陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

中学・高校から全国区で活躍、東海大OB羽生拓矢選手 トヨタ紡織での復活と進化!

トヨタ紡織入社後、自己新を連発。中部実業団駅伝区間賞。日本選手権では9位に入った羽生拓矢選手(撮影:M高史)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は羽生拓矢選手(トヨタ紡織)のお話です。中学時代から全国大会で活躍し、八千代松陰高校時代は全国高校駅伝でも活躍。東海大学では故障が続き苦しい4年間となりましたが、今春にトヨタ紡織入社後、中部実業団駅伝1区区間新や日本選手権5000m9位の成績を残すなど完全復活し、さらなる進化を遂げています。

中学時代から全国で活躍

小学校ではサッカー少年だった羽生選手。ところが、進学した中学にサッカー部がなかったそうで「もしサッカー部があったら迷わずサッカー部に入っていましたね(笑)。小学校のマラソン大会で上位の成績だっので長距離をやろうと思いました」と中学からは陸上部へ。 

中学1年生のジュニアオリンピックC1500mでは4分12秒37で優勝。いきなりの全国大会優勝に「狙ったというよりも優勝しちゃった感じでした。嬉しさより驚きの方が大きかったですね」と、自身も驚きの優勝でした。翌年、中学2年生で迎えたジュニアオリンピックではB1500mで4分04秒70の2位。「1位を狙いにいっての2位だったので悔しかったですね」。陸上を始めて、初めて悔しかった経験をしたそうです。

中学3年生の全日本中学陸上は地元・千葉で開催。優勝を狙っていた3000mでは13位という結果でした。「期待されていて、自分も優勝しなきゃいけないと思っていたので、ものすごい悔しかったです」

雪辱を誓ったジュニアオリンピックA3000mでは8分25秒18で2位に。「このときは嬉しかったですね。前年の2位とは全然違う2位でした。全中のことがあったので、自分が今できるパフォーマンスをしようと思いました」。「走れちゃった中学時代」と振り返った羽生選手。充実した3年間だったといいます。

充実した八千代松陰高校での3年間

中学卒業後は八千代松陰高校へ。「大塚正人先生の熱い思いに惹かれました。あとは八千代松陰高校の校舎がすごく綺麗だったのも魅力でした(笑)」と進路選択について教えていただきました。

高校1年生の夏に疲労骨折。治ってから合宿明けで出場したレースでは5000m14分00秒55(当時、高1最高記録)という驚異的なタイムをマーク。「2つ上に花澤賢人さん(現・JR東日本)がいたので、練習でも試合でもずっとついていって出たタイムでした」と先輩についてしっかり走れたという充実感がありました。

1年生の都大路では3区で区間2位・23分39秒(日本人トップ)の好走。「持ちタイムは持っていましたが、1年生なので思い切って走ろうという感じでした。狙いに行ったというよりも走れちゃったという感じですね。何も考えず思い切って走ったら記録も結果もついてきました」。このレースで「羽生拓矢」という名前を一気に知ってもらえるようになったそうです。

高1ながら都大路で3区で区間2位(日本人トップ)の快走。一躍、注目を浴びました!(写真提供:本人)

高校2年生の時には海外遠征も経験。「海外に慣れるということでスウェーデンでダイヤモンドリーグを観戦してからベルギーの大会に出場することになっていました。ところが、スウェーデンからベルギーに移動する際に空港のミスで自分の荷物だけオーストリアに行ってしまったんです。全部荷物を入れていたので、ユニフォーム、スパイク、アップシューズなど全てない状況でした」というまさかのハプニング。

しかし羽生選手はできる限りの最善を尽くしました。「遠征に行っているのは1人じゃなかったので、他の選手から借りたんです。ただ、自分の身長だと合うわけがない(羽生選手は156cm)。シューズは自分のサイズと1.5cmも違いました(笑)」

ハプニングがありながらもユニフォームとスパイクを借りて、自己記録を更新した海外遠征(写真提供:本人)

「誰も見ていないからいいや」と開き直り、ユニフォームからスパイクまで一式借りて挑んだ5000mでなんと13分52秒98と自己記録を更新!「何が起きたのかわからなかったですね。いいレースの時は基本的に覚えていないんです」。ちなみに、オーストリアに行ってしまった羽生選手の荷物は帰国して1週間後に無事に届いたそうです(笑)。

