スピードスケート

特集:駆け抜けた4years.2021

競技力・人間力を高め続けて 立教大学ショートトラック・松山雛子の挑戦

競技と学業を高いレベルで両立している松山雛子(写真は本人提供)

トップアスリートの中には競技と学業を高いレベルで両立する選手がいる。立教大学社会学部4年でスピードスケート・ショートトラックの松山雛子(カリタス女子高)もその一人だ。日本スケート連盟のナショナル強化選手Aとして年間300日以上の合宿をこなしながら講義も主体的に受講。さらに異文化交流や教育実習など幅広い経験を積んできた。1月、長野県南牧村であった全日本選手権女子1000m3位に入り、国内最高峰の舞台で表彰台に立った。どんな大学生活を送ってきたのか、22歳の素顔に迫る。

フィギュアスケートから始まった

松山は東京都町田市出身。幼い頃から好奇心旺盛な性格で音楽やスポーツなど様々な習い事に興味を持ち、積極的にチャレンジしてきた。その一つが小学4年で始めたスケートだった。横浜市神奈川区のリンクに通い、フィギュアスケートを習った。

わずか1年で選手コースに進めるほど向上したが、選手の道は考えていなかった。「習い事としてレベルアップしたい」と訪れたのが神奈川県相模原市の「銀河アリーナ」。そこで時速45kmを超えるスピードでコースを周回するショートトラックと出合った。「すごくかっこいい。あんなに速く滑れるように私もなりたい」。選手たちが横切るたび巻き起こる風圧に衝撃を受けるとともに、息をのむ速さに心を奪われた。

ただ、そこのクラブチームは世界を目指す環境で初心者にとっては大きなハードルがあった。松山は当時12歳。この競技を始めるには遅い年齢で一流になるのは不可能だと考えられていた。

松山は覚悟を決めた。「やるからには競技者として日本代表をめざす」。故・今井三郎監督の「練習を他の人の2倍して追いついて、3倍で追い抜けるようになる」という教えを心にとどめ、自主練習にも熱心に取り組み、量をこなした。その成果が実り、高校2年・3年で国体少年準優勝するまでに成長した。

多文化共生を学びに立教大学へ

進学先に選んだのは立教大学だった。高校3年のとき、ショートトラック大国である韓国に武者修行に行った際、世界各国の選手たちと交流する中で文化に興味を持った。「立教大学のオープンキャンパスに参加し、石井香世子先生の多文化共生の授業を受けて、まさに学びたいことだなと。そして立教大学が文武両道の精神をとても大事にしているので、その点からも魅力的に感じました」

全国クラスで活躍していても特別な配慮があるわけではない。中学時代から学業・部活動・競技を両立してきた経験から、大学でも時間を有効活用して競技と向き合った。授業の空いた時間に構内のトレーニングルームを利用したり、池袋にあるキャンパスから東京都北区にある国立スポーツ科学センター(JISS)まで自転車で通ったり。電車の移動時間は試験勉強に充てた。学内の留学生が集うグローバルラウンジに足を運び、異文化交流にも励んだ。

目標だったユニバーシアード出場

大学2年では、目標に掲げていた「学生のオリンピック」と呼ばれるユニバーシアード冬季大会(ロシア)に出場。2種目に出場し、女子3000mリレーで銀メダルを獲得した。

「競技を始めたときから日本代表として世界の舞台で戦うことを目標に練習に励んできたので、それが達成できた喜びは大きかったです。開会式で行進しているとき、それまでの練習を振り返りながら、いままで流してきた汗も涙も、すべてに勝る感覚でした。ここに来られた幸せな気持ちと、ここまで支えてくださった方々への感謝の気持ちを結果で恩返ししたいという気持ちを原動力にしてレースに挑むことができました」

大きな目標を達成し、憧れのW杯出場への思いも日増しに強くなっていった。

2019年ユニバーシアードで3000mリレーに出場し銀メダルを獲得

努力の目的化はしない

大学と両立しながらハードな競技生活。松山は練習を量から質へ転換することで実現してきた。「スケートを始めたのが遅く、当時は量を重視していました。大学では科学的なエビデンスや身体の状態も意識し、量×質の最大化を目指して取り組むようになりました」

とくに意識しているのは”努力の目的化”をしないことだ。「ただ頑張るだけではなく、しっかり意図を明確にして練習するようにしています」と言う。意識が変わったきっかけは1年のときに参加したカナダ合宿だった。

「カナダ選手の練習への取り組み姿勢が日本選手と異なっていました。当時、私の周りにいた日本や韓国の選手たちは量を重視していたのに対して、カナダ選手は全体の練習メニュー自体のボリュームが少ないだけでなく、終わったらすぐ帰宅することに衝撃を受けました。『自主練習しないの?』と聞いたら、『全体のメニューが終わったということはコーチが考えている練習意図を達成し、自分たちがやるべきことは終えたわけだから帰るだけだよ』と言っていました。文化もあると思いますが、努力の目的化になってはいけないと考えさせられました」

大学3年の夏、大事なトレーニング期に氷上練習ができないほど腰を痛めた経験もあり、けがのリスク、オーバーワークの危険性も身に染みて感じている。

資格取得や教育実習も

大学3年から日本スケート連盟のナショナル強化選手A、JOCのオリンピック強化指定選手にも選ばれ、年間300日以上の合宿、約10の試合スケジュールをこなしている。講義のために東京から合宿先の長野にとんぼかえりしたこともあった。単位取得に必要な講義だけでなく、ボルダリングやIT活用といった関心のある分野は聴講生として受講。試合で講義を欠席しなければならない際には録音を友人に頼んだ。

競技経験を通して芽生えた「スポーツ栄養のさらなる普及」という夢の実現に向けて、アスリートフードマイスター1級も取得。さらには中高の社会・公民の教員免許取得のための教育実習を経験。母校の講演会にも呼ばれ、勉学と競技の両立や夢を実現するための方法について子どもたちに語った。

1月に行われた全日本選手権女子1000mで3位に入った

夢の舞台へあと一歩

「充実していた」という学生生活も残り2カ月。「今シーズンの競技目標としては大学生活の集大成として出場する全ての大会で最高のパフォーマンスを出せることを目指したいと考えています」と話す。今冬はW杯、世界選手権日本代表の補欠に選出されるも、両大会は新型コロナウイルスの影響で中止に。だが、夢の舞台に一歩近づいたのは確かだ。

昨年のうちに卒業論文を仕上げ、今春からは大手メーカーに就職する。「将来はスポーツ栄養の普及、テクノロジーも生かしてスポーツ界のさらなる発展、人々の健康に寄与できる取り組みをしていきたいです」と目を輝かせる。

目標を達成するために日々の行動やモチベーションを管理し、ハードな合宿生活をこなしながら学業と両立、さらには競技にとどまらない幅広い経験を積んできた22歳。「興味を持ったことにチャレンジして、様々な経験を積むことも人間力が高まると考えていました」と松山は言う。

社会人として競技を続ける難しさは想像に難くないが、きっと成し遂げてしまうだろう。これからも松山の挑戦に期待したい。

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