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近大Vの関西学生バスケ、やりきった学生委員の奮闘 1~4部をリーグ戦で実施

関西学生バスケ連盟の学生委員ミーティングで指示を出す柴田委員長(撮影・すべて小俣勇貴)

バスケットボールの関西学生リーグ1部は近畿大学の優勝で幕を閉じた。新型コロナウイルスの影響で、強豪の集まる関東大学連盟がリーグ戦を断念しトーナメントの代替大会となった一方で、関西学連は1部から4部まで全カテゴリーでのリーグ戦実施に踏み切った。葛藤を抱えながら感染対策の中心に立ち、貢献してきた学生たちの思いが通じ、最後までやりきれた。

ユニホーム姿から変身した委員長

大阪・枚方市立総合体育館であった2部リーグの最終戦(10月11日)。優勝を決めていた大阪産業大学と大阪教育大学の試合終盤、大産大の柴田大輔(4年)がコートに立った。この日が引退試合。プレータイムはわずか数分だった。見せ場を作ることはできなかったが、仲間から歓声をうけながら試合終了まで懸命に走った。

最終戦後に相手選手と健闘をたたえあう大産大の柴田

勝利した後、柴田は苦笑いを浮かべて言った。「試合のほうは、ちょっとだめでした」。すると、すぐに着替えに向かった。学生委員長としての仕事が残っているからだ。

3年生になる直前のことだった。選手としての限界を感じていたときに、「学生委員をやらないか」と提案を受けた。リーグの運営や広報活動などを支える裏方だ。「最初は前向きになれなかったけど、自分の現状を変えるきっかけになれば」と柴田。選手としての練習も続けながら、運営側に加わった。仕事を覚えるとやりがいを感じるようになった。すると、最終学年を迎える前に、学生委員長を任された。「えっ?おれが?って感じでした」。引き受けたとき、こんなに大変なシーズンになるとは思っていなかった。

就任ほどなくコロナ禍に

まもなく、全国をコロナ禍が襲った。感染拡大が続いていた4月。各地で競技を問わず、大会、リーグ戦が中止や延期になっていった。関西学連も同月18日に開幕する予定だった関西学生選手権を延期。そのころ、柴田をはじめとした関係者たちは「次」を見据えて動いていた。

関西学連競技副部長の露口亮太理事(大産大)が明かす。「3月には、秋のリーグをどうしたら開催できるか検討し、開催への準備を始めていました。すべては学生のためでした」。4年生の集大成となる秋のリーグ戦を守るため、会議を重ねていた。3月の段階で、秋になっても大学の体育館が使えないことを想定し、競技部長の行広伸太郎理事(大阪学院大)を中心に公共の体育館の確保を始めた。関西独自の感染予防のガイドラインも策定。医師の監修も受けた。大学側の方針により参加が難しいチームを救済できるルールを考えた。初動が早かったことで、リーグ戦開催のめどがたった。

春から秋の準備、無観客で動画配信

柴田は約20人いる学生委員をまとめ、これらの作業に加わっていた。「初めてのことばかりで、正直、何をどうしていいのかわからなかった。最初は大人に従うだけでした」。例年とは違う特殊なルールが次々に決まっていく。感染対策のため、会場は無観客で、チーム関係者の入場も選手を含めて20人までと限定された。試合数も当初より削減せざるを得なかった。

柴田は、理事にかけあったことがある。「試合数を維持できませんか」「4回生だけでも客席に入れることはできませんか」。学生の思いを代弁した。ただ、大人の判断や定めたルールには説得力があった。「現実を考えれば、無理なお願いでした」。ならばと、取り組み始めたのが試合の動画配信だ。

2部リーグの様子を撮影する動画配信用のカメラ

無観客のために会場に来られない仲間やOB、保護者やファンのために、1部は全試合をライブ配信し、2部以下は録画した動画をホームページにアップした。動画投稿サイトYouTubeのチャンネル登録数は当初、200人程度だったが、リーグが進むにつれて増えていき、3000人を超えた。柴田は手応えを感じている。「普段はあまり注目されない関西の大学バスケを変えられるかもしれない取り組みだと感じました。いままでより1歩も2歩も踏み込んだ挑戦ができています」。この取り組みを知り、配信に協力を申し出る企業もあらわれた。

最終戦で選手に指示を出す神戸大の中村ヘッドコーチ。現役の大学生だ

もちろん、会場の検温や消毒も学生委員で改善を重ねながら徹底してきた。9月5日に始まったリーグ戦は、10月18日までに2、3、4部が終了。2部の神戸大で学生ながらヘッドコーチを務めた中村創己(4年)は、最終戦後、こう振り返った。「自粛期間中、『リーグさえあれば』という思いでやってきた。連盟には感謝しかありません」。これを受けて、露口理事は言う。「学生委員たちが本当に頑張ってくれたおかげです」

会場受付で検温をするチーム関係者

1部リーグは25日に閉幕した。選手としては先に区切りを迎えた柴田だったが、学生委員長として最後まで走り続けた。「開幕前までは最後までできるかわからなかったけど、いまのところ陽性者は出ていない。こんな年に学生委員長を経験できてよかった」。少し誇らしげに言った。

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