野球

慶大・清原正吾 6年間のブランクを埋め、4番打者に成長「注目されるのはうれしい」

今春は慶應義塾大の4番を任される清原(すべて撮影・井上翔太)

東京六大学春季リーグは6月1日から最終週の早慶戦が開催される。すでに慶應義塾大学は優勝を逃し、早稲田大学は勝ち点を取れば優勝となる。ライバルの胴上げ阻止、そして公式戦初アーチへ。多くの期待を背負って打席に立つのが慶應義塾大で今春、4番打者を務めてきた清原正吾(4年、慶應)だ。

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父とは「今じゃ何でも話せる関係です」

父はPL学園高校(大阪)時代に2度の全国制覇を果たした清原和博さん(56)。プロ野球では西武、巨人、オリックスの3球団を渡り歩き、歴代5位の通算525本塁打を放った大打者だ。清原正吾は父と同じ右打者で、ポジションも同じ一塁手。神宮球場では、野球ファンにはなじみ深いアナウンスが流れる。

「4番ファースト、清原君」

身長186cm、体重90kg。屈強な体格から生み出される力強いスイングを武器に、今春から主軸の座をつかんだ。4月13日にあった東京大学との開幕戦でリーグ初打点を挙げるなど、チームトップの6打点(早慶戦前時点)で打線を引っ張っている。

かつては「清原」の名前を背負って野球をすることに踏み出せなかった。ただ、現在は父について、照れずに言う。

「今じゃ何でも話せる関係です。大好きっすよ」

東京大学との開幕戦でタイムリーを放ち、リーグ初打点を挙げた

物心がついたころ、父はプロキャリア終盤

一家の歴史をたどれば、その言葉の重みがわかる。清原の生まれは2002年。物心がついたころ、父はプロ選手としてキャリアの終盤を迎えていた。オリックスに在籍していたころ、京セラドーム大阪へ応援に行った。普段は父に会える時間が少なくても、大勢の観客から大声援を受ける姿はまぶしかった。

清原は小学生の時に軟式野球に打ち込んだが、中学で選んだのはバレーボール部だった。友人に誘われたという理由だけではない。「大スターの長男として野球をすることを重圧に感じていたのかもしれない」と振り返る。

2016年、父が覚醒剤取締法違反(所持など)の疑いで逮捕され、その後、懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。思春期を迎えていた当時の気持ちは計り知れない。「ショックな気持ちはもちろんあったけど……。言葉では言い表せないですね」

父と再会するまでには3年の月日が流れ、清原は高校生になり、アメリカンフットボール部に入っていた。硬式野球に打ち込む中学生の弟、勝児が「(父に)相談したい」と言い出したことが、再会のきっかけだった。「長男として家族を何とかしたい」。母の亜希さんや弁護士と相談して、その場ができた。

父は第一声で涙を流し、「ごめんな」と謝った。ジャージー姿の3人でキャッチボールや打撃練習をした。父も弟も、うれしそうだった。正吾自身、小さい頃は「少し怖いと思っていた」という父は、そこにいなかった。

中学はバレーボール部、高校はアメリカンフットボール部に所属。野球は6年間のブランクがあった

入部直後はノックでエラーを繰り返したが

この日を境に、父はよく勝児と会い、相談に乗るようになった。徐々に亜希さんも含めた家族4人で会う時間が増えていった。

高校3年春、新型コロナウイルス感染拡大の影響で休校となり、アメフト部の練習もなくなった。自宅の近くで勝児の練習を手伝うと、びっくりするほど楽しかった。「勝児がしんどそうに笑いながら、汗水垂らしてボールを追いかけていたんです。『甲子園行きたい』って言って。そのとき、野球って素晴らしいスポーツだなって思いました」

最初は手伝いのつもりだったが、徐々に正吾自身の練習時間が増えると、別の思いが芽生えていった。

「最後の学生生活、何か家族に恩返しができないか」

「社会復帰に向けて頑張る父の活力になりたい」

「野球にチャレンジすれば家族が元気になるんじゃないか」

野球を離れてから6年のブランクがありながら、慶應義塾大野球部への入部を決めた。家族を喜ばせるためだけではなく、「トップになる」という覚悟も持っていた。

ただ、一筋縄ではいかなかった。入部直後、全体練習でノックを受けた。自分だけエラーを繰り返したが、誰からも怒られなかった。「6年間やっていないからしょうがないな、っていう風に見られていた。それが悔しくて、自分を許せなかった」

バレーボールで培った瞬発力に、アメフトで鍛えた屈強なフィジカル。そこへ父譲りの長打力が合わさり、今春のオープン戦で花開いた。打点を挙げれば毎試合のように報道陣に囲まれるが、「注目していただくのは本当にうれしいこと」。家族への思いが、プレッシャーに打ち勝つ力になっている。

家族への思いがプレッシャーに打ち勝つ力になっている

離ればなれになった家族を再び野球がつなげた

20年6月に執行猶予期間を終えた父は、毎試合のように神宮球場で観戦し、ワンプレーワンプレーに目を細めている。昨夏、弟の勝児は慶應高校のメンバーとして昨夏の甲子園を制した。今度は自分の番だ。

「年末年始は家族4人で鍋を囲みました。みなさんにとっては当たり前のことかもしれないけれど、改めてこれが一番幸せなんだなって感じました。父は事件を経て優しくなった」

一度は離ればなれになった家族を再び野球がつなげた。清原は特別な境遇と思いを胸に、大学ラストイヤーを過ごしている。

当たり前のことが幸せだとかみ締めながら、清原は打席に立つ

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