フィギュアスケート

連載:4years.のつづき

覚悟の渡米、優勝からの転落「成功から学べることはない」フィギュアスケート・町田樹3

希望を抱いて米国へ向かったが……(撮影・時津剛)

連載「4years.のつづき」から、関西大学卒業、早稲田大学大学院修了、博士号を取得した町田樹さん(30)です。2014年ソチオリンピック男子フィギュアスケート5位に入賞し、トップ選手として活躍。現役、そしてプロ引退後は研究に専念し、今月15日に博士論文をまとめた『アーティスティックスポーツ研究序説』を白水社より刊行しました。全6回にわたる連載の第3回は、大学時代に経験したフィギュアスケート留学についてです。

9割の敗北と1割の勝利、それでもやるしかなかった フィギュアスケート・町田樹1
関西大学で能動的な学び、知的好奇心が刺激された フィギュアスケート・町田樹2

米国ロサンゼルスでの刺激的な毎日

2014年2月のソチオリンピックを目指し、町田さんは関西大学を休学し渡米を決意した。ロサンゼルス東部レイクアローヘッドの「アイス・キャッスル」を拠点に元豪州代表のアンソニー・リュウ・コーチに師事した。高校時代から夏の短期合宿で利用していたゆかりのあるリンクで、スケートに集中できる環境に身を置くことでスキルアップを図れる予感があった。トランクの半分は大好きな本を詰め込み、期待を胸に新天地へ旅立った。

異国の地は刺激に満ちていた。リンクには全世界から優秀なスケーターが集まっていた。アダム・リッポン(アメリカ)やアシュリー・ワグナー(同)、ジェフリー・バトル(カナダ)、カロリナ・コストナー(イタリア)。世界トップスケーターの技術、表現、練習方法、すべてが勉強になった。「彼ら、彼女らの練習を目で見て、良いところを盗もう(ラーニングしよう)と必死でしたね」と当時を振り返る。

留学中も読書は欠かさなかった(撮影・時津剛)

その反面、逆境もあった。レイクアローヘッドは風光明媚な避暑地で、夏は観光客でにぎわうが、冬は雪がしんしんと降り積もる静かで少し淋しい街だった。慣れない英語圏での生活は町田さんの心に少しずつ影を落とし始めた。「話し相手がおらず、精神的に追いつめられた感じもあって。そうして閉塞感に苛まれ、結果が出ず、調子も崩していく悪循環に陥ってしまうことも多々ありました」

GPシリーズの初メダルに涙

留学生活は2シーズン目を迎え、プレオリンピックシーズンに入った。とにかくこの頃の日本男子は選手層が厚かった。羽生結弦、高橋大輔、織田信成、小塚崇彦、無良崇人。自分も前には進んでいるが、果たして世界トップレベルの選手になれるのか、疑心暗鬼に駆られる日々が続いた。

そんな最中、2012年10月、グランプリ(GP)シリーズスケートアメリカで自身初となる銅メダルを獲得した。優勝の小塚、2位の羽生とともに日本勢が表彰台を独占した。あまりの嬉しさに涙があふれ、コーチと抱き合った。「自分もトップの仲間入りを果たせるかもしれないと希望が見え始めた。真っ暗な洞穴の中で岩穴の隙間から差し込む一筋の光……。そんなメダルだった」と表現する。

勢いは止まらなかった。11月の中国杯で高橋をおさえて金メダルを獲得。「必死に闘い努力してきたことが成績面にも反映されるようになり、自信がついてきました」。ポテンシャルが花開いた瞬間だった。オリンピック開催地のロシア・ソチで行われるGPファイナルに日本勢一番乗りで進出を決めた。メディアも遅咲きのスケーターとしてもてはやした。

2012年GPシリーズ中国杯で初めての金メダルを獲得した町田樹さん。左は2位の高橋大輔(撮影・朝日新聞社)

全日本9位の惨敗

しかし、その後に落とし穴が待っていた。初出場のGPファイナルは最下位の6位。直後に行われた全日本選手権ではまさかの9位に沈んだ。手が届きそうだった世界選手権の切符も逃した。「GPで優勝して安心感と油断が当時の自分にはありました。成功に甘んじてしまった」と振り返る。目標の舞台は再び遠のいた。

「あの経験から、成功体験は手に入れたらすぐ捨てていけ、と自分に言い聞かせることにしました。成功から学べることはない、どんどん捨てていく。失敗したり負けたりした経験を大事に胸に抱きながら先に進むというポリシーが生まれました」

自分自身の慢心が招いた惨敗。ソチオリンピックはもう400日後に迫っていた。

戦国時代の日本男子、勝ち取ったオリンピック代表 フィギュアスケート・町田樹4

4years.のつづき

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