大学陸上・駅伝

連載:4years.のつづき

東洋大で1年から駅伝デビュー、東京オリンピックに目標を定める・服部勇馬1

服部に大学時代の写真を持ってもらった

「4years.のつづき」は昨年9月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で2位となり、東京オリンピック男子マラソン代表を決めた服部勇馬(26、東洋大~トヨタ自動車)です。4回連載の前半の2回では、学生時代の戦績を時系列に沿って紹介します。後半の2回ではマラソン練習に対する考え方がどう変わってきたのか、そこに学生時代の経験がどう影響していたかを紹介していきます。

東洋大時代の4years.には、マラソンオリンピック代表につながる要素がいくつも詰まっていました。そこには成功体験も、失敗体験もありました。中には成功体験とは言えても、実は遠回りをすることになったケースもあったようです。

大学1年・逆転された全日本大学駅伝のアンカー

服部は11月の全日本大学駅伝で、いきなりアンカーの8区に起用された。19.7kmの同駅伝最長区間である。全日本大学駅伝(旧コース、各区間の距離が現在とは異なる)は、スピードのある選手は前半の1・2・4区に起用され、8区には単独走に強いスタミナ型の選手が起用されることも多い。箱根駅伝でいえば復路の最重要区間に相当する。以前なら9区、今はチーム戦略によって7区や8区になる大学もあるだろう。

当時の東洋大は設楽啓太(現日立物流)・悠太(現Honda)兄弟が3年生で、高久龍(2年、現ヤクルト)、延藤潤(3年、現マツダ)、田口雅也(2年、現Honda)ら、卒業後に実業団で活躍する選手が多数在籍した。故障が多く活躍はできなかったが、定方俊樹(3年、現MHPS)も練習では強かった。必ずしもエースが起用されるとは限らないが、強豪チームの8区を1年生が任されることは珍しい。服部は「なんで自分が」と思ったが、酒井俊幸監督は「将来のエース候補」として服部を抜擢した。

後ろからやってきた窪田に抜き去られた。学生トップとの力の差を実感した(以降すべて撮影・朝日新聞社)

結果は区間6位(59分28秒)。決して悪い成績ではなかったが、トップで襷(たすき)を受けたものの駒澤大・窪田忍(3年、現トヨタ自動車)に抜かれ、2位でゴール地点の伊勢神宮にフィニッシュした。

「学生長距離界のエースは、こういう走りをするのだと見せつけられました。あそこまで走るにはどうしたらいいか、真剣に考え始めましたね。それまでは(1km毎を)3分ペースで押して行けばいいと、少し甘く見ていたところがありました。2分52~53秒で押して行かないとダメなんだと考えを改めました」

苦しそうな表情でゴールする服部

日本の男子マラソンも長い間、1km3分00秒が基準になっていた。キリのいい数字だっただけに、3分00秒という基準にとらわれてしまっていた。駅伝ではあるが、服部はその縛りから大学1年時に早くも抜け出すことができた。それは東洋大の目指す「攻めの駅伝」の走りでもあった。

大学1~2年・「マラソンで東京オリンピック」が目標に

服部の目標設定の仕方は、2段式になっていた。大きな(将来的な)目標を持つが、身近な目標も設定した。意識の仕方としては身近な目標の方が強く、大きな目標の方が漠然としている。しかし漠然としていてもしっかりと見すえていた。無意識だったかもしれないが、服部はそのバランスがよかった。

大学入学時の服部の夢は「箱根駅伝に出場すること」だった。高校のトップ選手にとっては簡単なことだが、そのくらい箱根駅伝への憧れが大きかった。全日本大学駅伝で「大学駅伝の洗礼」を受けたにもかかわらず、箱根駅伝前は「ワクワクしていた」という。

東洋大学では2学年上の設楽兄弟など、実力のある選手と切磋琢磨した

結果は9区で区間3位(1時間11分02秒)。前後のチームとはタイム差があり、ずっと独走で2位の位置をキープした。会心の走りとまではいえなかったが、憧れの大会で足跡を残した。

入学前の夢は1年で実現し、「心にぽっかり穴が開いた感覚になりました」と当時の心境を振り返る。燃え尽き症候群に陥りかけた服部を導いたのが、酒井監督だった。服部に限らず、能力のある選手には世界を目指そうと声をかけていた。

仙台育英高時代の恩師である清野純一先生からも、将来を期待される言葉をもらっていた。それも病院のベッドだったから、服部の記憶に強く残っていた。最後の全国高校駅伝で疲労骨折を起こし(1区区間21位)、病院に担ぎ込まれていたのだ。

高校最終学年に出場した全国高校駅伝では力を発揮しきれなかった

「10年後に返してくれればいいから」

「返す」というのはもちろん、日本代表レベルの活躍をしてほしい、という意味だ。

箱根駅伝出場後に「次に目指すとしたら、トラックよりもマラソンかな」という気持ちが徐々に頭をもたげてきた。ちょうどそのタイミングで、東京オリンピック開催が決まった。正確には大学2年時、9月の日本インカレ期間中だった。

「マラソンをやるなら東京オリンピックで世界と戦いたい。あと6年しかない」

2年時の服部は走力全体のアップが顕著で、トラックでも好走している。関東インカレは5000m7位、10000m6位と2種目で入賞し、日本インカレは5000mで4位。インターハイの5位を早くも上回った。駅伝も出雲5区区間賞、全日本2区区間4位、箱根2区区間3位と主要区間で上位に入るようになった。そして箱根駅伝が終わって2月、誰もが驚く活躍をしてみせた。

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