明治大学の石井優輝主将 「常にいい影響を与える」闘将が歩んだ苦難の4年間
2021年度、創部100周年を迎えた明治大学サッカー部。「弱い世代」と言われ、4年ぶりの無冠に終わったシーズンだったが、DF石井優輝(4年、昌平)は主将としてチームをけん引してきた。「常にチームにいい影響を与える」主将の裏には、もがき苦しんだ下級生時代と「プロの養成所ではなく人間形成の場」を掲げる明大で培った人間力があった。
自信をへし折られた
昌平高3年の時には主将を務め、全国高校選手権も経験した石井。プロ入りへの強い決意とともに明大の敷居をまたいだが、思い通りの日々を過ごすことはできなかった。「サッカー面で言えば対人の能力。高校時代は守備練習をほぼしなかったので、そこは苦しんだ」。それもそのはず、石井が1年次にレギュラーの座に就いていたのは、袴田裕太郎(ジュビロ磐田)に上夷克典(大分トリニータ)。のちにJ1へと進む佐藤瑶大(ガンバ大阪)や蓮川壮大(FC東京)らですらベンチに甘んじるハイレベルなメンバー争いの中で、石井はセカンドチームでのプレーを余儀なくされた。
また、明大が重んじる人間力の面でも壁に当たった。「他人からの声を受け入れることや、声の掛け方など、人間性の面も苦しんだ部分だった」。特に負担が大きかったのは、社会人としての素質を植え付けることを目的とした、代々受け継がれる「仕事」。電話番やメールの返信など、雑用とも思われる仕事は、サッカーだけに集中できない環境を生んだ。
「先輩や仲間に対して文句を言ったり、スタッフにも『なんでオフサイド取らねえんだよ』とか言ったりもしていた」。サッカーも仕事もうまくいかない。1年次から活躍するという思い描いていた大学生活とのギャップは、石井の中に焦りを生み、いつしか尖(とが)った選手へと変貌(へんぼう)させていた。「尖っていた自分を肯定するなら、トップチームに入りたいとか、プロになりたいという思いが強かったからだと思う」。苦しい生活が続く中でも、石井をサッカーにつなぎ留めていたのは自分がプロになるという強い思いだった。
“歴代最強”のチームで得た気づき
そんな石井にとって転機となったのが、2年生の夏の総理大臣杯全日本大学トーナメント。この年の明大は史上初の大学5冠を獲得するなど、“歴代最強”とも呼ばれる1年を過ごしていた。そんなチームの中、苦しみながらも着々と地力を磨いた石井は、夏の総理大臣杯で初のメンバー入りを果たす。「トップチームで初めての大会で、サポートする選手は何を求められているか常に考えて行動していた。それがすごく選手たちにも伝わって、栗田大輔監督にも『陰のMVPは石井だな』と言っていただけた」。大会を通してピッチに立つことはなかったが、明大が大切にする“それぞれの立場からチームに最大限貢献すること”の大切さを実感。「下級生のころは自分の能力をどう向上させるかに集中していたが、2年の大臣杯から少しずつチームのことを気にし始めた」。それまで自分だった主体は、徐々にチームへと切り替わっていった。
栗田監督が責任の年と位置付ける3年次には、トップチームに定着。関東大学1部リーグ戦では、第4節でスターティングメンバーに名を連ね、リーグ戦デビューを果たす。「60人の部員の代表として試合に出る重圧を感じたのと同時に、自信を持って試合に入れた。苦しかった2年間での積み重ねは間違っていなかったんだと証明できたと思う」。筑波大相手に堂々のパフォーマンスを見せつけ、3-0で零封勝利。苦しんだ日々が自信へと変わった瞬間だった。以降も定期的に出場機会をつかみ、明大の代表として戦う責任を実感。12月には同期からの推薦もあり、主将となることが決まった。
主将として戦った苦難の1年
石井主将を語る上で象徴的だったのが、21年度のリーグ戦、第21節。3連覇を目指す明大は順天堂大と対戦した。激しい優勝争いの中、絶対に負けられない一戦となった。1-1で迎えた後半40分。「勝ちたい気持ちを表現しよう」。その一声に応えるかのように、倉俣健(2年、前橋育英)がボレーシュートを決め、2-1で勝利を収めた。「リーダーとは組織で一番影響力の強い人のことで、自分の一つの言動が周りに与える影響は思っている以上に大きい。それがいい方向に転がった場面だったと思う」。“アツい主将”の一喝が勝利を手繰り寄せた、そんな試合だった。
しかし、思い通りのシーズンではなかった。順大戦後、リーグ戦の首位に立ったチームだったが、優勝に向けた最後の戦いとなった駒澤大戦、流通経済大戦に連敗。目の前で宿敵の戴冠を許した。「タイトルを取りたかった」。夏のアミノバイタルカップでは2回戦で東洋大に不覚を取り、5大会連続で決勝に進んでいた総理大臣杯全日本大学トーナメントには出場すらできず。タイトルへの最後のチャンスとなった全日本大学選手権でも準決勝で駒澤大の前に屈し、4シーズンぶりの無冠に終わった。
「シーズンインのころは100周年を背負わず自然体でできていたが、だんだんと耳に入ってくるようになって、意識せざるを得なくなってしまった」。100周年に花を添えるタイトルへの期待が高まりながらも、調子の上がらないチーム。個人としても夏場にはけがを負い、進路への不安も増す中「ピッチの上でチームを勝たせてきた歴代の主将を見てきて、自分の能力がシンプルに足りていないと思った」。勝てないチームをピッチ外から見続ける中、いつしか自信を失っていた。
最後まで自信を取り戻すことはできなかった。それでも「小野浩二コーチの『楽しく、チームのことを気にしすぎずに自分のプレーを表現すればいい』という言葉には救われた」。シーズン後半は4年生の意地や危機感を見せ、粘り強く勝ち点を拾う展開が続いた。タイトルを獲得することはできなかったが、球際、切り替え、運動量の3原則を徹底し、最後まで走り続ける、明大としてのあるべき姿を体現。そしてその中心には常にチームを熱く鼓舞する主将の姿があった。
「チームの主将である以上、目的はプロ入りじゃないと思う」。主将として誰よりもチームのために戦ってきた石井。しかし、プロへの思いが潰(つい)えたわけではなかった。「就職先への内定は最後までプロを目指すと決めた時に辞退した」。退路を断ち、最後の就活としての意味合いも持たせたインカレ。2、3回戦ではクリーンシート(無失点)で快勝し、スカウト陣の評価を高めた。
吉報を待ち続け迎えた1月31日。ついにJFLのCriacao Shinjuku(クリアソン新宿)への加入が発表され、キャリア継続の切符をつかんだ。夢に見続けたプロの舞台ではなかったが「楽しくサッカーをする機会をいただけて、とても嬉(うれ)しく思っている」と心境を語った。苦しみ続けた大学生活は終わり、2026年に世界一を目指すチームでの戦いが始まる。「たくさんの人に影響を与えられる人間」へと変貌した石井の挑戦はこれからも続いていく。