ラグビーU20日本代表の系譜 活躍と苦悩 将来見据えどう戦ってきたか
大学生ラガーマンが世界の舞台で戦い、日本代表への登竜門的な位置づけになっているのがU20(20歳以下)日本代表だ。早生まれの大学3年生、そして大学2年生、1年生、ときには飛び級で高校3年生が選ばれる場合もある。
残念ながら6月下旬からイタリアで開催予定だった「ワールドラグビーU20チャンピオンシップ 」(U20世界選手権)は新型コロナウィルスのため中止になった。2年ぶりにトップカテゴリーに復帰した日本代表の活躍は、持ち越しに。そこで、昨年のワールドカップ(W杯)で日本の8強入りにもつながった、過去の若き代表たちの活躍と苦悩を振り返りたい。
田中史朗、畠山健介らが引っ張って7位に
ラグビーのU20世代の世界大会は2008年に始まった。W杯や7人制 W杯に準じる国際統括団体のワールドラグビー(前IRB)が重視する国際大会である。それまではU19ジュニア選手権とU21ジュニア選手権が行われていたが、U20の大会へと統合された。
U19ジュニア選手権時代に思い出されるのは、04年3~4月に南アフリカで開かれた大会で、キャプテンのSH田中史朗(当時・京都産業大1年→2年)を筆頭に、PR畠山健介(仙台育英高→早稲田大1年)、FB五郎丸歩(佐賀工高→早稲田大1年)、NO.8堀江翔太(島本高→帝京大1年)、WTB山田章仁(小倉高→慶應義塾大1年)らW杯日本代表に成長する選手も参加し7位決定戦でスコットランドに28-22と逆転勝ち、ジュニア世代では最高の7位の成績を残した。だが、その後は若きジャパンは思うような成績を残せなかった。
U20への挑戦はリーチから稲垣らへ
大会カテゴリーが変更され、U20世代の最初の世界選手権は、08年6月にウェールズで行われた。薫田真広監督が率いた日本には、キャプテンのNO.8マイケル・リーチ(東海大2年)、FL/LO村田毅(慶應義塾大2年)やCTB笹倉康誉(関東学院大2年)らのちに正代表で活躍する選手らも参加。最終戦でアメリカに勝ったが、16チーム中15位に終わった。
日本で開かれた2009年は15位に
翌09年の大会は日本で行われたこともあり、覚えているファンも多いはずだ。日本からは主将を務めたHO/FL有田隆平(早稲田大3年)や関東学院大に入学したばかりのPR稲垣啓太らが出場した。ただ、イングランド、サモア、スコットランド、イタリアと立て続けに敗れ、ウルグアイに54-17で勝利したが、前回と同じ15位に終わった。
10年からトップカテゴリーの「U20世界選手権」に出場できるチームが16から現行の12チームに減ることになった。09年15位だった日本は下部大会にあたる「U20ジュニアワールドトロフィー(JWT)」に自動降格して、再スタートを切ることになった。この下部大会で優勝したチームのみ、その翌年に「世界選手権」へ昇格できるというわけだ。
あと一歩で昇格、逃し続ける厳しさ
下部大会のJWTで日本はかなり苦しんだ。10年大会(ロシア)では決勝でイタリアに7-38で敗れた。11年大会(ジョージア)でも決勝でサモアに24-31、さらに、12年大会(アメリカ)も決勝でアメリカに33-37で惜敗と、あと一歩のところで昇格を逃し続けた。さらに13年大会(チリ)は初めて決勝に進めず、3位決定戦でもチリに敗れ4位という憂き目を見た。
松田主将で悲願のトップカテゴリーへ
やっと優勝できたのは14年、沢木敬介ヘッドコーチ(HC)体制下だった。香港で行われたJWTの決勝でトンガに勝って優勝、翌年のU20世界選手権への昇格を決めた。この頃になると、日本代表のエディー・ジョーンズHCやマルク・ダルマゾ・コーチのU20代表への指導などもあり、下部大会のチームの中ではスクラムの強さが際立っていた。14年のU20代表には、主将を務め19年W杯に出場したSO松田力也(帝京大2年)や19年大会直前までW杯代表を争ったHO堀越康介(帝京大1年)らが名を連ねた。
