野球

特集:あの夏があったから2022~甲子園の記憶

劇的サヨナラ本塁打の直前、持丸監督と交わしたやり取り 神奈川大・吉岡道泰(下)

2021年夏の千葉大会決勝で、劇的なサヨナラ本塁打を放った(高校時代の写真はすべて撮影・朝日新聞社)

第104回全国高校野球選手権大会の熱戦が、阪神甲子園球場で続いています。4years.では、昨年2年ぶりに開催された舞台に立ち、その後、大学野球の道に進んだ1年生の選手たちに、高校時代のことや今の野球生活につながっていることを聞きました。第8回は、選抜高校野球大会の悔し涙から一転、笑顔で最後の夏を終えた神奈川大学の吉岡道泰(専大松戸)。今回は後編です。

【前編】ダイブの写真切り抜き、誓った「数センチの借りを返す」 神奈川大・吉岡道泰(上)

何も聞いていなかった主将就任

選抜大会でレフトを守っていた吉岡は試合終盤、前へのライナーに対してダイビングキャッチを試みたが届かず、白球が後方を転々とする間にランニングホームランとなり、チームは中京大中京(愛知)に0-2で敗れた。試合後も宿舎でも涙を流し、翌日地元に戻ってきた。数日間の休みを経て、入学する1年生も合流し、練習再開。その日、持丸修一監督から主将就任を告げられた。

「1年生の自己紹介を含む軽めの練習日だったんです。そのときのミーティングで監督さんが『選抜に行けたのは、石井(詠己、立正大1年)のおかげだから。石井に負担をかけないために、(主将を)休んでもらう』って言い始めて。誰がやるんだろうって思ったら、『今日から吉岡にやってもらう』って言われたんです。何も聞いてなかったので、『え、マジすか?』と言ってしまいました」

主将で臨んだ春の関東大会を制し、優勝旗を手にした

当時は「石井のまねをしたら、どうにかなるだろう」と思っていた。だが主将の立場は、そんなに甘いものではなく、どんどん調子を落としていった。しまいにはノック中にレフトの吉岡とショートの石井が激突し、救急車で病院に運ばれたこともあった。

吉岡は「自分でも、よく分からないことになっちゃっていた」。そこでコーチの小林一也さんに「自分の取りえって、何ですか? 自信がないんです」と相談した。常総学院(茨城)時代に2001年の選抜高校野球大会で優勝した経験を持つ小林さんは、「声とパフォーマンスで引っ張っていけばいいんじゃない?」と諭してくれた。

「お前の声って元気づくから、キャプテンのお前が一番声を出したら、みんな付いてくるでしょ」と言われた。自分がヒットを打ったとき「よっしゃー!」とがむしゃらに声を出すと、ベンチも「よっしゃー!」と沸き立つようになり、思ったことを言えない選手も少しずつ意見を言うようになった。「これか!」と自身の主将像を見つけた吉岡。「どんなに自分のプレーがダメでも、声を出し続けることで、チームの士気を下げないことが自分の役割だと気づいたんです」

主将となってからは声でチームを引っ張ることを心がけた

「石井がじゃんけんで強くなるなら退きます」

主将として、春の関東大会を制した。準決勝の桐光学園戦(神奈川)では、先攻後攻を決めるじゃんけんで負けて後攻だったにもかかわらず、チーム内には「勝ったよ」とうそをついた。だが、録画していた映像で実況に「今日はじゃんけんに勝って先攻を取りました、桐光学園」と言われ、うそがばれた。吉岡のキャラクターを表すエピソードの一つだ。

主将生活は、約2カ月間だった。夏の千葉大会が始まる前の6月、持丸監督に3年生が集められ「キャプテンを石井にするか、吉岡にするか、3年生の本音を聞きたい。正直俺は、どっちでもいいんだよ。どっちもいいところがある。でもじゃんけんが強いから、吉岡の方がいいんじゃねえか?」と言われた。3年生の意見は石井の方が多かった。ただ「吉岡がダメ」と言う選手は1人もいなかった。吉岡は「石井がじゃんけんで強くなるなら退きます。石井がつらくなったとき、鼓舞するのが自分の役目です」と口にし、主将の座を譲った。

思っていたこと以上のことが起きた

春夏連続の甲子園出場をめざして戦った千葉大会は、最後に大きな結末が待っていた。木更津総合との決勝は、6-6の同点でタイブレークに入った十三回裏、無死満塁で吉岡に打席が回ってきた。動揺気味だった吉岡は、無意識のうちに一塁ベンチにいる持丸監督のもとへ歩み寄った。

持丸監督「おめえよぉ、こんなにいい舞台用意してるんだから、最後お前決めてこいよ」

吉岡「監督さん、もう勝ちです」

持丸監督「勝ち? そんなんお前が打たないと分からねぇだろ」

吉岡「絶対打つんで」

持丸「じゃあ、信じてるぞ」

吉岡「犠牲フライでおいしいところを持っていきます」

応援に来てくれた在校生、ベンチに入っていない控え部員、保護者。全員の思いを乗せて「犠牲フライ」を考えて打ったら、飛球はライトスタンドを越えた。甲子園を決めるサヨナラ満塁本塁打。「自分が思っていた以上のことが起きちゃって、できすぎですね。なんで打てたのか、いまだに分からないです」。涙を流しながら、ダイヤモンドを1周した。「リベンジの舞台に戻れる。自分で決められた。チームメートがホームベースで待っているときに、あのときの思いが全部こみ上げてきて……」。高校野球生活で泣いたのは、選抜で敗れたときと、このときだけだという。

在校生、ベンチに入れない部員、保護者の思いを背負った結果がサヨナラ本塁打となった
サヨナラ本塁打を放ち、本塁付近で仲間に迎えられた吉岡(7番)

高校野球で強まった指導者の夢

春の雪辱を誓った夏の甲子園は「ルンルンでした」。1回戦は選抜準優勝の明豊(大分)だったが「楽しみでしかたなかったです」。吉岡がタイムリーを放ち、深沢が相手打線を完封。チームとして甲子園で初となる1勝を挙げた。2回戦で常に先に仕掛けてくる長崎商に屈したが、吉岡は敗れた後も涙を見せることはなかった。

「高校野球の指導者になりたい」という自身の夢は、2年半の高校野球生活を終えて、さらに強まった。「2年半では、専松の野球をたたき込みきれなかった。監督をしていた父の姿をベースに、専松でやってきた練習の質や神奈川大で学んでいる規律や礼儀を織り交ぜながら、自分の指導者像を作り上げるのが、今の夢です。まだ教員になれるか分からないですけど(笑)」

「ルンルン」で臨んだ夏の甲子園はタイムリーも放った

今は「大学野球にもっと染まっていかないと」と感じている。「中学では神宮、高校では甲子園と全国の舞台を踏ませてもらって、大学ではもう一度、原点だった神宮に戻って優勝したいです」。その日のため、その先にある夢のため、自分のできることを地道に積み重ねている。

特集「あの夏があったから2022~甲子園の記憶」はこちら

in Additionあわせて読みたい