フィギュアスケート

特集:フィギュアスケート×ギフティング

関学・櫛田一樹 大学ラストイヤーは原点に戻って「スケートを楽しむ」心で

「スケートが好き」という原点に立ち返り、櫛田は大学ラストイヤーを駆け抜ける

2021シーズン、一層の活躍を誓うスケーターが関学にいる。スケート部フィギュア部門の櫛田一樹(4年、岡山理科大)だ。現在は来たるシーズンの始まりを前に、地元・岡山で練習を続けている。「岡山にも緊急事態宣言は出たが、人数制限のある貸し切りリンクで練習をしている」。今シーズンから正式に有川梨絵コーチが就任し、体制を整えた櫛田。「4回転の成功率も高まってきていて、昨シーズンと比べると充実した練習ができている」と調整は順調だ。

昨シーズン、コロナ禍の影響は全世界に拡大し、櫛田も例外ではなかった。「3カ月は氷の上で滑れなくて、感覚を取り戻すのに苦労した」。練習再開後、急ピッチで調整を重ねるも、今度は足に痛みが走った。練習不足の影響は否めず、成績にも大きく響いた。4年連続4度目の全日本選手権に出場するも16位。櫛田は「ショート、フリー共に悔しさしかない」と下を向いた。目標だった強化指定選手への選出も叶わず。「2021シーズンこそ自分が納得できる演技をしたい」と活躍を誓っている。

田中刑事の滑りに目を奪われ、スケートの道へ

不断の努力を重ねたからこそ今がある。櫛田がスケートを始めたのは、小学5年時。櫛田のような全日本レベルのスケーターの中では異例の遅さだ。きっかけは、母親にリンクに誘われたこと。櫛田は渋々向かったというが、一瞬でスケートの虜になった。「貸し切り練習で田中刑事選手が滑っていて、ジャンプに目を奪われた。俺にもできるんちゃうかな、できたらかっこいいなと」

地元・岡山で田中刑事の滑りを見て、一瞬でスケートの虜になった(写真提供:アフロ JSF)

一度のめり込むと抜け出せない性格も起因し、猛練習を開始。1日6時間以上滑ることもざらにあった。上手くいかないときは「同じ人間だから、あの人にできて自分にできないことはない」と自らを奮い立たせた。メキメキと実力を伸ばし続けた櫛田。競技を始めてからわずか1年の小学6年時に、全日本ノービス出場を果たした。その頃には大会プログラムにある自身の趣味欄にスケートと書くほどに。渋々向かったスケートリンクは、いつの間にか櫛田にとって大切な場所になっていた。

中学1、2年時には全中に出場。それぞれ入賞を果たすなど、順調に成長曲線を描き続けた。高校進学時は、「田中刑事選手と同じ道を」と岡山理科大附属高へ進学。健康スポーツコースに所属し、文武両道を実現した。「成績はクラスで一桁台に入るように勉強していた」。だが、高校3年時に担任の先生から「最後の1年くらい競技に集中してもいいんじゃないか」との言葉をもらった。その通りに練習量を増やすと、この年、櫛田は大きく飛躍する。全日本ジュニアで4位入賞し、招待選手として出場した全日本選手権では17位。その後、派遣されたババリアンオープン(Jrクラス)優勝を果たした。

ラストイヤーは「スケートを楽しむ」

だが、大学進学後はなかなか思うような結果を残すに至っていない。過去3年の全日本選手権の成績は16位、18位、16位と強化指定選手の枠に入る12位まであと一歩のところで涙をのんでいる。櫛田はその要因をこう分析する。「大学に入ってスコアばかりを考えるようになって、知らない間にプレッシャーを感じていたのかもしれない」

大学に入ってからスコアを気にしてしまい、思うように滑れなかったという(写真提供:アフロ JSF)

迎えた大学ラストシーズン、櫛田は決断した。「結果が出た高校3年時のように、最後くらいは楽しんでスケートをする」。宣言通り、フリーには会場が盛り上がる曲を選択。今季にかける櫛田の思いが表れている。出場が決まれば5度目となる全日本選手権。スケートを楽しむ櫛田の姿がそこにはあるはずだ。

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