フィギュアスケート

連載:4years.のつづき

関西大学で能動的な学び、知的好奇心が刺激された フィギュアスケート・町田樹2

関西大学に入学し、刺激に満ちた新しい世界に出会っていく(すべて撮影・時津剛)

連載「4years.のつづき」から、関西大学卒業、早稲田大学大学院修了、博士号を取得した町田樹さん(30)です。2014年ソチオリンピック男子フィギュアスケートで5位に入賞し、活躍しました。研究者の道へ進み、今月15日に博士論文をまとめた『アーティスティックスポーツ研究序説』を白水社より刊行、10月からは國學院大學の助教に就任します。全6回にわたる連載の第2回は、大学時代の学びについてです。

負けや失敗の連続、それでもやるしかなかった フィギュアスケート・町田樹1

大学生活で得た学ぶ喜び

関西大学に進学した町田さんは「大学に入って180度、価値観が変わった」と言う。自主性が求められる大学の学びが性に合っていた。

もともと勉強が好きだったのかと思えば、「正直、高校までは勉強があまり好きではありませんでした」と明かす。「大学に入学して初めて能動的に学ぶ姿勢が身につきました。いろいろな学問分野に興味がありましたので、自分で履修したい授業を選択して学べる大学の探求スタイルに好奇心をくすぐられました。はじめて勉強が楽しいと思えましたね」。経済や自然科学など他学部の講義も積極的に受講した。

講義の課題もまったく苦ではなかった。町田さんにとってはレポートもひとつの大事な成果物だった。「物を書くことも好きでした。授業を受けて、自分の考えをレポートとしてまとめて、紙に収めて形に残す。そうした一連のルーティンからも大いに達成感を得ていました。授業から新たな知識を得たからこそ、自分の中にもまた新たな知や思考が生まれ、このレポートが書けたのだ、と」。まさに意欲的に大学に通っていた。

物を書くことも好きという町田さん。大学のレポートにも達成感を得ていた

読書から知的好奇心がかき立てられた

読書好きには拍車がかかった。いわゆる「雑食」で、ミステリー、歴史、哲学、宇宙論、ルポルタージュ、ビジネス、とジャンルを超えて読みあさった。時間があれば書店に足を運び、本との偶然の出会いに心を躍らせた。「興味あるものから派生し探していく場合もあれば、装丁をぱっと見て美しいなと思って直感で買っていくこともありました」。手にした本がどんな分野であるかはさして重要なことではなかった。

メディアで「氷上の哲学者」と呼ばれるきっかけになった哲学者ヘーゲルの『美学講義』も装丁の美しさと書籍のタイトルから手にとった一冊だった。「内容を98%理解していなくても読破する。最初から最後まで一冊ちゃんと読み終えて本棚に収め、次の本を手に取る。本棚があふれていくのも喜びでした」。常に知的好奇心がかき立てられる環境に身を置いていた。

主体性を持って能動的に送る大学生活は、競技にも好影響をもたらした。フィギュアスケートはより難度の高い技術で誰よりも得点を稼ぐという点では、対戦競技や記録競技に近いかもしれない。だが、同時に表現力も求められる。「高校までは勉強もスケートも受動的でした。受け身の姿勢では、何かを生み出したい、作り出したい、演じたい、表現したい、という情熱は絶対に生まれない。そのような情熱は、自らの積極的な態度、主体性や能動性をもって外界と接することではじめて芽生えてくるものです。私の場合、大学時代からそれが始まりました。大学や読書、人とのコミュニケーションで身に付けた知識や体験は多いに役立ちます。自分も氷上で何かを創造し表現したいという情熱が生まれました」

大学や読書で身に付けた知識や体験は自ら表現したいという情熱につながった

シニアの世界にもまれながら

大学2年に入り、シニアクラスへとステップアップを図った。多くの選手はジュニアからシニアに上がるときに壁にぶつかる。ジュニア時代にグランプリ(GP)シリーズを経験した有望な選手でも結果を残し続けるのは簡単ではない。町田さんも例外ではなかった。

「ジュニアからシニアに上がるというのは、フィギュアスケートの世界においてトップ・オブ・トップがひしめく最上位のランクに昇格することを意味しますから、最初は波にのまれて成績が出ないのは当然です。中にはシニアに上がってすぐ活躍できる選手もいますが、私はそういう天才的なスケーターではなかった。もまれて苦しい思いを何度も経験しますが、そこでいかに耐えて前進していけるか重要なマインドだと思います」

町田さんは着実に一歩ずつ進んでいった。とはいえ、シニアに参戦してからの3年間、2010年四大陸選手権の銀メダルはあれど、全日本選手権は最高4位、グランプリ(GP)シリーズの表彰台もなかった。3年後にはソチオリンピックが控えていたが、当時の成績からすれば遠い目標だった。「ここで何かを大きく変えなければ」。大学3年の終わり、スケートのレベルをもう一段階上げるため、休学して渡米を決意した。

環境が変われば何か変わるかもしれない。だがその期待は見事に裏切られることになる。

覚悟の渡米、優勝からの転落「成功から学べることはない」フィギュアスケート・町田樹3
【写真特集】元フィギュアスケーター町田樹さんインタビュー

4years.のつづき

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