野球

特集:あの夏があったから2021~甲子園の記憶

近江・有馬諒 2年連続の夏、主将での苦労や多くの気づきが成長の糧に

100回大会前橋育英戦、九回にサヨナラ打を放ちガッツポーズをする有馬(撮影・金居達朗)

近江(滋賀)で1年生の秋から正捕手としてマスクをかぶり、春夏と甲子園の土を踏んだ有馬諒(りょう、関西大学2年)は2年生ながら冷静沈着な司令塔ぶりが印象的だった。夏の第100回記念大会では同じ2年の技巧派左腕の林優樹(西濃運輸)を含め4投手を巧みにリード。インタビューでも落ち着いた口調で丁寧に対応する大人顔負けの立ち振る舞いは、ベテランの多賀章仁監督から一目置かれるほどだった。翌夏は主将として甲子園に戻れたが、苦労も多かったと振り返る。

100回大会智辯和歌山戦、二塁へ送球し、走者をアウトにする有馬(撮影・朝日新聞社)

甲子園優勝経験校を次々に撃破

100回大会では初戦で智辯和歌山(和歌山)を破り、2回戦の前橋育英(群馬)戦では自らのサヨナラ打で試合を決めた。そして3回戦の常葉大菊川(静岡)戦。バントをしないフルスイング打線が看板の相手はこの年も奈良間大己(立正大学3年)を中心に、強打者が並んでいた。先発マウンドに立ったのは林。ストレートは決して速い方ではなく、緩急が持ち味の林が、どう対応できるのか。有馬は慎重に対策を練っていた。

常葉大菊川の主将・奈良間大己、無我夢中で甲子園を楽しんだ本物の野球小僧

「林は県大会から本当は調子が良くなかったんです。本来はチェンジアップで空振りが取れているはずが、当てられていることが多かった。甲子園が始まる前までは緊張していたと思うのですが、元々肝が据わっている方で、負けん気も強い。甲子園では投げるごとに調子が良くなっていたと思います」

得意のチェンジアップを武器に五回までを無安打に抑え、8回を3安打1失点。ピッチングの組み立ては全て有馬が考え、事前に林に伝えることはなかったが思惑通りの内容だったという。

「常葉大菊川打線に対しては、特に振ってくる右打者は林が得意だと思っていたので、キーになる緩急を使いながら、いかにチェンジアップを最後にもっていけるか。内に緩く食い込んでくるカーブでファウルを取りながら抑えられました。あの試合は林のベストピッチだったと思います」

100回大会常葉大菊川戦、8回を1失点に抑えた近江の林(撮影・藤原伸雄)

逆転サヨナラ2ランスクイズ

準々決勝の相手は金足農(秋田)。大黒柱のエースの吉田輝星(日本ハム)の快投と、3回戦で横浜から八回に逆転3ランで勝利を挙げるなどのっていた。当然、試合では先手を奪われてはいけないことを頭に置きながら、先発の佐合大輔をリード。4回無失点で五回から林にバトンを渡したが、1死三塁からスクイズで同点とされた。その直後の六回に近江が1点を勝ち越したものの、試合開始からスタンドの盛り上がりが異様だったことが、有馬の中に鮮明に記憶されている。

「前に(16年夏に大逆転勝利をした)東邦(愛知)と八戸学院光星(青森)との試合をテレビで見たことがあったんですけれど、自分たちは近畿のチームだし、そこまで一方的な雰囲気にならないかなと。ただ……」
有馬は表情を少しだけゆがめる。

「1点差で終盤になったのが嫌でしたね。九回の表の攻撃は自分が先頭打者だったんですけれど、自分と(次打者の)住谷(湧也=西濃運輸)がヒットで出て、ノーアウト一、二塁のチャンスで点が入らなかったんです。しかも三振、バント失敗、三振と嫌なアウトのなり方で……。自分たちの攻撃が終わった時、スタンドがものすごく沸いていて、異様な雰囲気でした」

