清原正吾が入部する際、面談で本人が語った「覚悟」 慶應義塾大・堀井哲也監督(上)
近年の慶應義塾大学には毎年「右のスラッガー」のドラフト候補がいる。一昨年は正木智也(現・福岡ソフトバンクホークス)、昨年は萩尾匡也(現・読売ジャイアンツ)がプロの世界に進んだ。今季は東京六大学リーグ通算13本塁打の廣瀬隆太(4年、慶應)だけでなく、清原和博氏の長男・清原正吾(3年、慶應)も注目されている。堀井哲也監督はこれまでの経験から、清原とどう向き合い、成長させようとしているのか。自身の打撃理論とともに聞いた。
「清原という名前で野球をする」こと
プロ野球通算525本塁打を誇る強打者の長男・清原正吾は、入部当初から注目を集めていた。まだ実績はないが、デビューは昨秋。優勝がかかっていた早稲田大学との「早慶戦」2回戦で代打として出場した。4-8と4点を追う五回1死二塁で右打席に立ったが、結果はライトフライ。堀井監督の期待には残念ながら応えられなかったが、試合後の記者会見に呼ばれた。このとき「覚悟」を垣間見た。
普通の選手ならまず、会見に呼ばれることはない。しかし清原は当たり前のように会場へ現れた。「清原の長男」のリーグ戦初打席が、結果にかかわらずメディアからの注目を集めると、よく分かっているようだった。
堀井監督は清原が入部する際、面談を行ったという。
「中学ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部だったと聞いてましたので、『山あり谷ありの4年間になると思う。苦労するよ』と伝えました。そしてこうも加えました。『それだけでも大変だけど、周囲からは常に清原の長男という目で見られると思う』と。すると高校3年生だった清原は、私の目をしっかり見て『6年間のブランクがあることはもちろん、清原という名前で野球をする以上、それも覚悟しています』と言ったんです」
18歳の少年がなかなか口にできない言葉である。そこまでの覚悟があるのなら……と、堀井監督は受け入れた。
想定より1年早くレベルアップ
堀井監督によると、清原は想定より1年早くレベルアップしているという。
「Aチームのオープン戦でスタメン出場ができるレベルには到達しています。技術的には身のこなしが良く、スローイングが得意ですが、持ち味はやはり長打力。飛ばす能力はチームで1、2番だと思います」
とはいえ、6年間のブランクを経て、野球を再開してからまだ2年。もちろん課題もある。
「一番は対応力ですね。これは試合経験が少ないのもあるでしょう。中学、高校で野球をしてませんからね。投手に相対すると、まだ自分の間合いで打てないのです。バットもよく振り込んでますし、よく練習する子なんですが、試合では練習のイメージ通りには打てませんからね。打者は受け身のなかで、いかに自分の間で打つかですが、清原もそこがカギになると思います」
堀井監督は続ける。
「本人もバッティングの難しさを感じているようで、今年に入ってから確実にコンタクトすることに重きを置いているようです。それもあってオープン戦ではヒットも出てましたが、せっかくの長打力を生かしてほしい思いもあります。打順を投手の前、打つしかない8番にしているのもそのためなので」
慶應義塾大には清原以外にも、下級生に右のスラッガー候補がいる。堀井監督は「まだまだいますよ」と表情を緩めると、今泉将(慶應)、常松広太郎(慶應藤沢)、森村輝(小山台)、上江洲礼記(小山台)の4人の2年生の名前を挙げた。
廣瀬隆太に説いてきた「基本」
もちろん今季の主将を務める廣瀬も、注目のスラッガーだ。3年秋までに東京六大学リーグ通算13本塁打をマーク。慶大出身の高橋由伸氏(前・読売ジャイアンツ監督)が持つ通算本塁打記録(23)まであと10本に迫っている。
「廣瀬は私が監督1年目に入部した選手ですが、その時から『自分のもの』を持っていました。1年秋には東京六大学のレベルにも適応し、ここまで大きな壁にもぶつからず、順調に来ています」
進路もすでにプロ1本に絞っており、ドラフト会議での指名も有力視されているが、そんな廣瀬だからこそ、基本の大切さを徹底的に説いているという。「反発する気持ちもあるかもしれませんが、いま身に付けておけばこの先、上のステージで迷いが生じた時にも必ず役に立つはずです」
堀井監督によると、廣瀬は主将になったことで人間的に大きく変わったという。「立場は人を変えるといいますが、もちろんいい方へと。練習でも自分が一番やらなければいけないという姿勢でチームを引っ張っています。人としての成長はバッティングの成長にもつながると思います」
勉強を重ね、たどり着いた堀井監督の打撃理論
堀井監督は慶大の選手時代から理論派だった。努力に努力を重ねて4年秋にレギュラーの座をつかんだが、当時からやみくもにバットを振り込んでいたわけではなかった。大リーグで打率4割超えを果たしたテッド・ウィリアムズの著書で、往年の強打者も参考にした「バッティングの科学」をむさぼり読み、アメリカ遠征ではスイング軌道について貪欲(どんよく)に学んだ。
基本を重視する打撃理論にたどり着いたのは2002年ごろ、三菱自動車岡崎の監督をしていたときだという。授けてくれたのは、選手時代に近鉄バファローズ(現・オリックス・バファローズ)や中日ドラゴンズなどで主に代打として活躍し、現役引退後は中日で計9年間打撃コーチを務めた飯田幸夫氏だった。
「指導者になってから、いろいろな方の打撃理論を吸収してきました。(オリックスのコーチ時代にイチロー氏とともに「振り子打法」を考案した)河村健一郎さんや、(史上初めてセ・パ両リーグで首位打者になった)江藤慎一さんら、著名な識者からも教えてもらいました。その中で最大公約数的な考え方を自分の理論にしていたのですが、飯田さんの理論は、様々な人から聞いてきた打撃理論のどれにも当てはまるのです。腑(ふ)に落ちるものがありました」
以来、飯田氏とは「師弟関係」に。今でもよく、電話で廣瀬などの打撃について話を交わすという。