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特集:駆け抜けた4years.2025

関大・金丸夢斗(下)ケガに悩んだラストイヤー、スタンドで過ごした「貴重な時間」

中日ドラゴンズから1位指名を受け、関西大学の仲間たちに胴上げされる金丸夢斗(撮影・白井伸洋)

1年の秋から関西学生リーグの舞台で左腕を振ってきた関西大学の金丸夢斗(4年、神港橘)。2、3年時に9勝ずつを挙げ、昨年3月には野球日本代表「侍ジャパン」のチームにも選出されたが、大学ラストイヤーはケガに悩まされた。後編では久しぶりにスタンドから見た光景とプロの世界で見据える選手像について語る。

関大・金丸夢斗(上)中日ドラフト1位左腕の思考法「小さなことをやりきる」目標設定

ひときわまぶしく映った「大学日本代表」の同世代たち

金丸は4年目で大学日本代表に入れなかったことを、今でも悔やんでいる。昨年5月の関西学院大学戦で腰を痛めたことで、離脱直後にあった大学日本代表候補合宿への参加も見送りとなった。

「葛藤はめちゃめちゃありました。大学の日本代表にも入りたかったけれど、将来のことを考えると……(辞退せざるを得なくなった)。4年生になって代表に入ることは最大の目標でしたし、ショックはありました」

最大の目標だった大学日本代表に入れなかったことは、今でも悔やんでいる(撮影・沢井史)

腰の状況は一進一退だった。それでも、やれることだけをやろうと、腰に負担のないトレーニングを模索し、体を鍛えることは日課にしていた。

8月末にほっともっとフィールド神戸で開催された大学日本代表と高校日本代表の壮行試合は、スタンドへ足を運んだ。複雑な思いに刺激を与えるためにも、目に焼きつけておこうと思ったのだ。大学日本代表に顔見知りや仲のいい選手も多く、日の丸を背負う同世代の選手たちは、ひときわまぶしく映った。

夏の甲子園で長年審判を務めてきた父・雄一さんが最後のジャッジを務めた一戦も、現地で観戦した。「久しぶりに野球をスタンドから観戦しました。高校の時のことを思い出しましたし、お父さんが頑張っている姿も見られて、貴重な時間を過ごせました」

スタンドから野球を見ることで、心の中にあったもどかしさが少しずつ消えていくようにも感じた。ただ、体の状態は万全でなく、直後に開幕した秋のリーグ戦では先発を回避。試合展開を見ながら、短いイニングを投げる試合が続いた。

夏の甲子園で長年審判を務めてきた父・雄一さん(撮影・新井義顕)

ルーキーイヤーは「無理だけはしないように」

常に注目を浴び、思うようなパフォーマンスができなくても、金丸の一挙一動はスポーツ紙などでも細かく記事になった。1イニングを投げただけで大きな見出しがつき、プロのスカウトのコメントも紹介された。これも注目選手の運命なのかと思った。

「ベストな状態ではなくても、自分がベンチに入ってメンバーにいるだけで、チームに何か伝えられることがあればと思っていました。一番は『神宮に行きたい』という思いがあって、『任されたイニングは自分が貢献する』という思いで投げてきました。正直、指導者からは『もうやめとけ』って言われた試合もあったんです。でも何かしら貢献したくて……」

投げるのは、長くても3イニング。腰に負担をかけないよう、打席が回るまでという条件での登板だった。「このチームで1試合でも長く投げたい」という思いで力投を重ね、2023年秋のリーグ戦から続く自責点ゼロのイニングを「72」に伸ばし、大学野球生活にピリオドを打った。

「何かしら貢献したい」という思いから、ベストな状態でなくても登板した(撮影・沢井史)

昨年10月24日のプロ野球ドラフト会議では4球団競合の上、中日ドラゴンズが交渉権を獲得した。かつては「支配下で行けたら」と思っていたプロの世界から「1位指名」という評価を受けた。

中日ドラゴンズには、同い年でチームの中心となっている高橋宏斗がいる。

「高校の時から『はるか上にいる投手』という感じでした。WBCでも活躍していましたし、そういうピッチャーが同じチームにいることは自分も成長できるし、色んなことも学べると思います。そういう意味では、良い場所を与えてもらえたと思います」

大学ラストイヤーで存分に投げられなかった悔しさがあるからこそ、プロでは少しでも早く、マウンドで良いところを見せたい。そう思うのが、普通かもしれない。しかし金丸は、はやる気持ちを抑えている。

「1年目から活躍するに越したことはないんですけど、焦らずにまずはプロの世界に慣れることを優先したいです。まずは1シーズン、しっかり戦い抜ける体を作って、2年目、3年目、それ以降もずっと活躍できるような選手になりたいです。無理だけはしないように、1年目はやっていきたいです」

念願のプロ入りが決まり、プロ1年目は「慣れることを優先したい」と話す(撮影・白井伸洋)

卒業旅行で訪れた沖縄がキャンプ地に

関大では右肩上がりの成長を遂げてきた。

「普段の練習からコツコツとやってきたおかげで、今の自分があると思っています。地道なトレーニングを一つでも継続できたことは、今後にも生かしていける。侍ジャパンの大舞台で自分のピッチングができたことも自信になりましたし、『また日の丸を背負って戦いたい』という思いも強くなったので、そういうところを目指していきたいです」

将来的な理想像として描くのは、日本一の投手だ。

「まずはドラゴンズのエースと呼ばれるような結果を残せるようになる。1年目は新人王を狙いながらやっていきたいです」

この冬は、それを成し遂げるための時間を過ごしている。秋の公式戦が終わってから、少なくとも週に4回はグラウンドに顔を出して練習を続けている。同じケガを繰り返さないよう、フィジカルトレーニングには時間をかけている。

1年目は新人王を、将来的には日本一の投手になることを目指す(撮影・白井伸洋)

11月中旬には仲のいい投手陣6人と一緒に、卒業旅行で沖縄に行った。初めての沖縄旅行は仲間たちとつかの間の楽しい時間を過ごし、最高の思い出となった。

「ダイビングをしたり観光をしたり。青の洞窟のところにも行きました。予定通りに色んな所に行けて楽しかったです」

学生らしい余暇を過ごし、鮮やかに映る南国の地は、2月にキャンプが行われる場となる。「北谷も車で通りました。この辺りなんだって思って。今から楽しみです」とワクワクとドキドキが入り交じる。

大学での苦い思いは絶対に無駄にしない――。この言葉を胸に、いよいよ新天地の扉を開く。

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