準硬式野球

日本大学が全国大会の代替大会でV 準硬式の関東サマーチャレンジ杯

優勝を決めマウンド付近で喜ぶ日本大学の選手。左端は二塁の守備から駆け寄る石田主将(撮影・すべて森田博志)

大学準硬式野球の関東上位校による「KANTO JUNKO BASEBALL SUMMER CHALLENGE CUP」が8月24~28日、東京都内で行われ、決勝で日本大学(東都)が7-4で早稲田大学(東京六)を破り、優勝を果たした。3位決定戦は中央大学(東都)が5-4で明治大学(東京六)を下した。この大会は、新型コロナウイルスの影響で中止になった全国大会の代替大会として関東地区連盟が開催した。

先頭打者の石田主将が引っ張る

4年間の、いや、野球人生の集大成をかけた第1打席だった。

決勝戦の一回。日大の主将で1番打者、石田崇人(4年、日大東北)は初球を振ろうと決めていた。「ここが集大成の大会。先頭打者としてチームを乗せるのが僕の責任」。言葉通りの初球攻撃は中前安打になり、そこから先制の2点が入った。

主将の安打から奪った先取点に、ベンチは一気に勢いづく。一つのプレー、一つのアウトに選手たちは大きな声を張り上げ、拳を突き上げ、雰囲気は最高潮に。四、六、八回と効果的に追加点を奪い、最優秀投手に輝いた山﨑章雄(4年、日大鶴ケ丘)が7回まで粘り強く投げて完勝。歓喜の輪を作った選手たちの目には光るものがあった。昨夏、全日本大学選手権を制して35年ぶりの大学日本一になった早大は一歩及ばなかったが、打率.538の関大輝(3年、江戸川学園取手)が最優秀打者となった。

準決勝の明大戦では完封し大会3勝を挙げた日大の山﨑

「自分の中では仕方ないと思いつつも、どこにもぶつけられない悔しさがありました」

日大の石田がそう振り返るのは春先。出場を決めていた8月の全日本大会が中止になったことだ。準硬式はほとんどの選手が卒業後は野球の第一線から離れ、一般企業に就職する。全日本大会を最後に「引退」する予定だった石田たち4年生にとっては、まさに野球人生最後の真剣勝負の場が新型コロナウイルスによって一度は奪われた形となった。

最優秀打者賞を獲得した早大の関

一度はあきらめた晴れ舞台

それが約1カ月前にこの大会の開催が決まり、「もう一度再出発でチームを仕上げました」。日大東北高(福島)時代は背番号2桁の主将だった石田。「同じように高校時代は控えだった選手も多い。組織力で負けないようにとやってきました」

大学の準硬式野球部の多くは、監督やコーチが毎日練習に来るわけではなく、平日は学生主体で練習メニューを考える。だからこそ、石田は一人ひとりの「人間力」とチームとしての「組織力」が大切だと説く。日大は自粛期間中もオンラインでのミーティングを欠かさなかったという。その成果が、ベンチの盛り上がりに表れていた。

七回に果敢な走塁で追加点を狙ったが、本塁タッチアウトの石田。泥臭くチームを引っ張った

4年生にいい思い出を、と米崎寛監督らの配慮もあり、この大会に向けてユニホームを新調。胸の文字と袖のラインに使った赤色は「情熱の赤」だと石田は言う。まさに、主将の熱い心が今年の日大のチームカラーとなっていた。

文武両道の集大成

石田は大学で準硬式野球部を選んだ理由を「文武両道ができるから」と説明する。商学部で環境経営学を学び、すでに建設会社への就職も決めている。「卒業後は草野球程度ですかね」と涙目で笑う石田にとって、最高の「集大成」となった。

一回表日大2死満塁、左前へ先制2点適時打を放つ丸岡

一回2死満塁で先制2点適時打を放った日大・丸岡麟太郎(2年、宮崎日大)
「4年生を勝たせてあげたかった。初戦の同じような場面でチャンスをつぶしていたので、強い気持ちがあった。この大会では試合前に(石田)崇人さんらと近くの温泉に行き、いろんな話をさせてもらって仲を深められたことがよかった」

in Additionあわせて読みたい