現役引退表明の本郷理華「アイスショーでまた見てほしい」
6月16日、フィギュアスケート女子の本郷理華(中京大学、2019年3月卒)が現役引退を発表した。15、16年四大陸選手権2大会連続銅メダル、15年世界選手権6位など国際大会で活躍。カナダに拠点を移したが19~20年シーズンは休養した。昨年9月、1年5カ月ぶりに競技に復帰し、2シーズンぶりの全日本選手権では総合18位の成績を残した。自身のSNSで「次の道に進んでも、自分らしく笑顔で頑張っていきたいと思います」とつづった本郷。引退決断までの思いや競技人生の思い出について語った。
――競技生活お疲れ様でした。いつごろから引退を考えていたのですか。
本郷 もともと一度休んで競技に戻ると決めたときから、長くできても1、2年かなと思っていました。突然引退が出てきたというより、いつ最後の試合になってもいいように臨んでいました。具体的に考え出したのは全日本が終わってからです。
――引退を惜しむ声もたくさんありました。
本郷 自分の演技を見たいと言ってくださるのはうれしいし、また滑りたいという気持ちがなかったわけではないですが、競技をすると考えたとき、自分が納得いく演技をしたいし、スポーツであれば成績の目標もあります。ただスケートをやりたいだけでできるかというと難しいというのが自分の中であり、競技はここで一区切りした方がいいと決めました。
――引退を決断した日はいつですか。
本郷 この日というのはありませんが、全日本が終わって、自分の演技と結果、周りのレベルを見て、引退という考えは浮かんでいましたが、やりたい気持ちもあって決めきれず、もやもやと悩んでいました。ただ6月までには決めるとは言っていたので、次にどうしたいかゆっくり考えた末、6月入るころには気持ちは固まり、大安の16日に発表することにしました。
――引退はどなたに相談されましたか。
本郷 家族や関徳武(せき・めぐむ)先生など身近な方に相談していました。新型コロナウイルスの影響で先生がいるカナダに渡れず、全日本にも一緒に出られなかったのは残念でしたが、先生は私が決めたことだから応援すると、私の意見を尊重してくれました。
――もしカナダに渡れていたら状況はどのように変わっていたと思いますか。
本郷 一番望んでいたのは復帰したシーズンにカナダで練習をして、もう一度関先生と試合に出場することでした。もしかなっていたら今と同じように引退していたかもしれませんし、今カナダに行けていたらあと1年続けたかもしれないです。
――競技生活で一番苦労したのはいつでしたか。
本郷 本当につらかったのは、スケートのために9歳で仙台から名古屋に来たときでした。今まで家族と暮らしていて、リンクの送り迎えも含め何でもやってもらっていた生活から、身の回りのことは自分でしないといけなくなり、小学校も転校して慣れるのが大変でした。スケートの成績も残せず、いっぱいいっぱいでした。東日本大震災で家族が被災し、自分より苦労しているのがわかったので頑張らなきゃと思っていた記憶があります。
――一番うれしかったことは何ですか。
本郷 (日本代表が着られる)ジャパンジャージをもらったとき、海外の試合に初めて出られたとき、最近なら引退発表したときに自分のこのプログラムが好き、とコメントをもらえて、こんなに見てくれていたんだなと思ってうれしかったです。プログラム全部に一緒に作った方と考えたテーマがあります。
――特に印象に残っているプログラムは何ですか。
本郷 SP「シルク・ドゥ・ソレイユ『キダム』」(鈴木明子さん振付)とフリー「リバーダンス」(宮本賢二さん振付)を滑った15~16年シーズンは思い切りやれたし、試合後に楽しかったと思った回数が多かったです。シェイリーン・ボーンさんに振り付けてもらった16~17年から2シーズン連続で使用したSP「カルミナ・ブラーナ」、17~18年フリー「フリーダ」は好きなプログラムです。自分では選ばないような曲で不安ではありましたが、やっていくうちにどういうふうに表現したらいいかを考えるようになりました。表現する楽しさを感じるきっかけになったプログラムでした。
――本郷さんは振付師などプログラムを一緒に作ってくれた方への思いを大事にされていますね。
本郷 シェイリーン・ボーンさんと「フリーダ」のプログラムを作ったとき、四つ曲調が変わるのですが、シェイリーンさんがそれぞれの映画シーンを英語で説明してくれて、そのストーリーと自分のスケート人生を重ねて、私らしい「フリーダ」にすると言ってもらえて、こんなに考えてくれているんだと思って。少しでもいい形で試合に臨みたいと思ったし、いろんな人にそう見てもらえたらいいなと思うようになりました。
――優勝した浅田真央さんと一緒に表彰台に上がった15年のグランプリシリーズ中国杯(2位)も思い出に残っているんですね。
本郷 すごく楽しかった思い出があります。日本女子は私と浅田さんだけで、緊張もしたけど楽しみにしていました。浅田さんは気さくに話しかけてくれて試合前に「頑張ろうね」と言ってくれて、ついて行けるように頑張ろうと思いました。お互いにいい演技していい結果を残して頑張れたね、みたいな感じで終われました。
――ファンの方からいただいた支援金はどう活用しましたか。
本郷 カナダへの渡航には使えませんでしたが、中京大学以外で練習するときのリンク代のほか、アスリートフードマイスター3級取得のために使わせていただきました。栄養面や体形維持が大変なのは経験してわかっているので、自分自身にも、そして教える立場になったとしても役立つと思っています。今は自分のコンディション管理のために資格を生かしていますが、これから成長期になる選手たちに一意見として参考程度に伝えられたらいいなと思います。極端な体調管理や練習し過ぎでけがしたという話を見たり聞いたりしています。女子選手の競技寿命が短いと言われている中で、1、2年が無駄になってしまったら悲しいですから。
――今後のキャリアについて教えてください。
本郷 これをやっていくと決めているわけではありません。引退してアイスショーに出させてもらえる機会があれば出演して自分のスケートを見てもらえたらうれしいです。一度スケートから離れて戻ってきて、スケートが好きだなという気持ち、自分が滑れるうれしさはすごく感じているので、この先もスケートに関われたらと思います。コーチや振付師も機会をいただけるのであれば挑戦したいです。
――改めて応援してくれた方にメッセージをお願いします。
本郷 いいときも悪いときもありましたが、どんなときも変わらず応援してくださったのでうれしかったし、感謝の気持ちでいっぱいです。最後のシーズンも応援くれている方がこんなにいるんだと改めて感じられ、頑張ろうという力になりました。ありがとうございました。現役は引退しますが、アイスショーなどを通して、これからの自分も応援してくれたらうれしいです。
一度競技から離れ、スケートが好きという気持ちに改めて気づいた本郷。カナダからリモートで指導し続けた関コーチは言う。「彼女がスケートで得た経験は普通の人ができないような経験だと思います。逆に普通の経験ができていないと思うので、これからは今までの経験もいかしつつ幅広く色々なことができたら何よりかなと思います」。すでに7、8月に愛・地球博記念公園(愛知県長久手市)で開催されるアイスショー「THE ICE(ザ・アイス)」への出演が決まった。次のステップでも美しく華やかに。多くのファンから愛された24歳が大きな一歩を踏み出した。