高校3年生の都大路。調子も100%ではなく「大塚先生からは先頭と30秒差でいいと2〜3日前に言われていました」とのことでしたが、「前日の調整練習で調子が上がってきて、感触が良かったんです。それでも先頭についていこうとかスタートでも決めきれなくて、スタートして先頭に出ちゃったらいこうと。いざスタートしたら前に出ちゃったんでいこうと思いました!」。失速覚悟の1区。とにかく苦しかったけど出し切りたかったといいます。

高3の都大路では積極的に引っ張り区間2位。区間賞は大学でチームメートとなる佐久長聖高校・關颯人選手(写真提供:本人)

「ラストスパートで出し切るというよりは、途中で出し切って最後は気力でした。完全燃焼してました」という魂の走りで1区・区間2位(29分09秒)。区間賞に輝いたのは大学でチームメートとなる佐久長聖高校・關颯人選手(現・SGホールディングス)でした。

高校時代は「大塚先生と何をするにも話し合ってやっていたので、離れるのが寂しいくらい濃い関係でした。充実した3年間でしたね」と振り返りました。

現実とイメージの差に苦しんだ東海大の4年間

高校卒業後は東海大学に入学。都大路で1区区間賞の關颯人選手をはじめ、区間2位の羽生選手、区間4位の大牟田高校・鬼塚翔太選手(現・横浜DeNAランニングクラブ)、区間5位の洛南高校・阪口竜平選手(現・SGホールディングス)、区間6位の埼玉栄高校・館澤亨次選手(現・横浜DeNAランニングクラブ)をはじめ注目選手が多数入学し「黄金世代」として注目を集めましたが「周りが言うほど自分たちでは特別意識はしていなかったです。集まったことは嬉しいですが、ルーキーとして挑んでいくのは一緒でした」

しかし、高校以上に苦戦をしたと感じていました。「自分としては高校3年の都大路の結果にかなり満足していたので、切り替えるのに時間がかかっていました。そのつもりはなかったのですが、今思えば天狗になっていたというか自分に対して甘くなっていたのかもしれませんね」と振り返りました。

大学1年生のときに全日本大学駅伝で7区を走るも区間14位。「自分の調子、そのときの状態を考えもせず自分に必要以上に期待して空回りしていました。もっと貪欲にならなきゃいけないところをスマートに過ごしていましたね。それがそのまま1年の駅伝の結果に出ました」。その後、度重なる故障に悩まされました。

理想とイメージの差にもがいた大学4年間でした(写真提供:@marippe618 さん)

「現実とイメージの差が大きかったです。4年間振り返ると苦しかったですが、後悔はしていないです。『あの時ああすれば』ではなくこの4年間を良いものにするためには、その先のステージで輝く必要があり、結果を残す必要がありました。大学4年間を良かったものにするためにも、なんとしても実業団でやりたかったんです。両角(速)先生にも厳しいお言葉をいただいたりもしましたが、覚悟をお伝えしたところ、親身になって探してくださいました」

同級生が活躍する中、故障に苦しんだ羽生選手。めげなかった気持ち、原動力について「あきらめないという気持ちを大事にしていたわけではなく、自分が自分に一番期待していたんです。周りの誰よりも自分自身に期待していました。だからこそやめられない。やめるわけにはいかない。もしもこの気持ちがなくなった時がやめる時だと思っていました」と思うようにいかなった4年間も、自分自身への期待だけは持ち続けていました。

トヨタ紡織入社後、復活そして進化!