本来なら好機で点を取れずに攻撃を終えると、守備につくときに仲間に何らかの声を掛けていたはずだ。だが、大声援の中でそんな余裕がなかった。「今思えば、何か言っておけばよかったですね」と、有馬はポツリとつぶやいた。

バックネットに背を向けていた有馬は、背中から圧を感じていた。九回裏は先頭打者が安打で出塁すると、さらにスタンドから大歓声が響いた。次打者も続き、無死一、二塁。その後、林が四球を許し、無死満塁とピンチが膨らんだ。スタンド全体から沸き上がるような声援が徐々に大きくなり、気が付けば360度スタンドからの声援が金足農にエールを送っているように見えた。自分たちを応援してくれている三塁アルプスの声はかき消され、球場全体が近江ナインを飲み込んでいく。その時、有馬はこう思った。

「テレビで見た東邦と八戸学院光星戦の光景が、まさか自分たちの試合で起こるなんて」

そしてその直後。あの逆転サヨナラ2ランスクイズが生まれ、激戦は終止符を打った。

100回大会金足農戦、2ランスクイズで逆転サヨナラ負け。グラウンドに突っ伏す有馬(撮影・水野義則)
金足農・菊地彪吾 ツーランスクイズで生還した準々決勝、スクイズ失敗の決勝

3年生が涙ながらにベンチ前で甲子園の土をかき集める中、2年生だった有馬は土を持ち帰らなかった。翌日、朝食を取って宿舎を後にする直前にキャプテンを告げられた。

最終学年、思うようなプレーできず

さらに注目を浴びたのはその夏以降だった。秋の大会では、相手チームが、甲子園で1大会個人最高打率.769を残した住谷を抑えれば盛り上がり、エースの林からヒットを打って過剰に喜ぶケースもあった。何とか秋の県大会を制して近畿大会に出場したが、初戦で報徳学園(兵庫)に敗れ選抜大会出場はならなかった。夏の甲子園には連続出場し、2回戦で東海大相模(神奈川)と対戦したが、ミスが続いて自分たちのリズムがつかめず1-6で破れ、高校最後の夏は初戦で甲子園を去ることになった。

101回大会東海大相模戦、チーム初安打の二塁打を放つ有馬(撮影・柴田悠貴)

「最初に自分がエラーをしてしまったのですが、東海大相模さんという相手の雰囲気に飲まれてしまったのかもしれません。林は頑張って投げてくれたので(9回完投し被安打6、自責点1)、申し訳なかったです」

最終学年になってからは、どちらかと言うともがき苦しむ時間の方が多く、最後は不完全燃焼で高校野球を終えることになったのかもしれない。

「正直なところ、3年生の時の方が大変だったことはあります。周囲からは『負けるはずがないやろ』という目で見られました。研究もされましたし、思うようなプレーができなかった試合もあった。でも、あれだけのお客さんの前で試合をすることはなかなかないし、今後もあるのか分からない。甲子園はとても貴重な経験にはなりました」

ドラフト候補を追いながら

大きな期待を受け、昨春、関西大学に進学。2年先輩に今秋のドラフト候補とも言われている正捕手の久保田拓真(4年、津田学園)がいるが、リーグ戦ではスタメンマスクをかぶる機会が徐々に増えている。

関西大学2年になった有馬。先輩の久保田からも学ぶ(撮影・沢井史)

「自分には実際に兄がいますが、大学では先輩がみんなお兄ちゃんのよう。すごく良くしてもらっています。小学校から野球をやってきて、中学、高校と早い段階で試合に出させてもらっていたので、自分より飛び抜けているキャッチャーをチーム内で見たことがなかったんです。久保田さんの体の強さやプレーを見ていて、自分はまだまだだと気付かされました。久保田さんとの出会いに感謝しています」

関西大学の久保田拓真、「勝てる捕手」を極めて続くプロへの道

身近にいる大きな目標を目の前にし、再び全国大会の地に立つことを誓いながら日に日に成長を続けている。

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