甲子園ボウルから半年後、再びぶつかった「青」と「赤」 あの春を振り返る
国内の学生アメフトにおいて、春のシーズンは準備期間だ。本番の秋のリーグ戦に向けて、春のオープン戦や定期戦などで新戦力や新たなコンビネーションを試し、力を蓄えていく。もちろん試合だから負けていいはずはないが、春の試合には結果は二の次というスタンスで臨むチームも多い。そんな春のシーズンに、一生忘れられないような試合を目の当たりにするとは想像もしていなかった。
成長を期待して、関学はQB奥野を送り出した
2018年5月6日、東京・アミノバイタルフィールド。前年12月の甲子園ボウルを27年ぶりに制して学生日本一となった日本大学と、その相手だった関西学院大学との定期戦だ。「青」の関学、「赤」の日大。甲子園ボウルから約半年後の再戦は注目を集めた。関学の先発QB(クオーターバック)は、2回生になったばかり奥野耕世(関西学院)。関学にとってはオフェンスを背負っていく存在になってほしい選手であり、この春の初戦だった4月21日の明治大との定期戦でも先発で出ていた。
関学の最初のオフェンスシリーズは自陣46ydから。最初のプレーは左へのランのフェイクから、右へ向き直った奥野がロールアウト。同じ2回生のWR(ワイドレシーバー)鈴木海斗(横浜南陵)へのパスは、日大の選手にカットされ、失敗に終わった。
サイドラインでカメラを構えていた私は、そのプレーについてノートに記入しようとした。すると奥野が倒れ、反則発生を示すイエローフラッグが投じられていた。カメラでボールを追っていたため、どんな反則なのかは分からなかった。場内には「アンネセサリーラフネス(不必要な乱暴行為)、日本大学91番」とのアナウンスがあった。「宮川か」。前年の甲子園ボウルの終盤、鋭いパスラッシュから関学のパスを手に当て、勝利を決定づけるインターセプトにつなげた。91番と聞いて、DL(ディフェンスライン)宮川泰介の半年前の躍動を思った。
立て続けに3度の反則、退場になった宮川は泣いた
このプレーで奥野が退場し、QBが4回生に交代したため、「結構な強さのヒットを食らったのかもしれんな」とだけ感じた。その1プレー後にまた宮川が反則。さらに1プレー後にも反則。宮川は退場になった。三つ目の反則はしっかり見えた。ボールとまったく関係のないところで関学の選手に向かっていって、何度もぶち当たった。まるで退場を望んでいるかのような行為。ゾッとした。宮川がサイドラインに戻ると、コーチは激怒するでもなく彼のヘルメットを軽くポンポンとたたき、ねぎらうように迎えた。
15年ほど国内のアメフトを取材してきて、序盤も序盤で3度の反則を繰り返し、退場になった選手など見たことがなかった。宮川がけが人を治療するために設置してあるテントに入ったのを確認して、テントに近づいてみることにした。
「泣く91、40なぐさめ」。当時の私のノートには、こういうメモが残っている。テントに近づくと、男の泣く声が聞こえてきた。宮川が低く叫びながら泣いていた。隣で同じポジションの選手が宮川の背中をたたくようにして、何かを話しかけていた。私はすぐに関学側のサイドラインへ移動して、テントの入り口からのぞく宮川の丸まった背中を撮影した。
試合は21-14で関学が勝った。奥野は後半から再び登場したが、目立った活躍はなかった。試合後、関学の鳥内秀晃監督(当時)は「もっと奥野を試したかってんけどな。あんなもん、1回目(の反則)で退場ちゃうの? あれはおかしいで」と語った。でも、その口調はそれほど強くはなかった。実際のところ、鳥内監督自身もオフェンスの最初のプレーで奥野が受けた反則がどんなものだったのか、把握していなかった。
SNSで広まった衝撃的な映像
その日の夕方、SNSで衝撃の映像が広まった。延々とテレビのニュースやワイドショーでも流れたので、アメフトファンの方でなくても覚えていると思う。プレーが終わって2秒も経ったあとの無防備なQBに対する、あの背後からの体当たりだ。プレーを止めるためのものではないから、決して「タックル」ではない。
それ以降の出来事については、改めて触れるまでもない。新体制になった日大は甲子園ボウルを狙える関東大学リーグ1部TOP8に戻ってきた。そしてこの春、宮川は卒業し、強豪の富士通フロンティアーズに入った。奥野は関学のエースQBとして最終学年を迎えた。
この冬、3年ぶりの「青」と「赤」の対決なるか
日大に負けた2017年の甲子園ボウルに出ていた関学の新4回生から、「最後の甲子園ボウルは絶対に日大とやりたいです。あいつらに勝って終わりたい」との言葉を聞いたことがある。もちろん、奥野も同じ思いだろう。
今年の春の試合はすべて中止となり、秋の本番もどうなるか分からない状況だ。それでも「青」は「赤」を意識し、「赤」は「青」を意識して、いまを生きる。