駒大で日本インカレ優勝の松村拓希さん 東京国際大コーチでの選手育成にかける思い
今回の「M高史の駅伝まるかじり」は東京国際大学駅伝部コーチ、松村拓希さんにお話を伺いました。駒澤大学では日本インカレ10000m優勝、全日本大学駅伝6区区間賞・区間新(当時)。日清食品では世界クロカン日本代表。実業団を経て、筑波大学大学院、筑波大学コーチを経て、2015年から東京国際大学駅伝部コーチをされています。
高校から本格的に陸上の道へ
茨城県出身の松村拓希さん。中学には陸上部がなかったものの、高校では陸上(長距離)をやりたくて、中学3年の時に学校の選抜選手として3000mに出場。郡の大会を突破して県大会に出場。県大会では10位に。成績が認められスポーツ推薦で土浦日大高校へ進学することになりました。
土浦日大高校では順調に競技力を伸ばし、2・3年生と全国高校駅伝に出場。3年生の時には1500mと5000mでインターハイに出場。都道府県駅伝1区で区間3位と好走されました。
嬉しさと悔しさを味わった駒大時代
高校卒業後は駒澤大学へ。1学年上の世代トップとして活躍していた揖斐祐治さん(現・岐阜協立大学駅伝部監督)に憧れての進学でした。当時の駒澤大学は大八木弘明コーチ(現・監督)就任5年目。出雲駅伝、全日本大学駅伝では優勝し、箱根駅伝も2年連続で総合2位と強豪校の仲間入りをしている時期でした。
「高校が朝練のない学校だったので、慣れるまで大変でした。故障したまま入寮してしまい春先は走れず、同級生の結果を見て焦る日々でした」。その後、夏の合宿でまずまず練習ができ、1年目から出雲駅伝を走ることができました(4区・区間5位)。
しかし、全日本、箱根はメンバーに入ることはできず。特に箱根はチーム初の総合優勝ということで「同級生が1、3、5区を走ったのですが、当時は優勝した嬉しさよりも悔しさしかなかったですね」と同級生の活躍に発奮します。
箱根優勝メンバーに入れなかった悔しさを晴らすべく練習を積み重ね、2年生になると5000m、10000mも走るたびに自己新。5000mで14分03秒、10000mで28分48秒まで記録を伸ばします。
2年生では出雲、全日本、箱根にフル出場。しかし、全日本では6区でブレーキとなり、箱根では4区区間6位。チームは総合2位と優勝を逃し、悔しい結果となりました。
日本インカレ優勝も駅伝シーズンは……
3年生で迎えた全日本では前年の悔しさを晴らす走りで再び6区を走り区間賞・区間新(当時)! チームの優勝にも貢献しました。
その後、小さな故障があったり、調子が上がりきらず、結局箱根ではメンバーに入れず。チームとしては再び優勝しました。
4年生になり、春先から調子も良く、関東インカレ2部では5000m、10000mとも2位。5000mも13分52秒まで記録を伸ばします。
9月に行われた日本インカレでは10000mで優勝、5000mでも4位に入り、トラックでしっかり実績を残しました。しかし、その後の合宿で故障をしてしまい、結局、三大駅伝に出ることができず。チームとしては全日本、箱根で優勝。
「学年が上がるごとに力はついていけたんですけど、箱根には縁がなかった4年間でしたね。応援してくれる家族やお世話になった方に、箱根で活躍している姿を見せたかったなという思いがあります」
恩師・大八木監督(当時、コーチ)の魅力については「情熱、厳しさの中にも優しさのある方でした」と話されました。
強豪・日清食品へ
大学卒業後は実業団の強豪・日清食品グループへ。指導された白水昭興監督の言葉で、特に松村さんの中で印象に残っているのが「言われてやるのは下の下 真似てやるのは中の中 進んでやるのは上の上」という言葉でした。
「言われてやっているうちはまだまだ。自分で進んでやりなさいという教えでした。チームも自ら進んで率先してやる雰囲気でしたね」。何が自分に必要で、力を付けて結果を出し生き残るにはどうしなければいけないのか、考えるいいきっかけになったと言います。
実業団在籍7年間で10000mも28分18秒88まで記録を伸ばし、世界クロカン日本代表、ニューイヤー駅伝にも2度出場しました。
