野球

「右のスラッガー」誕生の理由、基本と自覚の融合 慶應義塾大・堀井哲也監督(下)

これまでに多くの選手をプロの世界に送り出した慶應義塾大の堀井監督(撮影・上原伸一)

近年は毎年のように「右のスラッガー」が誕生し、打線を引っ張っている慶應義塾大学。一昨年は正木智也(現・福岡ソフトバンクホークス)、昨年は萩尾匡也(現・読売ジャイアンツ)がプロに進み、今年は廣瀬隆太(4年、慶應)だけでなく、清原和博氏の長男・清原正吾(3年、慶應)も注目されている。なぜ次々に生まれるのか。今回の後編では、堀井哲也監督に打撃の指導法と正木・萩尾の育て方について聞いた。

清原正吾が入部する際、面談で本人が語った「覚悟」 慶應義塾大・堀井哲也監督(上)

無安打で敗れた後、正木と廣瀬に伝えたこと

堀井監督が打撃を指導する上で重視しているのが「基本」だ。「アマチュアとして、大学の選手として身に付けておかなければならないこと。それしか教えていないです」

打撃にはいろいろな理論がある。ただ「構え」「テイクバック」「ステップ」(体重移動)「スイング(インパクト)」「フォロースルー」の順番で行うのが基本であり、一つ一つの動作が基本通りにできていれば、ボールをしっかり見て、打ちにいく体勢が作れる――。堀井監督はこのように考えている。

「要はいかに打ちにいくための準備をするか。小学生や中学生に言うような当たり前のことですが、試合では投手と対峙(たいじ)します。状態が悪い時は当たり前のこと、基本ができていません。下半身の力を伝えられずに上体打ちになったり、体が突っ込むのもそのためです」

シーズン中も打席の結果を見て細かな指摘をすることはない。選手によって表現や伝え方は変わるが、指導するのはもっぱら基本のことだという。2021年春の開幕戦で法政大学の三浦銀二(当時4年、現・横浜DeNAベイスターズ)にノーヒット・ワンラン(無安打1失点)を喫した後もそうだった。中心打者の正木と廣瀬に伝えたことがあった。

「翌日の試合前、中心打者の君たちが打たないと勝てないと。その日は神宮球場での打撃練習がなかったので、体勢だけチェックしようと。2人はチームバスの横で、構えからテイクバック、ステップと基本動作を20回ほど繰り返しました。調子そのものは悪くなかったので、基本の確認だけすれば、と思ったのです」

打撃動作一つ一つの「基本」を大切に指導にあたる(撮影・井上翔太)

すると正木は左翼席中段に飛び込むソロ本塁打を放ち、廣瀬も適時二塁打で勝利に貢献した。前日のショックを引きずらず、立て直しに成功すると、波に乗って8連勝。基本の確認が優勝へのターニングポイントになった。

「打てない時は基本の形ができてませんが、基本が身に付いていれば、基本の確認することで、そこに戻すことができます」堀井監督は話す。

ドラフトイヤーに進化を発揮した正木智也

堀井哲也が母校の監督に就任したのは2019年12月。その年の11月までは社会人野球の名門・JR東日本を率いていた。監督在任15年間に都市対抗で優勝1度、準優勝は2度果たしている。JR東日本の前には三菱自動車岡崎で8年間監督を務め、こちらでも都市対抗準優勝が1度ある。慶大では21年に春秋連覇を果たした。

選手の指導にも定評がある。JR東日本監督時代は31人の選手をプロ野球に送り込んだ。慶大でも昨年までの3年間で、木澤尚文(現・東京ヤクルトスワローズ)、正木、橋本達弥(現・横浜DeNAベイスターズ)、萩尾と4人のドラフト指名選手を出した。

慶大で最初に指導した右のスラッガーは、正木だった。

「正木のことは慶應義塾高校時代から知ってました。大学でも2年時に春・秋で3本塁打するなど、順調に成長してましたし、打撃を見たら、すでに自分の『間』や『ポイント』を持ってました。あとはスイングを磨きながら、目指すプロに向けて残りの2年間をどう過ごすか。そういう段階でしたね」

正木は堀井監督が就任したときすでに「間」や「ポイント」を持っていた(撮影・森田博志)

3年時の本塁打数は2年時と同じ3本だったが、正木はドラフトイヤーとなる最終学年で真価を発揮した。ドラフトを意識するがあまり、気負い過ぎる選手も少なくないなか、春は10試合で4本。日本一に輝いた大学選手権でも2本塁打を飛ばし、MVPに輝いた。4年時にスカウトの評価を高めたのは言うまでもない。

その裏には、社会人で数多くの「ドラフト候補」に接してきた堀井監督の教えもあった。

「まず、ドラフト候補と見られることに左右されるようなメンタルでは、とてもプロではやっていけません。評価されたら行けばいいし、されなければ社会人で2年間頑張る。そのくらいの割り切りが必要です。そもそも力が入り過ぎて打てないのは、本当の実力がないからなんです。そして大事になるのが、長期的な考え方です。ドラフト年だから頑張るのではなく、そこまでどのように1年1年を積み上げていくか。積み上げた先にドラフト指名があるのだと思います」

このことは毎年、プロ志望の選手に伝えているという。

萩尾匡也はフォームを一から見直した

4年時の昨年に春と秋で計9本塁打を放ち、プロの評価を急上昇させたのが萩尾だ。2年春にリーグ戦初安打をホームランで飾ったものの、レギュラーの座をつかめなかった。ただ、潜在能力は高かった。堀井監督は「身体能力は図抜けてましたし、スイングスピードは速く、飛ばす力もあった」と振り返る。一方でスイングの際にバットが体から離れる傾向が見られた。

このままでは持っている資質が発揮できないと、打撃フォームを徹底的に見直したのが3年春のシーズン終了後だった。夏の練習では堀井監督の指導のもと、動作を一つ一つ基本の形に戻していった。「萩尾は一番手をかけた選手だったかもしれませんね」

バットが遠回りする癖を修正するため、取り組んだのが「反対方向打ち」だった。これはチームで行っているドリルの一つだが、他の選手以上に多くの時間を費やした。

萩尾は打撃フォームを見直し、3年秋に能力が開花(撮影・井上翔太)

迎えた3年秋のリーグ戦。ゼロからもう一度基本を身に付け、コンパクトなスイングを習得した萩尾は、規定打席には達しなかったものの3割を超える打率をマーク。明治神宮大会では全3試合で2番に起用され、計6安打6打点と活躍し、本塁打も2本記録した。

3年秋から4年生にかけて急成長した萩尾。4年秋は「三冠王」にも輝いた。「反対方向打ち」の成果で右方向の打球も伸びるようになった。その裏には堀井監督との二人三脚の取り組みがあったが、堀井監督は、自分が指導したとは思っていない。

「結果につながったのはあくまでも本人が努力したからです。他の選手に対してもそうですが、私はきっかけを与えているだけです。それと萩尾について加えると、彼の人間性も成長を後押ししたかと。4年生の時はチームリーダーの自覚十分で、何でも率先してやってくれました」

毎年のように「右のスラッガー」が生まれるのは、基本の上に選手自身のメンタルや自覚が上乗せされているからだろう。今後も候補となる選手たちが、どのような成長曲線を描くのか、注目していきたい。

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