中央大学の五十幡亮汰、球界一の韋駄天が迷わず追い続けた道
中央大学の五十幡亮汰外野手(4年、佐野日大)も、10月26日のドラフト会議で指名を待つ1人だ。中3の夏、全日本中学校陸上競技選手権大会の100m、200mでサニブラウン・ハキームを破り陸上競技の強豪校から誘いを受けた。それでも、子どものころからの夢を追い続けた。球界No.1の韋駄天と呼ばれるまでになり、自信をもって指名を待つ。
「不安より期待の方が大きいです」
「ドラフトが近づくにつれて意識もしますし、ドキドキ、ワクワクしています。不安ももちろんあるんですけど、期待の方が大きいです。今までやってきたことを、あとはスカウトの方が評価してくれるだけなので、自分がやってきたことを信じて、自信を持って胸を張ってドラフト会議当日を迎えたいと思っています」
ドラフト会議まで一週間と迫った日、五十幡は落ち着いた口調でそう話した。
NPB(日本野球機構)の選手の中に入れても五十幡のスピードはトップクラスと言える。内野ゴロの際の一塁到達タイム(バットがボールを捉えてから一塁ベースに達するまで)は、プロでも4秒を切れば俊足と言われるが、五十幡は常時3秒台で駆け抜ける。本塁から一塁までの距離は27.43m。セーフティーバントの際には3秒5という驚異的な数字をたたき出しスカウトをうならせる。
今、NPBで最も速い選手と言われている周東佑京(福岡ソフトバンクホークス・外野手)のバントヒットの際の一塁到達タイムは3秒6前後だ。周東をも上回る五十幡のスピードは相手投手、相手野手にとって大きな脅威となる。
大学球界屈指の守備力を誇る國學院大の遊撃手・小川龍成(4年、前橋育英)も「五十幡は速過ぎて、守っていて本当に嫌です。(ショートゴロを)ちょっとジャッグルしたり待って捕ったりしたら、もうセーフになるんで。ランナーに出したら厄介ですし」と五十幡が打席に立ったとき、走者として出塁したときの緊張感について話す。
大学3年の春ごろまで五十幡は盗塁時のスタートをやや苦手としていたが、一流選手の盗塁の動画を見て研究し改良に取り組んだ。3年秋には11試合で9盗塁を決めた。今秋リーグ戦でも厳しいマークを受けながら、第3週までの6試合で3盗塁を決めている。
全中で2冠、東京国体の4継で優勝
埼玉・長野中時代は東京神宮リトルシニアでプレーしながら、学校の部活動では陸上競技部に所属した。2013年、全日本中学校陸上競技選手権大会の100mを10秒92、200mを21秒81でサニブラウン(当時、東京・城西大城西中)らに先着して2冠を獲得したのはすでに有名な話だ。その秋の東京国体では成年少年共通男子4×100mリレーに埼玉代表として出場し優勝を果たしている。五十幡は第1走者で、埼玉のアンカーは藤光謙司だった。長野代表に塚原直貴、熊本代表には江里口匡史、末續慎吾と、日本を代表するスプリンターが同じレースを走った。
「藤光さんとはアップとかをやりながらよく話をしました。『陸上やれよ』みたいに藤光さんは言ってくれたんですけど、自分が野球を頑張っていることも知ってくれて、応援してくれました」
高校進学の際は陸上競技の強豪校からも誘われたが、子どものころからの夢であるプロ野球選手という目標が揺らぐことはなかった。そこには、小3のときに病気で他界した母・恵子さんへの思いもある。
「母は自分が野球を始めたころ、一生懸命頑張っているところを応援してくれて、一緒にプロ野球を見たりもしていました。もし陸上を続けていたらどのぐらいまでいってたのかなっていう興味はありますけど、進路としての迷いはなかったです」と五十幡は言い切る。
小1で野球を始めたころのヒーローはイチローだった。大リーグやワールド・ベースボール・クラシックで活躍するイチローのプレーをテレビで見て胸を躍らせた。
「自分の一番の強みは足。足を生かした攻撃、守備をアピールしていきたい。走るだけの選手ではなくて、走・攻・守で活躍できる選手、スタメンでフル出場できる選手になりたい」と五十幡は言う。現役選手の中で目標にしているのは秋山翔吾(シンシナティ・レッズ)、青木宣親(東京ヤクルトスワローズ)だ。
スピードだけが自分の売りではない。足の速い選手はバットに当てて足で内野安打を狙う「走り打ち」になりがちだが、五十幡は常にバットを強く振る意識を持っている。大学でもリーグ戦でここまで2本塁打を放っている。センターから見せる強肩も大学球界トップクラスとの評価を受ける。
苦しんだ高校3年間を経て大学で躍進
中3の夏以来、五十幡の名前の前には常に「サニブラウンに勝った男」のキャッチフレーズがついてまわった。栃木・佐野日大高へ進学し甲子園を目指したが、目標を果たすことはできなかった。野球で結果を出すことができなくても、「サニブラウンに勝った男」はたびたび野球雑誌や新聞に取り上げられた。
「そう言われることは刺激になりますし、注目していただけるのはありがたいんですけど、高校のころは自分、納得いく結果は出ていなかったので、注目されるほどではないのになぁ……と思うこともありました。野球選手としては、もしかしたら自分は厳しいのかなと悩んだ時期もあったんで。高校3年間は苦しかった、つらかった時期ではありました」と五十幡は苦しんだ3年間を振り返る。
高3の秋にもプロ入りの話はあったが、「そのころはプロに飛び込んでやっていける自信がありませんでした」と五十幡は話す。
中大では1年春からレギュラーを獲得。2年秋、3年秋とベストナインに2度選ばれた。2年の春秋には連続で苦しい入れ替え戦も経験した。3年秋にはリーグ優勝にも貢献。冒頭の言葉通り、胸を張ってドラフト迎えられる実績を残した。日本球界を代表するスピードスターに、吉報は届くか?