陸上・駅伝

特集:第99回箱根駅伝

立教大・ミラー千本真章 箱根路へ主将の決意「みんなにかっこよく走ってほしい」

MARCH対抗戦に出場したミラー(すべて撮影・藤井みさ)

11月25日のMARCH対抗戦、立教大学の主将・ミラー千本真章(みらーちもとまっくす、4年、立教新座)は開始直後の1組で走り自己ベストを更新。箱根駅伝に向かうチームに勢いをつけたいと思いを語った。

「走れない」からこそ貢献を

ミラーはこの大会、練習という位置づけで急遽出場することになり、30分から30分30秒を目標に走り始めた。長身のミラーは歩幅が合わないこともあり、集団の最後方に位置取ってペースを刻む。集団は1000m3分ペースで進み、先頭の5000mの通過は14分59秒だったが、ミラーは次第に集団からは離れ始めた。苦しい顔になりながらもなんとかこらえ、30分36秒12でフィニッシュ。従来の持ちタイムだった31分25秒01からベストを大きく更新した。

「30分から30分半でという話でしたが、6秒届かなくて詰めの甘さを感じました」と言いつつも「4年生になってから一つも自己ベストがなかったんですが、不本意というか満足してる記録じゃないけど、自己ベストを出したのは自分の中で一つポイントになったと思います」と話す。

不本意な記録がらも自己ベストを更新

「僕自身、(箱根駅伝)出走では貢献できないので」。ミラーは自分が箱根駅伝を走れないのだと明かした。箱根路を走らない自分が、キャプテンとしてどうチームに貢献できるか考えた時に、出走する選手が「こんなに強いチームで選ばれたんだ」と思って、気持ちを上げてもらうことが一番だと考えた。自分が5000m13分台で走れば、「こんなに強い人に勝ったんだ」とメンバーたちが自信に思ってくれるのでは。そう考えて、5000mで記録を出すことを見据えての今回の出場だったという。

立候補して主将になるも、長かった苦しみの時期

ミラーは3年時の4月、金栗記念1500mで3分44秒30をマークし、立教大記録(当時)を更新。5月の関東インカレ2部1500mでも、雨の中後続に2秒以上の差をつけての圧勝。6月には1500mで日本選手権にも出場した。しかし7月、椎間板ヘルニアを発症。今年の6月の日本選手権の10日ほど前に復帰するまで、ほぼ1年間満足に走れない時期が続いた。

昨年の関東インカレ2部1500mでは圧勝ともいえる勝ち方だった

そんな中でも、昨年10月の箱根駅伝予選会が終わり、最終学年になるにあたって、ミラーは主将に立候補した。中学から立教新座に通い、立教で10年。抽象的だが「立教らしさ」を体現したい、「立教といえば俺だろ」という気持ちがあった。

「上の代の先輩で主将を務めた方にも立教新座出身の先輩(増井大介、2021年卒)がいて、かっこいいなと思っていました。自分はミドル(中距離)中心にやってきたけど、やっぱり頑張る後輩の姿を見ていて、箱根駅伝に貢献したいという気持ちもあって、主将をやりたいと思いました」。同期もミラーの思いを聞いて、「それを聞いたらサポートしたい気持ちが芽生えた」と言ってくれた。「同期がすごい優しくて……本当にダメダメな主将で助けてもらってばかりです」

立教大は「立教箱根駅伝2024」プロジェクトを掲げ、2018年12月より上野裕一郎監督が就任。20年4月から上野監督が高校をまわってスカウトした選手が入学・入部するようになった。寮も20年3月に完成。しかし上野監督の「学生主体」という方針から、強豪校のように門限や消灯時間を厳しく設けたりなどはしていなかった。よくいえば自由だが、悪くいえば緩んでいるともいえる状況。ミラーたちは代替わりした当初、「今のままでは絶対に(箱根駅伝出場は)無理だ」と同期の中で話し合い、消灯時間を22時半に設定し、学年・幹部・全体のミーティングの体制なども整えるようにした。

