野球

山形大医学部準硬式のエース金原広汰、仙台一高で目指した甲子園と医学部現役合格

金原は身長180cm、体重80kg。高校時代は140kmの直球を投げ込んだ。準硬式の球にも慣れ、エースとして活躍している(すべて撮影・松橋隆樹)

山形大医学部の準硬式野球部に2018年春、頼もしい即戦力がやってきた。3度の甲子園出場がある仙台一高で、1年生の秋からエースとして活躍した金原広汰(2年)だ。140km近い速球を持ち、打撃も勝負強い金原のおかげで、チームは昨春の東北地区1部リーグで4位へ浮上。負けん気の強さや、努力する姿勢もほかの選手のお手本となっている。野球少年のころから実践している文武両道への思いを聞いた。

「医学部準硬」を探る~山形大医学部 さまざまな野球人生、認め合って成長

勉強も野球も100%でやりきる

金原が強い口調で言いきった。「文武両道って言葉が嫌いなんですよ」

宮城県屈指の進学校・仙台一から現役で山形大医学部に合格。野球では1年生の夏からベンチ入りし、その秋にはエースに。甲子園出場は果たせなかったが、「最速140kmの本格派右腕」として野球専門誌にも載った。まさに「文武両道」を地で行く男だ。しかし本人は首を横に振る。「ちょっと……。調子に乗った言い方に聞こえたら、すいません」と前置きし、持論を展開し始めた。

「文武両道っていう言葉が、最近軽く使われてるように思うんですよね。両道って言ってるけど、どっちも中途半端にやってるように思えて」

確かに。「文武両道」というと、どちらもバランスよく頑張る、という印象が少なからずある。「学業50:部活50」。数字にするならそんなイメージか。「自分の場合は『100:100』。勉強も野球もどっちも妥協したくないんです。誰が見ても『あいつ頑張ってるな』と思わせたくて。高校時代はとくに意識して頑張ってました」

「WBCで日本が優勝するのが一番だと思います。10年前、かっこよかったですもん」。一ファンとして、近年の野球人気低下を案じる

両親が医師、姉が薬剤師という環境で育った。「勉強をしないヤツに部活をやる資格はない」が金原家のルールで、小中高は学習塾に通いながら野球に打ち込んだ。仙台一は過去3度の甲子園出場があり、ナイター付きの専用球場もある伝統校。練習は決して楽ではなかった。夕方4時半からの全体練習のあとに自主練をすると、帰宅は夜10時を過ぎることも。毎朝1時間の朝練習も欠かしたことはなかった。通学時間を利用して、地下鉄の中で毎日勉強したことも、いまでは懐かしい。

「負けず嫌いなんですよね(笑)」

甲子園と医学部現役合格。どちらも本気で目指した3年間を誇らしげに語った。

ライバル仙台育英、抑えられなかった西巻

高校時代、どうしても倒したかった相手がいる。仙台育英だ。高1の秋、高3の春と夏の3度対戦し、3度とも負けた。当時の仙台育英には、のちに楽天からドラフト7位指名を受ける西巻賢二がいた(昨年11月14日に千葉ロッテの入団テストに合格し、移籍が決定)。1年生のときに甲子園デビューしていた西巻は、全国的にも有名だった。金原にとって、最も燃える打者だった。

「西巻君には3年間で2回くらいしかアウトを取れなかったんです。高3の夏はインコースを攻めたら根っこで引っ張られてファウルにされたので、もう1球いったらそれもファウルで。外に甘く入った球を打たれてお手上げでした。その夏は仙台育英が宮城大会で優勝。ここを倒さないと甲子園には行けない。3年間、いちばん意識していた相手でした」

キャンパス内に照明付きの専用グラウンドを持つ。約3時間の練習を平日に週3回

プロ1年目から1軍デビューを飾った西巻や、大学野球界では有名な大学全日本候補の本格派サウスポー、筑波大の佐藤隼輔(2年、仙台)など、活躍が気になる同級生たちがいる。ネットなどでマメに記事をチェックしながら「負けてられないな」と、燃えるそうだ。金原の学力があれば、東京六大学に進んで神宮での活躍を目指す道もあったかもしれない。しかし夢のために医学部進学を選んだ。準硬式野球部に入ったことに後悔はない。

1年目から投打に活躍し、昨春は過去6年間下位だったチームを4位(8チーム)までに押し上げた。秋には2年連続で「東北選抜」に選出され、大学準硬式三大大会の一つ「全日本9ブロック対抗戦」にも参加。準硬式のボールは硬式に比べて球速が出にくいと言われているが、「卒業までに最速145kmを出せるように頑張りたい」と意気込む。悲願のリーグ優勝、その先の全日本大会出場へ、チームを引っ張るつもりだ。

来世は野球漬けの人生!?

「生まれ変わったら……」。取材の最後に、金原はこんな興味深い話もしていた。

「小4で野球を始めて、楽天のスクールにも通って、夢はプロ野球選手でした。でも高校生になって医者の夢が浮かんだとき『医学を学びながら野球はできるけど、野球にどっぷりはまったら医者への道は遠くなるな』と思ったんです。だから、生まれ変わったら野球漬けの人生を送り、名門私学に入って甲子園にいって、プロ野球選手を目指したいです(笑)」

“来世の夢”を語る金原がほほえましかったが、いまはとにかく「100%の文武両道」を6年かけて貫き通すつもりだ。

金原の趣味は旅行。このパーカーはオリックスのキャンプ(宮崎)を見に行った際に購入

山形大学医学部準硬式野球部
1975年創部。東北地区大学準硬式野球連盟所属。佐藤慎哉部長。矢野充泰監督。永瀬智顧問。嶋村清州主将(3年、膳所)。部員数=選手19人、女子マネージャー19人。主な成績=2011年東医体優勝、清瀬杯(全国大会)出場。

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