準硬式野球

特集:駆け抜けた4years.2022

明治大学の高島泰都 準硬式野球部での成長の軌跡、自身を磨き続けた4年間

明治大学の準硬式野球部をエースで引っ張った高島泰都(撮影・全て明大スポーツ新聞部)

最速150kmの直球に、抜群の制球力、さらには多彩な変化球を操る明治大学の大黒柱。ただし、これは硬式野球部ではなく、準硬式野球部の選手の話だ。高島泰都(4年、滝川西)は2年生の春から投手の柱として活躍し続け、3年次からはエース格に成長。この4月からは社会人野球の王子に入団が内定している。そんな東京六大学の中でもかなりの実力を持つ高島だが、入学当初からその力を持っていたわけではない。圧巻の進歩を見せた高島の大学4年間の裏には、並々ならぬ努力と試行錯誤の跡があった。

運命的な入学、そして挫折

明大に入学したのは奇跡的なものだった。高校時代は甲子園(第99回全国選手権=2017年)に出場したものの常に2番手。これ以上硬式でプレーする力はないと思い、「大学では準硬式野球をやる」。高校2年生のころから決めていた高島のもとに引退後、明大ともう1通、合わせて2通のセレクションの案内が届いた。「初めはもう1通の方に行く予定だった」。しかし、そちらは既に期限が切れており断念することに。ただ、明大のセレクションも2日後。北海道にいる高島は即決しなければ間に合わない状況だった。親や監督の後押しもありその翌日には東京へ出発、その次の日にセレクションを受けて北海道へ帰るという弾丸ツアーを敢行。結果として投手不足という当時のチーム事情も助け、明大への道が開けた。

スポーツ推薦で入学した高島。周囲からの期待もあったため、1年生の春からベンチ入りを果たす。ところが大学デビュー戦は壮絶なものだった。春季リーグ最終戦の慶應義塾大戦で先発。「何を投げてもストライクが入らない。入れにいけば打たれるということの連続でした」。正直に言うと準硬式野球をなめていたという。「当時の最速は141kmあって、140kmあれば抑えられると考えていた」。極め付きはその後行われた新人戦。法政大戦に先発し、5回10失点と全く抑えられなかった。他の同級生は当時から活躍していることもあり、「周りからはここからどんどん落ちていくのだろうと思われていると感じていました」。ただ、ここで野球人生は終わらない。周囲からの期待もかからない中、未来のエースの逆転物語がスタートした。

1年生の時の高島は周囲も心配するほどだった

復活への道

制球力の改善は一つのきっかけからつかんだ。「夏休みの練習試合で1回だけ投げさせてほしいと言ったら、投げさせてもらえた。その時にプレッシャーからか、すごくコントロールが良かった」。そこから秋季リーグ、新人戦と登板数を重ねて信頼を少しずつ回復していった。制球力の向上に伴って安定感も増していった。ラストシーズンとなる4年次の秋季リーグでは38回を投げ、四死球が6つ、防御率も1点台前半ととにかく崩れなかった。

さらに自身の意識も変えた。「試合の中で三振の意識を変えていった」。初めは初球から三振狙いで投球を続けていたが、「それだと球数も費やすし、四死球も増えてしまう可能性がある。なので追い込むまでは(三振を)あまり考えないようにした」。三振から打ち取る投球方針に変更すると無駄な球も減り、より多くの回を任されるように。また、直球に頼るのではなく、変化球を中心に投げ込むことを徹底した。「カウントを変化球で取って、決め球も変化球。直球はファールで差し込ませて(次の球の)布石にしていた」。ここから公式戦で何回も完封、完投試合を達成しており、リーグ戦などで第1試合はまるまる高島、といったことがほぼ毎回となっていった。

会心の投球に笑顔をみせる

3年夏に150km

150kmの直球も練習のたまものである。新型コロナウイルスでリーグ戦が中止になった3年生の時はウェートトレーニングに目覚め、1人黙々と腐ることなく体を鍛え続けた。「結果的にはそのトレーニングが良かった」とその年の夏に行われた特別大会で150kmを計測した。

さらに変化球も格段にレベルアップ。入学当初、スライダーとカーブしか投げられず、「キレが良いとも言えなかった」。リーグ戦を4年間、それも春と秋を戦い抜く中で、何回も対戦していれば目が慣れてくる選手も多い。「試合の中で、こういう場面ではこういう球が投げられたら、みたいなのを考えていた。それを練習や次の実戦で試していた」。ときには同期から教えてもらい、ときには自分の投球動画を何度も見返す。試行錯誤を繰り返しながら、持っていたスライダーとカーブの変化量は増し、新たにチェンジアップやカットボールなども習得した。

「初めはたいした投手ではないと思っていた。でも練習量がとにかくすごくて、本当に成長したなと思っている」(谷口秀斗=4年、広陵)。デビュー戦で失敗し、周囲からは期待されていなかった投手が、4年間で60以上の試合に登板し、40以上の勝ち星を挙げ東京六大学を代表するエースになっていた。

球速150kmを記録した時は「球場の(スピード)ガンが甘かったんですよ」

王子内定がゴールではない。王子は都市対抗野球大会でも優勝経験のある名門チーム。周りには学生時代からひたすら硬式球を握ってきた人間がほとんどだ。「準硬式出身だから仕方ないとか、そういう目で見られるのは嫌なので。他の人よりもたくさん練習して結果を残したい」。確かに準硬式は硬式と比べれば、知名度や注目度は低い。それでも準硬式野球部での経験は、決して他の硬式の選手と劣っているわけではない。周囲の評価を練習量で変えてきた高島。4年間で自らを磨き続けた期待の星が、新天地で光り輝く時はもうすぐそこだ。

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