大のグラウンドを訪れた。帝京大に対しては「箱根駅伝の常連校」というイメージがあった。「いまの自分の実力でどこまでいけるのだろうか」。そう悩みながらも、箱根駅伝に挑める環境に希望を抱き、帝京大に進んだ。

高校と比べて大学で一番変わったのが練習量と練習にかける時間。走行距離は高校時代の2~3倍にもなった。基本的な練習メニューは中野監督が考えるが、中野監督は選手の自主性を尊重し、多くを語らない。それでも選手一人ひとりとしっかり向き合う。「帝京は部員が70人弱いるようなチームなんですけど、中野監督はちゃんと一人ひとりに声をかけてくれて、ときにはちょっと面倒くさそうな絡みをいろんな選手にしてくれます」。星は笑いながら教えてくれた。

箱根駅伝区間賞で芽生えた自覚

これまでの競技人生で転機になったのは2年生のとき、初めて走った前回の箱根駅伝だ。「いやもう、区間賞をとれると思ってなかったので」と星。アンカーを走ったメンバーのうち、ハーフマラソンのタイムは2番目ではあったものの、区間賞のことは考えていなかった。チームの順位を上げることだけに集中した結果、チームの信頼を勝ち取る走りを見せた。

前回の箱根駅伝はアンカーを走り、笑顔で仲間たちに迎えられた(撮影・松嵜未来)

昨シーズンを振り返ると、箱根駅伝以降の切り替えがうまくできなかったという思いがある。昨年3月の日本学生ハーフマラソンはユニバーシアードの選考も兼ねていた。しかし結果は1時間3分9秒で12位。「惨敗でした」と苦笑い。それでも箱根駅伝で区間賞をとったことで、「チームを引っ張らないといけない存在になったのかな」という自覚が芽生えた。周りの人から期待されていることを肌で感じ、自分に対してより高い目標を掲げられるようになったという。

3年生のときには学年副リーダーを務めていたこともあり、「主将という役職になろうがなるまいが、チームを引っ張りたい」という思いが星にはあった。そして今年の箱根駅伝後、学年ミーティングで主将に決まった。

チーム内にあるのは「3位を逃した4位」

新体制で星は「監督やコーチが何もしなくても、チームの一人ひとりがそれぞれの役割を果たす」ことを理想としている。走りでチームを引っ張るだけではなく、普段の生活でも模範となれるように心がけているのは、「普段の言動がしっかりしてないと説得力がない」という考えからだ。これまで以上にチームの前で発言する場面は増えるが、気負いはない。「僕がキャプテンですけどチームには心強い仲間もいるので、たまには彼らにも任せたいと思ってます」

最後の箱根駅伝でも星(左)は2区を希望している(撮影・藤井みさ)

ラストイヤーは箱根駅伝に全力を注ぐ。今年の箱根駅伝であこがれてきた2区を走れたものの、2年生のときにアンカーを走った前回ほどの衝撃ではなかった。沿道を埋め尽くす観衆の大歓声を受けながらのゴールは「最高」の体験だった。その一方で今年は、レース展開的にも「なんとかしないといけない」という焦りが強かった。だからこそ「最後の箱根ではそれを勝る体験を2区でしたい。あの10区ぐらい楽しめたら、それなりの結果もついてくると思う」と確信している。

今年の箱根駅伝に対し、チーム内には「過去最高タイの4位」ではなく「3位を逃した4位」という思いがある。この悔しさを力に変え、過去最高をチーム力で狙う。

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