今年6月の日本選手権1500mでようやく復帰。この時は予選落ちだった

それまでは21時半や22時などに寝ている選手もいれば、23時頃に寝る準備をして23時半に寝る選手もいるなどバラバラだった。結果、早く寝て睡眠時間を確保したい選手が寝られない事態になっていることもあった。さらにはシンプルに、競技のためには睡眠時間はある程度必要だと考え、消灯時間を設定したが、当初は反発も大きかったという。さらに、自分たちが不慣れなこともありミーティングがぐだぐだになってしまうこともあり、下級生からの不満が聞こえることも。代替わりした当初はとにかく耐える、辛い時期が続いた。

けがで走れておらず、競技で前に立って引っ張れないこともミラーの負い目になっていた。その頃の日記を見返すと、苦しい気持ちが綴られている。「本当に部活も辞めたいと思った時期もありましたし、本当に苦しい中頑張ったなと思います」と思い返す。だが苦しい時期を同期が支えてくれ、新しい取り組みも根気良く続けることでチーム全体も変わってきた。ミーティングで下からの意見を取り入れ、寮の掃除や自転車の並べ方など小さなところから、大会に臨む目標まで、日々話し合いながらここまでやってきた。

チームの「意識の要」となるように

ミラーは前述の通り6月の日本選手権の10日ほど前にようやく競技に復帰したが、夏の選抜合宿にも入れず、長い距離を踏めていなかった。そのため箱根駅伝予選会のメンバーに入れないことはわかっていた。「選抜合宿の雰囲気とか(副将の)金城(快、4年、作新学院)から聞いた時にいい雰囲気ができていたのもわかっていたので、自分としては他の貢献の仕方があると考えてました」。その言葉通りサポートに回り、55年ぶり箱根出場の瞬間はチームメートみんなで喜んだ。「キャプテンになって苦しい時期もありましたけど、箱根駅伝予選会突破という事実だけでこんなに幸せに感じられるんだなと思いました」

予選会は走れなかったが、本戦を諦めたわけではなかった。自分なりに100%準備もしてきた。しかし11月になって、出走が叶わないと正式に決まったという。4年生として引退が決まっていて、箱根駅伝も走らない。数週間、モチベーションの持って行き方がわからなかったと正直に話す。MARCH対抗戦の前の練習で、上野監督に「ミラーくんが意識の要だから、頑張ってくださいね」と声をかけられ、「僕はどこの方向に向かって走っているんですか」と監督に言葉を返した。上野監督は相談に乗ってくれ、5000m13分台を出すことでチームのモチベーションを上げられるように、と自分なりの目標を決めた。

主将として、最後までチームに貢献できるように。悩みながらも前へ

「100%切り替わっているかといえば嘘になっちゃうんですけど、もしかしたら来年4年生で(箱根を)走れない人も出てくるかもだし、そういう選手たちのモデルじゃないですけど、『去年ミラー先輩が頑張ってたな』と思い出してくれればいいなと思います。それから、走るべきメンバーが自信をもってスタートラインに立つのが一番だと思っています。こんなに強いチーム、選手の中から選ばれて出走するんだ、と思わせるのが一番の貢献じゃないかなと思います」

ミラーはけがのこともあり、大学で競技を引退すると決めている。今のところは、「まだだいぶ先なのでわからないんですけど」と前置きし、2月の男女混合駅伝に出場し、区間賞を取って終わりたいと考えていると話す。

箱根駅伝出場が決まってから、チームの練習もいい雰囲気でできている。大きな舞台は走れなくても、最後まで主将として、自分なりの貢献をしたい。「貢献の仕方を探して背中で見せていくのが、監督が言っていた『意識の要』になると思うので。そこはまだ100%できていないと思うので、全力で背中で見せるキャプテンになれればいいなと思います。まだたぶん、みんなの『理想のキャプテン』にはなれていないと思うので。最後に『僕でよかった』と多くの人が思ってくれるようになれればいいなと思います」

箱根駅伝まであと1カ月。走ることは叶(かな)わなくても、全力でチームのために。ミラーの最後の挑戦は続く。

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