ラグビー

早稲田大・服部亮太 キックで席巻した1年目を終え悔し涙「来季は必ず『荒ぶる』を」

大学1年目にして、司令塔として大学選手権決勝の舞台に立った服部(すべて撮影・斉藤健仁)

1月13日、東京・秩父宮ラグビー場で61回目の全国大学ラグビー選手権大会の決勝が行われ、関東対抗戦で全勝優勝を飾った早稲田大学と、2度目の選手権4連覇を狙う帝京大学(対抗戦2位)が激突した。5大会ぶり17度目の王者を目指した早稲田大で最も注目を浴びた選手の一人が、1年生司令塔のSO服部亮太(佐賀工業)だった。

帝京にキック対策をされ「わなにはまった」

9月の対抗戦開幕戦で、試合途中からアカクロデビューを飾り持ち前のロングキックで会場を沸かせると、2試合目からすべての試合で10番を背負い、キックだけでなく、ロングパス、切れ味のあるステップで早稲田大の対抗戦優勝に大きく寄与した。

今季の関東対抗戦の開幕戦では途中出場し、非凡なところを見せた

大学選手権でも先発し続けて、1年生ながら決勝でも10番を背負い、「4年生との最後の試合ということで、自分の持てる力をすべて出そう。自分の武器であるキックで敵陣に入って展開ラグビーをしよう」という強い思いでピッチに立った。

「フィジカルの部分やディフェンスの前に出てくる部分で対抗戦のときと違った」と服部が話す通り、帝京大の圧の前に先制を許してしまった。それでも反撃し、後半最初に15-14と逆転に成功した。しかし、その後は再び主導権を握られてしまい、3トライを許して15-33で敗れた。

ノーサイド直後、涙を流していた服部は「(自分の)キックの対策をされて、(相手のBKの選手が)後ろに下がっているのが見えて、ランに切り替えようと自分で考えてしまって、相手のわなにはまってしまったかな。(チームとしては)敵陣22m内に入って取り切れなかったところと、敵陣に入ってスコアされたところが勝敗を分けた。対抗戦で全勝して負けなしだったので、最後も勝ちたかった」と唇をかんだ。

決勝の帝京大は「フィジカルやディフェンスの前に出てくる部分で対抗戦のときと違った」と服部

高1から高2で身長が伸び、キックの飛距離も

服部は関東学院大学4年の兄・SH莞太の影響もあり、 8歳から福岡・帆柱ヤングラガーズで競技を始めた。なお、筑波大学1年のSH井上達木は、スクール時代から高校まで一緒に楕円(だえん)球を追った幼なじみ。

高校は親元を離れて兄と同じ佐賀工業に進学し、1年から「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場。1~2年の間に一気に身長が10cmほど伸びて、キックの飛距離が伸びたという。3年時は、夏の7人制ラグビーの全国大会で佐賀工業を初の日本一に導き、MVPも獲得。花園では司令塔としてベスト4に入った。

佐賀工業の井上達木・服部亮太 高校日本代表のハーフ団を狙う、小中高幼なじみコンビ
高校3年時の夏のセブンズでは初の日本一に輝き、服部はMVPに選ばれた
昨季の花園では佐賀工業の司令塔としてベスト4に進出した

ただ、昨年3月末、現在は早稲田大のチームメートであるFL/NO8城央祐(桐蔭学園)が主将、服部が副将として臨んだ高校日本代表のイタリア遠征で左肩を負傷してしまい、大学入学早々の3~4カ月間、リハビリを余儀なくされた。

「春はなかなか思うようにいかなかったですが、大学生のテンポやフィジカルについていけない部分があったので、練習やウェートトレーニングを積み重ねて、秋、冬とプレーで出せるように頑張っていた」と振り返る。

高校日本代表合宿で、SO、FBの両方でプレーし非凡なところを見せた

高校・大学の先輩、大田尾監督がSOの直接指導

身長178cmの服部は、大学入学後にトレーニングを重ねて、体重は2~3kg増えて80kgほどになった。そして8月中旬、ようやくCチームの練習試合で実戦復帰を果たし、すぐBチームに昇格した。

同じSOで、佐賀工業、早稲田大学の先輩でもある元日本代表の大田尾竜彦監督は、高校時代にFBでもプレーしていた服部について、「あれだけキックが飛ぶ選手はなかなかいない。15番ではなく10番としての起用を考えている」と、10番に専念させつつ、映像を見せながら指導にあたった。

「高校と大学とでは、SHとSOの距離感が全然違います。もっと広く立て、と大田尾監督に言われて、毎回意識しています。自分のストロングポイントはキックですが、もっとテンポを出して、早稲田のラグビーに必要な10番になって先発に定着したい」

対抗戦の帝京大戦では2トライを挙げ、快勝に貢献した

エディー・ジョーンズHC「ワセダの10番、イイネ!」

服部は練習や試合でアピールを続けて、昨年9月14日、開幕の立教大学戦から控えに入り、見事にアカクロデビューを飾った。開幕戦では10分ほどの出場だったが「裏のスペースが見えていたのでSHに早めにボールを要求した」と「50-22」キックも成功させるなど、大きな存在感を見せた。

そして1年生ながら2試合目から10番を背負い続け、大学選手権準決勝まで勝利に貢献し続けた。対抗戦2試合目の日本体育大学戦をたまたま見ていた日本代表のエディー・ジョーンズHCも「ワセダの10番、イイネ!」とたたえたほどだった。

おそらく服部は今後、U20日本代表や、さらにはジョーンズHCが大学生育成のため肝いりで始めたJTS(ジャパンタレントスコッド)合宿にも招集されるはずだ。そして好パフォーマンスを続ければ、今年6月、早稲田大の先輩のFB矢崎由高(2年、桐蔭学園)と同様に、日本代表への招集もあるかもしれない。

大学選手権決勝での服部。左はFB矢崎由高

敗戦に誓った成長「相手の脅威になる10番になる

決勝戦で敗れた後、納得いくようなプレーができなかった悔しさと、4年生に対する申し訳なさで涙を流していた服部だが、「先輩たちから『下を向くな。お前がいたからここまで来られた』と言われ、その一言で前を向こうと気持ちを切り替えることができた」と語った。

服部はこの1年を振り返って、「早稲田大に入学したとき、高校と大学の差をかなり感じたので、決勝の場に立っていることは想像できなかった。でも、伝統ある早稲田大で1年生から10番として出場させてもらって、決勝に出場できたことは良い経験になったし、今後の自信にもつながる。来季も決勝に帰ってきて、必ず優勝して『荒ぶる(日本一になったときだけ歌う第二部歌)』を取りたい」と言葉に力を込めた。

「来季は2年生になりますし、フィジカルとスピードを強化して、ランの速さやパスの飛距離を上げて、より相手の脅威になる10番になり、引っ張れる存在になりたい」

惜しくも15人制で初の日本一を逃してしまった1年生司令塔は、敗戦の悔しさを糧にさらなる進化を誓った。

2年生になる来季、「より相手に脅威になる10番になり、引っ張れる存在になりたい」と誓った

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