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特集:あの夏があったから2022~甲子園の記憶

龍谷大学・岩佐直哉 現エース山田陽翔と高め合った近江時代 今も燃やす対抗心

近江から龍谷大に進んだ岩佐。今は体作りを中心に取り組んでいる(撮影・沢井史)

第104回全国高校野球選手権大会が、阪神甲子園球場で始まっています。4years.では昨年2年ぶりに開催された舞台に立ち、その後、大学野球の道に進んだ1年生の選手たちに、高校時代のこと、入場制限や度重なる順延に悩まされたあの夏のこと、今の野球生活につながっていることを聞きました。「あの夏があったから2022~甲子園の記憶」と題して、大会の期間中にお届けします。第2回は龍谷大学の岩佐直哉(近江)に、山田陽翔(はると、近江高3年)と高め合った高校時代について聞きました。

大阪桐蔭戦で手応えをつかんだ一球

ベスト4まで勝ち上がった昨夏の甲子園は「ダブルエース」が躍動した。昨夏エースの岩佐。もう1人の柱は現エースの山田だ。山田が先発し、中盤以降を岩佐につなぐのが勝利の方程式だった。 

昨夏の甲子園は、最初から様々な出来事があった。初戦の日大東北(福島)戦は、雨による中止、ノーゲームが続き、当初の予定より3日順延。続く2回戦では、優勝候補の呼び声が高かった大阪桐蔭と対戦した。4失点で降板した山田に代わり、七回から後を受けたのが岩佐だった。

「あれだけのチームとは滅多(めった)にこういう舞台で試合ができないので、とにかく楽しんでいこうと。最初から全力でいきました」

昨夏は現エースの山田から、岩佐(写真)に継投するのが勝利の方程式だった(撮影・朝日新聞社)

一死から、2番の藤原夏暉(現・青山学院大)に三塁打を許したものの、ひるまなかった。続く3番の池田陵真(現・オリックス・バファローズ)を2ボールからスライダーで空振りを取り、「このボールを振ってくれるなら抑えられるかもしれない」という自信が芽生えた。意識したのはボールの高さとインコースをどれだけ使えるか。各打者に集中した。

「全てのボールを思うように投げられたわけではないですけれど、要所で低めにしっかり投げられたことは良かったです。池田君は確かに怖いバッターでしたが、とにかく必死でした」

箸を持つ手が震えるほどの疲れ

七回を無失点に抑えたことで、攻撃にいい流れを呼んだ。1点を追う七回裏に追いつき、八回は2点を勝ち越した。大阪桐蔭の最後の攻撃も3人で封じ、勝ち星。うれしさはあったが、宿舎に戻ると食事をする時に箸を持つ手が震えているのが分かったという。「試合直後はあまり感じなかったのですが、相当疲れがあって、終わって力が抜けたというか……。自分でも驚きましたね」

この一勝が、チームに勢いをつけた。3回戦の相手は、強力打線の盛岡大付(岩手)。大阪桐蔭戦から中1日で臨んだ試合は「大阪桐蔭戦の疲れが抜けきれず、正直しんどい場面もありました」。疲労で高めに浮いた球をはじき返された場面を悔いるが、「大阪桐蔭戦の迫力のイメージが残っていて、そこまで恐怖を感じなかったです。何とか逃げ切れた試合でした」。2点を失ったが、打線が序盤から着実に加点し、食らいつく相手を振り切った。

準々決勝で対戦した神戸国際大付(兵庫)は、前年秋の近畿大会1回戦でも戦い、2-5で敗れている。選抜高校野球大会の道を事実上絶たれた因縁の相手に、岩佐は1点リードの七回からマウンドに立った。4点リードの九回、まさかの事態に見舞われた。

昨夏の甲子園は「背番号1」をつけてマウンドに上がった(撮影・朝日新聞社)

「2死まではポンポンと取れたんですけれど、その直後からおかしくなって……。八回あたりからヒジの状態が限界だったんです。思うようにボールがいかなくなって、気が付いたら4点を取られていて……。同点になった直後の九回に春山(陽生、現・佛教大)が(サヨナラ打を)打ってくれたので、本当にうれしかったです」

負けた悔しさより、無念さ、空しさ

準決勝の智弁和歌山戦は、展開次第では登板する可能性があった。でも、ヒジはいうことを聞かなかった。試合前、山田にヒジのことを打ち明けると、山田は覚悟を決めた表情で「分かりました」とうなずいた。

山田を始め、副島良太、外義来都ら後輩たちがバトンをつないだが、チームは1-5で敗れた。試合に負けた悔しさよりも最後の試合のマウンドに立てなかった無念さ、支えてもらった仲間と一緒にもう試合ができない空しさが岩佐の心を支配していた。

「まず試合を終えて、寂しさしかなかったです。僕の学年は誰かが飛び抜けていたわけではなくて、日替わりでヒーローが出てきて、すごく雰囲気が良かったんです。すごくいいチームでしたし、もっと試合がしたかったですね」

やり切った思いはなかった。最後の最後に自分の力を出せずに終わってしまったからだ。

「自分が最後まで投げられたら……とは思います。そのあたりの悔いはありましたが、その分、大学に行ってしっかり投げ切れるピッチャーになろうと。その準備をしていかないといけないと思いました」

準決勝に向けて調整したが、登板機会はなかった(撮影・朝日新聞社)

万全な状態で投げるため、自己改革の日々

高校野球が終わってからは、疲れを取りながらヒジの治療に専念。年が明け、大学の練習に参加するようになってからも、ヒジの状態を見ながら慎重にトレーニングを重ねた。高校時代より体を絞りながら筋肉をつけ、ハイレベルな世界でも通用する体作りに、今も余念がない。

「春のリーグ戦中は体作りに専念していました。今は万全な状態で投げられるようにしたいので。ヒジの状態を見ながら、まだ投げられない時期は下半身を中心にトレーニングをして、土台がしっかりしてきたと思います」

自己改革に集中していたため、今春の選抜高校野球大会はリアルタイムでほとんど観戦できなかった。ただ後輩たちの躍動は、ニュースや動画などで追っていた。

「お客さんが入っている中で投げられるのは、うらやましいですね。山田は根性があるし気持ちは強いので、あれぐらいはやれると思いました。でも準優勝はすごいですし、うれしさと同時に『僕ももっと頑張らないといけない』と思いました」

大学生になっても、岩佐(左)は山田のことを意識している(撮影・朝日新聞社)

球速で並ばれた後輩に「悔しい」

現在は8~9割の力で投げられるようになった。だが実戦から遠ざかっているため、これから実戦形式の練習を徐々に増やし、オープン戦を経て、秋の関西六大学リーグ戦の初登板を見据えている。

岩佐は高校時代、「最速149キロ右腕」という肩書があった。後輩の山田も今春の近畿大会で149キロをマークし、今は数字としては後輩と並んでいる。「山田はすごいですけれど、正直ちょっと悔しいですね(笑)。でも自分も大観衆の中で投げられたら、最速を更新できていたのかもしれないです」

いたずらっぽく笑った。今度は岩佐自身が、後輩を追い越す番だ。

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