ダイブの写真切り抜き、誓った「数センチの借りを返す」 神奈川大・吉岡道泰(上)
第104回全国高校野球選手権大会が阪神甲子園球場で行われています。4years.では、昨年2年ぶりに開催された舞台に立ち、その後、大学野球の道に進んだ1年生の選手たちに、高校時代のことや今の野球生活につながっていることを聞きました。第8回は、選抜高校野球大会の悔し涙から一転、笑顔で最後の夏を終えた神奈川大学の吉岡道泰(専大松戸)です。前後編に分けて、お届けします。
「あの日は一生忘れない」
吉岡には「あの日は一生忘れないかもしれないですね」という1日がある。
2021年3月25日。選抜初出場の専大松戸は、1回戦で中京大中京(愛知)と対戦した。エースの深沢鳳介(現・横浜DeNAベイスターズ)と相手先発の好投手・畔柳亨丞(現・北海道日本ハムファイターズ)が、ともに得点を許さず、一回からゼロ行進が続いた。
七回2死の守りで、専大松戸は前進守備を敷いた。「畔柳から1点を取ることすら難しかったので、超前進守備でした。芝生の切れ目のちょっと後ろぐらいを守っている感覚でした」とレフトを守っていた吉岡は振り返る。相手打者の打球が、ライナーで自分のところに飛んできた。
ダイビングキャッチを試みたが、届かなかった。打球は後方を転がり、ランニング本塁打に。この2点で試合は決した。試合後は涙に暮れたが「定位置だったら、ワンバウンドでバックホームをしていたと思います。今でも自分の判断は間違ってはなかったと自信を持って言えます」。前に守っているのだから、前に打球を落とされることだけは防ぎたい――。野手としては当然の心理だった。
着替えもせず、黙々とほおばった中華丼
宿舎に戻り、1人部屋で携帯電話を触り、ツイッターを開いた。「DMがすごい飛び交ってました」。アプリは削除した。「俺の甲子園、こんなんで終わりなんだ」と卑下してしまい、落ち込んでいると、また涙が出てきた。すると主将の石井詠己(現・立正大)が入ってきて「もう1回、夏に行こう。今度はお前が決めてくれ」と声をかけられた。
第1試合だったため、宿舎で昼食をとった。「円卓で、メニューは中華丼でした。メニューを覚えてるんです」。他の仲間は、全員がシャワーを浴びて着替えた状態で、昼食会場にやってきた。ただ一人、吉岡だけが試合で着たユニホーム姿のままだった。胸から腹にかけては、試合中に飛び込んだ際についた緑の芝生の跡が、くっきりと付いていたという。「みんな、自分に気を遣いますよね……。全く話しかけられなくて、黙々と食べました。中華丼。せめて着替えてくればよかったです」
昼食後、ミーティングが開かれた。吉岡は自らの意思で、持丸修一監督の目の前に座った。「優しいおじいちゃん」のように「よくやったんだから、俺、かける言葉ねぇよ」と言われ、笑顔で「あと何センチだった? 何ミリだった?」と尋ねられた。そしたら再び、涙が出てきた。その夜は一睡もできなかった。
明け方。宿舎の近くにあるコンビニエンスストアで、スポーツ新聞を買った。自分がダイビングキャッチを試みた写真を見つけ、切り抜き、野球ノートに貼った。記した言葉は1行だけ。「夏はこの数センチの借りを返す」
松戸から甲子園に行きたい
吉岡は千葉商科大付属高校の野球部監督を務めていた父親の影響もあり、小学2年生から野球を始めた。それ以前から野球部のグラウンドに遊びに行ったり、テレビで高校野球中継を見たりして、野球への関心は高かった。「父にバッティングセンターによく連れていってもらったんですけど、バットを握ったときには、左バッターボックスに立ってました」。甲子園で第92回大会の準決勝を観戦したこともある。
小学5年からキャッチャーになり、クラブチームの江戸川中央シニアへ。横浜高校で昨年主将を務めた安達大和(現・日本体育大)、日大三高の昨年の主将・山岡航大(現・桜美林大)、関東一高の捕手・石見陸(現・立正大)らそうそうたるメンバーがいた。「勢ぞろいの中で勝負してみたい」と吉岡。ただ石見には「肩が強くて、体もでかいこいつにはかなわない」と感じた。足と打撃には自信があったため、指導者からのすすめで外野手に転向した。中学のとき、初めて全国の舞台に立った。神宮球場での初打席でヒットを打ったという。
高校の進学先は、なかなか決められなかった。どこなら「教師になって高校野球の監督になる」という夢に近づくことができるのか、悩んだからだ。
そんなとき、父親に専大松戸のグラウンドへ連れていかれた。「自分の家からグラウンドまでは、自転車で10分もかからないぐらいです」。練習を眺めているとき、「こんなに効率のいい練習をして、いい監督と指導者がいる」と感じた。吉岡は千葉県市川市の出身だが、小中学生の頃は隣接する松戸市の学校に通うほど、両市の境目に住んでいた。「地元愛が沸いてきて、松戸から甲子園に行きたいと思ったんです」
選抜決定後も、緊張感のあるノックや実戦
入ってみたら中学時代から目立っていた選手は少なく、「谷間の世代」と言われた。投手陣は深沢と岡本陸(現・専修大)の2人がそろい、計算が立った。打線は「チームのための自己犠牲」を一人ひとりが思っていた。高校2年秋の新チームになってからは、1カ月間でバントと盗塁を徹底して磨いた。
加えて「練習中も選手の間で怒号が飛び交うほど言い合っていました。1年生も2年生に対して言います。そこで『何だよ』と思わなかったのが、自分たちの強みなのかなと思います。受け入れる力っていうんですか。悪かったと思ったときは認める力がチーム内にありました」。たとえば、練習でミスが続いたときは一度ストップして、叱咤(しった)激励し合った。チームが選抜出場を決めた後も、緊張感のあるノックや実戦形式の練習は続いた。