「日清食品のチームメートにはオリンピック、世界陸上の代表になる選手、日本トップクラスの選手が何人もいて、大学の時に肌で感じた感覚とは異なりました。だいぶ才能の違う選手が何人もいました」
自分がどう強くなるのか、常に考えて模索した7年間となりました。
筑波大学で学んだ、学生スポーツのあり方
次のキャリアを考えた時に、「茨城で高校の教員をしたい、陸上競技の指導をしたい」という思いから筑波大学の科目等履修、大学院で勉強をすることに。教職課程と大学院でのコーチング学を3年間で学びました。
筑波では研究室や陸上部での恩師や仲間、教え子など、人との出会いに本当に恵まれたと話されます。「学生スポーツのあり方、学生スポーツとはどういうものなのか、知らなかった世界を学ぶことができました」。現在のコーチ業にも生きているという貴重な経験となりました。
ご縁に恵まれて、大学院修了後はそのまま筑波大学に残り、コーチとなりました。「競技も勉強もやるのが当たり前という文武両道のチームでした。正解を教えない中で、自分で考えさせる。時間はかかるけど、人生を考えた時にとても大事なこと」と教えられました。
東京国際大学のコーチとして
2015年に東京国際大学のコーチに就任します。
駒澤とも筑波とも求められているものが違う中で、「1年目は貢献できたのか手応えがなかったです」と振り返る松村さんですが、就任1年目にチームは箱根初出場を果たしました。
「印象的だったのは、予選会の数日前にフィニッシュ地点からラスト200m、ラスト400mといった地点をウォーキングメジャーで細かく計測したことです。(残りの距離がはっきりわかり)最後の数百mで出し切れるかどうかで、結果が変わると思いました」。1人5秒でも10人で50秒違います。11位のチームと僅差であり「やってよかった」と振り返りました。
チームを指導されているのは大志田秀次監督。「大志田監督はどんな人の話も真剣に聞いてくださいます」。監督からの一方的な指示だけでなく、学生や我々コーチ陣の話もまず受け止める。意思決定をする上でのバランスの良さ、すなわちトップダウンとボトムアップの良さが、チームの結果の良さに繋がっていると松村さんは考えています。
指導で心がけていること
昨年度の駅伝シーズンは全日本4位、箱根総合5位と、東京国際旋風が吹き荒れました! その中心選手として活躍し、この春卒業した伊藤達彦選手(HONDA)は7月のホクレンディンスタンス深川大会10000mで27分58秒43と大きく自己記録を更新! 自身初の27分台をマークしました。
「春先からの練習タイムを聞いていたところ、27分台が出るなとは思っていましたが、本当に出すところがすごいですね」と教え子の活躍を喜びます。もっとも「練習で追い込めるなど光るものはあったのですが、入学した時はまさか27分台の選手になるとは思っていなくて、ここまで成長するとは想像できなかった」と言います。
伊藤選手について「あきらめないことが彼の魅力ですね。そして人の話を聞き、素直に吸収していくことで伸びていきました」。伊藤選手の快進撃にもあるように、どんな選手にもチャンスがあると、指導の際に心がけています。
「その人の可能性がどこまであるのか、誰にもわからない。指導者が決めつけず、選手本人が自分自身にどこまで期待しているのか、それを見極めて背中を押してあげられるような存在でいたいです」。さらにこう続けます。「どこまで自分の未来を想像して、見通して努力ができるのか。毎日の行動の積み重ねが自分自身を作っていくので、選手自身の『先を見通して行動する力』を見極めてあげるのが、指導者として大切なことかもしれない」と教えてくださいました。
「箱根で終わりではなくて、箱根を走っても走れなくても将来輝いてほしい。全員が競技を続けるわけではないし、続けても誰もがトップで走れるわけではないです。しかし、競技を引退しても社会の一員として自分の人生を主体的に輝かせていけるような人になってほしいですね」。ご自身でも常に勉強や研究を重ねつつも「現状打破どころか、現状維持が精一杯(笑)」と謙遜されます。
「活躍したい、成長したいのであれば、何が己の課題かを見極めること」「主体的に動ける人間、努力できる選手の育成」。さらに「駅伝は人材育成、教育の場」と話される松村さん。今年も東京国際大学からますます目が離せませんね!