「由伸2世」、四国からの野球熱 徳島インディゴソックス・谷田成吾代表の挑戦
慶應義塾大学野球部時代に「由伸2世」と呼ばれた元スラッガーが、四国で新たな挑戦を始めた。26歳で独立リーグ、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスの球団代表に就任した谷田成吾(やだ・せいご)さん。プロ野球巨人で活躍した大学の先輩、高橋由伸さんの後に続くことはできなかったが、新型コロナウイルスの影響でアイランドリーグの開幕も延期となる中、次々と改革の手を打ち、野球熱を地方から盛り上げようと奮闘している。
知恵を絞り、次々に新アイデアを打ち出す
徳島は2005年のチーム創設以来、赤字の年がほとんど。そういう状況を好転させるべく、若き代表は2019年暮れに就任すると、矢継ぎ早に手を打ってきた。その一つが、3月に予定されていた開幕2連戦の観客動員を目標にした「1万人動員プロジェクト」。話題性を高めるため、高橋先輩らをゲストとして呼ぶことに。費用約200万円はクラウドファンディングで集めてみせた。
「うちはお金も人も足りない」。球団職員はわずか4人。営業や選手への同行で忙殺される。そこで本業は別に持ちつつも、球団に協力してくれる人を集めてチームを立ち上げた。メンバーは谷田代表が声をかけ、応じてくれた20代中心の16人。ほとんどが徳島県外在住で、デザイナーやテレビ局員らもいる。「お金では還元できないが、球団の運営に携わることができる、経験値を得られる。様々なモチベーションで協力してくれている」
4人の球団職員、協力してくれる方に集まってもらいチームに
彼らのスキルを生かしたSNS発信や動画製作を球団の強みにしようとしている。Instagramには、スポーツ新聞風の迫力ある画像を投稿した。YouTubeなどの動画撮影は徳島で行うが、企画や台本、編集は県外メンバーが担当することも。「その場にいなくてもできることはたくさんある」。選手たちが動画に登場し、自治体の農産物をPRする企画もある。
谷田代表の行動を貫くのは「持っているもの、いまあることで何ができるか。立ち止まってどうしよう、ということはない」との信念だ。その背景には、自身の「つまずきしかない」という道がある。
慶應高校時代から注目されたスラッガー
埼玉県川口市出身。約1時間30分かけて慶應義塾高(神奈川)へ通ったが、甲子園出場はならなかった。それでも、3年時には高校日本代表に選ばれ、横浜で開かれたアジアAAA選手権に出場。全5試合で打点を挙げ、日本の優勝に貢献した。慶應大では、高橋さんの背中を追い、同じ強打の左打者として東京六大学通算15本塁打を放った。同期で日大三高(東京)時代に全国制覇した横尾俊建(現日本ハム)らと活躍しながら、4年の秋にはNPB(日本野球機構)のドラフト会議で指名漏れ。その後は社会人野球、渡米して8球団のトライアウト受験、四国IL徳島入り。あらゆるルートからNPBの選手を目指したが、果たせなかった。
「自分に失望することはある。でもそれをとやかく言っても仕方ない」「プロを目指して、やれることはやった」と徳島のユニフォームを脱いだのは18年。都内のIT企業に就職した。引退後も球団オーナーとの交流は続き、集客を増やすためのアイデアは伝えていた。それが大きなイベントをしたり、SNSでの発信を強めたりすることだった。19年夏、オーナーから「実際、それを現場でやってくれないか」と代表就任を打診された。
プロ野球選手が伝えられること その思いを持ち続けたい
IT企業で数年働き、起業するつもりでいた。迷ったが、「人の暮らしを豊かにすること、子どもに夢を与えることがプロ野球の選手の存在意義だと思って、目指していた。なれなかったが、その思いは持ち続けたい」。徳島に戻った。
開幕の見通しは立たない。周囲からは「就任1年目から持っていないね」と言われる。「ドラフトにかかると言われて落ちて、米国でもトライアウトに落ちる。ずっと持っていない。でも、なかなかできない経験ができている」。そう話す谷田代表の表情は暗くない。「今季、試合ができないという最悪のパターンまで想定して、どう収益をあげるかを考えています」。これまで通り、逆境でも前向きに動き続けている。