卒業後は実業団・トヨタ紡織へ。「とにかくちょっとでも早く切り替えたかったので、1月下旬にはもう入寮していましたね(笑)。できるだけ早く切り替えることが大切だと思い準備をしていました」

白栁心哉(しらやなぎ・しんや)監督から「じっくり体を作っていこう」と話があり、羽生選手もその意見に賛同。「もしコロナの状況がなかったとしても前半シーズンは試合に出ていなかったと思います。大学最後も故障をしていたので、まずはジョグからというレベルでした。秋以降にレースでしっかり結果をと思っていました」。まずはじっくりと土台作り。白栁監督も羽生選手も考えていた通りに進んでいきました。

「夏合宿くらいからチームのポイント練習に合流したいと思っていて、実際その通りに行きましたね。夏合宿が非常に良くて手応えもかなりありました。高校生ぶりの手応えで、『これいけるかな!』という気持ちでした。白栁監督が導いてくれて、思い描いている練習ができてきたことが手応えにつながって行きました」という充実ぶり。

「秋以降のレースで結果を」と話されていた通り、9月の中京大学土曜日競技会では5000m13分40秒26。高校2年生以来となる6年ぶりの自己ベスト更新に「とにかく嬉しかったです。レース内容とかどうでもいいくらい自己ベスト更新が嬉しかったですね!」。夏合宿の手応えを結果で示しました。

中部実業団陸上では「狙って出しました」という10000mで自己ベストを更新(写真提供:トヨタ紡織陸上部)

続く10月の中部実業団陸上では10000m28分20秒10とこちらも自己新。「10000mに関しては狙いに行った試合でしっかり出せたことで、自信を深めましたし、監督への信頼も深まりました」。5000mよりもいろんな意味で大きかったレースだったそうです。

トラックだけではなく駅伝でも力を発揮し、11月の中部実業団駅伝1区では区間新記録の快走で区間賞を獲得。服部弾馬選手(トーエネック)、宮脇千博選手(トヨタ自動車A)、田中秀幸選手(トヨタ自動車B)、山口浩勢選手(愛三工業)といった実力者が揃う中、区間2位の服部選手に18秒差をつける圧巻の走りでした。

「1年目の初めての駅伝ですし、後ろに6人いるので守りに入る必要がなかったです。先輩たちがなんとかしてくれると思っていました(笑)」。後半は起伏が激しい難コースでしたが、前半から攻めの走り。そこには確固たる自信がありました。

中部実業団駅伝では1区で区間賞・区間新の快走!(写真提供:トヨタ紡織陸上部)

「高3の都大路では引っ張っていける自信があったものの後半粘れる自信がなくて、ただ周りもきつくなって結果的に2位になれました。今回は苦しくなってからも後半我慢できる粘れる自信があったんです。誰かがハイペースで出てくれたら嬉しいと思っていましたが、そうならなかったので序盤から苦しい状況を作ろうと思い、引っ張ったというよりも自然とペースが上がりました」と自らハイペースに持ち込みレースを作る走りは強烈なインパクトを残しました。

続く12月4日の日本選手権5000m13分35秒88ではさらに自己ベストを更新し9位。「自己ベストは更新できましたが、入賞を目の前で逃してしましました!」とさらに高みを目指しています。

さらなる強さを求めて

今後どんな選手になっていきたいかうかがったところ、「まだ実業団に入って少しずつ結果を残せるようになってきただけで、日本のトップの選手たちと比べるとまだまだ差があります。多くの選手が好記録を残している時代、自分は強さを求めていきたいです。中部実業団駅伝では持ちタイムで自分よりも速い選手が何人かいる中での区間賞でした。もちろん記録を狙うときもあると思いますが、強さを求めてやっていきたいです!」と力強く教えていただきました。

日本選手権5000mでは13分35秒88の自己ベストで9位。入賞を逃した悔しさが残りました(写真は本人提供)

トヨタ紡織陸上部の魅力については「強い選手ほどとにかく練習しているんですよ。先輩方はとにかく練習しています。それが結果につながっています。練習をやれたら結果が出る。それが共有できていて、監督もスタッフも選手もチーム一丸となって同じ方向に向かっているのが強みですし、居心地の良いチームです」とチームや監督への信頼も伝わってきます。

応援してくださる皆さんには「高校から応援してもらって大学ではなかなか結果出せなくて、それでも期待してくださるのが伝わりますし、ありがたいです。これからもたくさんの人に応援していただけるように『羽生拓矢らしいレース』をしていきたいです!」

中学、高校と全国で活躍し、大学で挫折を味わうも、再び輝きを見せる羽生拓矢選手。速さよりも強さを求めて現状打破し続ける姿勢、これからも注目ですね!

M高史の駅伝まるかじり

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