エディーHCらも若手育成へ尽力
15年の若き代表は、6年ぶりのU20世界選手権、つまりトップカテゴリーへの参戦となった。大学2年になったHO堀越がキャプテンを務め、東海大1年だったNo.8テビタ・タタフとCTB/WTBアタアタ・モエアキオラらも参加し、順位決定戦でサモアに29-12で勝利し10位に踏みとどまり、残留を果たした。
モエアキオラが活躍、いったりきたり
16年大会も引き続きU20日本代表は世界選手権に参戦した。WTBモエアキオラが南アフリカ戦でのハットトリックを含む計6トライを挙げてトライ王になる快挙を達成した。しかし、南アフリカ、フランス、アルゼンチン、フランス、イタリアと5連敗を喫し、最下位の12位で再び降格となった。
どうすればトップに定着できるのか
17年は3年ぶりの下部大会だったが、今季、明治大の主将になったLO箸本龍雅(1年)らの活躍もあり、ポルトガルを破って優勝、最短でU20世界選手権へ返り咲けた。翌18年の世界選手権では今年、サンウルブズでも活躍したCTBシオサイア・フィフィタ(天理大2年)をはじめ、慶應義塾大の主将になったLO相部開哉(2年)、日体大に入学したばかりだったWTB/FBハラトア・ヴァイレアらが参加。ウェールズに17-18、ジョージアに22-24、アイルランドに33-39など互角に戦いながら最下位で残留できなかった。
昇降格を繰り返す中、19年は再び下部大会決勝でポルトガルを35-34で下した。日本はリードを許して折り返したが、終了間際にFB河瀬諒介(早稲田大2年)がトライを奪い、SO福山竜斗(近畿大2年)がゴールを決めて逆転し逃げ切った。今年、日本は有望株がそろい、トップカテゴリー残留さらに最高順位が期待されていたが、大会は中止、夢は来年へ持ち越された。
ワールドカップ代表も続々、誕生
U20日本代表を経てW杯まで経験した選手となると、08年大会のリーチを筆頭に、PR三上正貴(東海大2年)、SO山中亮平(早稲田大2年)、続く09年大会に選出されたPR稲垣、SO/CTB立川理道(天理大2年)らが挙がる。
さらに、11年の下部大会に出場したSO中村亮土(帝京大2年)、12年大会はHO/FL坂手淳史(帝京大1年)、LO/FL徳永祥尭(関西学院大2年)、SH流大(帝京大2年)、12年大会から3大会連続で出場した松田(伏見工高3年、帝京大1年、2年)へ続く。13年大会に出場したLO姫野和樹(帝京大1年)や14年大会で力強かったPR具智元(拓殖大2年)も。再びトップへ昇格した15、16年大会に参加したモエアキオラも昨年のW杯日本代表に入った。
リーチ「世界と戦う力はあった」
のちに日本代表の主将になるリーチが、08年のU20世界大会を通じ、「世界のチームと戦って、厳しさや激しさやうまさがはっきりわかった。みんな世界の強さとはどんなものかがわかった。この大会では相手選手はプロかセミプロで、日本代表は学生。それでもU20日本代表は世界と戦う力はありました」と振り返ったように、U20日本代表に選ばれ、世界の舞台で戦ったことは大学生にとり、将来に向けいい経験になることは間違いない。
日本ラグビーとしてはこの世代がU20世界選手権で戦い続けることが、シニアの日本代表の強化に直結する。そして、現在の大学1年生、2年生の早生まれの選手は、秋から始まるだろうリーグ戦、全国大学選手権で結果を残し、U20日本代表に選ばれ活躍することが桜のジャージを着て、W杯に出場する道へとつながっていく。