関西学院大学・池端航洋 「誰かの活力になる」ために、準硬式から目指すNPB選手
準硬式野球の関西六大学リーグ戦3連覇と関西地区選手権2連覇の立役者、関西学院大学の池端航洋(4年、土佐)が目標としているのはプロ野球選手だ。人生の分岐点とも言える4年間を振り返ってもらった。
進学校で練習と勉強の毎日「野球が嫌いに」
大阪府高槻市で生まれた池端が、野球を始めたのは小学1年生の頃。4歳上の兄が所属していた少年野球チームに欠員が出たことがきっかけだった。中学ではクラブチームに加入したが、ほとんど試合に出ることはなく2年生で挫折。そんなときに目にしたのが、高知県の土佐高校野球部だった。
甲子園でプレーする進学校に心を奪われた池端は、学業にシフトチェンジ。得意だった勉強に全力を注ぎ、見事、合格通知を手にした。しかし、待っていたのは憧れとはほど遠い生活。「しんどいことばかりで、とにかく野球が嫌いになった」。
高知県で一番の進学校のため、時間割に「0時間目」が存在する。毎日、朝5時50分に起きては練習と勉強を繰り返したが、3年間で甲子園の地を踏むことは一度もなかった。「野球はこれでやめよう」。そう心に決め、関西学院大学に入学した。
心残りだった投手挑戦 初登板で完全試合
野球をするつもりはないと言いつつ、池端には二つの心残りがあった。高校時代、ピッチャーを志望したが、チームメートに四国選抜に選ばれるほどの選手がいたため、ポジションはサード。そして、ラストイヤーには3度も骨折を経験した。「最後の夏やったのに、まともに野球ができなかった」
後悔を払拭(ふっしょく)しようと、もう一度挑戦することを選んだ池端。だが大学からピッチャーを始めることに引け目を感じ、硬式野球ではなく準硬式野球を選択した。すると公式戦初登板で、関西六大学準硬式野球では半世紀ぶりの完全試合を達成した。
すぐさま結果が出たように思えたが、続く関西地区選手権の初戦で3回5失点。「ピッチャーって簡単なんやって思うようになっていたから、苦い経験ができて良かった。おかげでてんぐにならずに済んだ(笑)」と振り返る。
同期のライバルと高め合いプロの道を意識
彼を強くしたのはライバル、水渉夢(みず・あゆむ、4年、中京学院大中京)の存在が大きい。2年生の秋に池端は最多奪三振賞のタイトルを獲得し、関西選抜に選出された。さらに目標としていた140キロを計測。しかし、注目を浴びていたのはともに関西選抜に選ばれた水だった。「正直、劣等感でいっぱいやった」と本音を漏らす。どれだけ追いかけても届かない背中をきっかけに、練習がなくても毎日グラウンドへ通った。「投げることが楽しすぎて野球をやめたくない」。この時期を境に徐々にプロの道を意識するようになった。
その後、池端は3年の秋に最優秀投手、最多奪三振賞、ベストナインの3タイトルを獲得。「初めて満足のいくシーズンになった」。自信をつけたことで、水への感情にも変化が生まれた。「あいつは俺が持ってないものを持っている。2人で高め合って一緒にうまくなれたらいいなって思うようになった」
もともと水とは週3回も家に泊まるほどの仲。だからこそ、誰よりも近くで相手の考えを感じ、能力を認めることができた。水自身も「池端がいなければここまでの成果は得られなかった」と話す。互いに支え合い、良き友、良きライバルとして関学のダブルエースに上り詰めたのだ。
「準硬式の選手は採りません」に挫折感
3年生の夏、初めて受けた社会人野球のトライアウト。まだプレーを見てもらっていないにもかかわらず、電話で「準硬式の選手は採りません」と言われた。「大きな挫折やったし、準硬ってそう思われているんやって悔しくて」。
プロ野球選手になるために、自分の魅力を売り出すために、できることは何か。その一環として始めたのがSNSでの発信だ。当時、ともに個人練習をしていた同志社大・濱盛力(はま・もりちか、4年、広陵)の影響を受け、「コピのピッチング」という名のアカウントを開設した。今ではフォロワーが約2万人に。
「池端さんのピッチングを見てピッチャーを始めた」。「池端さんみたいなピッチャーになりたい」。いつの日からか、自分の投稿に感謝のメッセージが届くようになった。「誰かの活力になれてうれしいし、今後も勇気を与えられる存在でいたい」。彼にとってSNSでの発信は、当初の目的以上のものを得ることができたと言っても過言ではないだろう。
大学生活の最後に憧れの地でプレー
順風満帆に思えた大学での競技生活だが、彼には忘れられない試合がある。4年生の春季リーグの同志社大学戦で、九回裏に3失点しサヨナラ負けした。多くの選手が涙を流しながら会場を後にしていた。「チームを負けさしたのは俺。投げることが怖くて、水に完投してくれって頼んでいた」。
トラウマを抱えながら迎えた同大との優勝決定戦。九回裏にマウンドへ上がったのは池端だった。1死二、三塁のピンチを招き、タイムを取った。「お前で負けたらしゃあない!」とチームメートの真鍋旭(4年、西条)に声を掛けられた。その場面を抑えきり、19年ぶりのリーグ3連覇を達成した。
「大事な場面で俺を信じてくれたことがうれしかったし、あの言葉があったからもう一度頑張れた。旭には感謝してる(笑)」。チームは順調に勝ち進み、創部以来初の関西地区選手権連覇と全日本大学選手権出場を達成。さらに、東西対校日本一決定戦の西日本代表に選出され、憧れの甲子園で腕を振った。大学生活の最後に数々の快挙を成し遂げ、高校時代に切望した場所でプレーする。まさに夢物語だった。
目指すはNPB「はい上がりたいねん」
新天地は独立リーグの高知ファイティングドッグス。既にチームに合流し、練習に参加している。周りの反応は千差万別だ。「普通に就職すれば良いやん」。この1年、何度も投げかけられた言葉だ。就職活動にも取り組み、最終面接まで進んでいたという。だが、安定した未来を捨ててでも、プロ野球選手になれるかもしれないという可能性にすがることを選択した。
「大学からピッチャー始める人はなかなかおらん。県で一番の進学校出身っていうのも珍しいはず。なんなら準硬式野球からNPB目指す人も俺ぐらい。野球のエリートじゃないからこそ、はい上がりたいねん」
明るい未来が待っている確証はない。しかし、あがけばあがくほど誰かに希望を与えられると彼は信じている。「ずっと活力の源でいたいから」。これが池端航洋の選んだ道だ。いつの日かこの選択が実を結ぶことを切に願う。