陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

選手に食事を作り続けて26年! 駒澤大学陸上部寮母・大八木京子さん

26年間、寮母として食事を続ける大八木京子さん。手前は大八木監督(記名がある提供写真以外、写真提供:大八木京子さん)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は、駒澤大学陸上競技部・大八木弘明監督の奥様・京子さんのお話です。駒澤大学で大八木弘明さんが監督に就任して以来(コーチ、助監督も含む)、寮母として学生たちに美味しい食事を作り続けて今年で26年。私・M高史も大変お世話になった京子さんにお話を伺ってきました。

駒大ではマネージャー、大八木監督と同級生

神奈川県出身の京子さん。駒澤大学入学後は陸上部のマネージャーになりました。のちに駒澤大学陸上競技部の監督となる大八木弘明さんが実業団を経て24歳で入学されてきたのもこの年でした。京子さんとは年齢は5つ違いますが、同学年です。

当時の駒澤大学は箱根駅伝には連続出場していたものの、予選会の常連校。京子さんはマネージャーとして、タイム計測など練習のサポートがメインでした。

「マネージャーもあまりいなくて、故障者が代わる代わる手伝いをしている状況でしたね」と京子さん。当時はお世辞にも綺麗とは言えない古い寮で、選手も各自で自炊しているような状況。「箱根駅伝前になると寮へ行き、買い出し、食事の手伝いをしていました」。箱根前限定で食事のサポートもあったそうですが、今とはだいぶ違っていたそうです。

そんな駒澤大学でしたが、大八木弘明さんが3年生の時に2区で区間賞を獲得。さらに3区で駒澤大学が一時単独トップに立ちました。「箱根強豪校でもない予選会常連校だった駒澤がトップに立って、みんな大騒ぎでしたね(笑)」と当時のエピソードを教えていただきました。

夫婦で母校のために

大学では社会科の教員免許を取得された京子さん。卒業後は高校で講師をされていました。その後月日は流れ、29歳の時に、当時まだ実業団のヤクルトでコーチ兼選手だった大八木弘明さんとお付き合いをすることになり、そのままご結婚されました。

ちょうどその頃、駒澤大学は箱根駅伝に連続出場はしていたものの、毎年予選会の常連校で、徐々に本戦出場が危ぶまれていた時期でした。そんな中、大八木さんは母校から声がかかって駒澤大学のコーチに就任します。

今でこそ各大学では寮や合宿所で栄養バランスのとれた食事が提供されていますが、就任当初は選手自ら自炊。「練習が終わって疲れて帰ってきて、簡単なもので済ませたり、朝練習の途中で1年生が抜けて朝食を作ったり」という状況でした。

もっとも、このような状況は駒澤大学だけではなく、30年近く前ではどこの大学も同じような環境だったそうです。アスリートにとって、トレーニングとともに栄養や休養はとても重要。大八木コーチは就任直後、「食事も簡単なもので済ませたり、いい加減だったりでは強くなるわけがない」とすぐに、妻である京子さんに「寮で学生たちに食事を作ってくれないか」とお願いをします。

のちにチームのエースとなり、実業団に進んでからはマラソンで日本最高記録(当時)も樹立された藤田敦史さん(現・駒澤大学陸上競技部ヘッドコーチ)も、入学当初は貧血に苦しまれていました。栄養バランスの良い食事をとることによって、貧血も改善されてチームのエースとなり、学生長距離界を代表する選手になったのです。

京子さんも「何十人分もの食事を作ったことはなかったですし、最初の寮(四誓寮)は調理場も狭くて、あまりキレイではなかったですし、慣れるまでは大変でしたね」。ここから、駒澤大学陸上競技部で食事を作り続ける日々が始まり、今年で26年目になります。四誓寮で4年、以前の道環寮で18年、現在の道環寮になって4年、厨房の環境はずいぶん良くなっていったそうです。

京子さんの愛情たっぷり、栄養バランスのとれた美味しい食事が駒澤大学の強さの源です

それにしても、いま在籍している選手の皆さんが生まれる前から食事を続けられているかと思うと、OBの1人として本当に感謝と尊敬の言葉しかありません!

2人の娘さんが産まれて、育てながらも食事を作り続けてきました。娘さんがまだ小さいときはおんぶしながら、毎日厨房に立たれていたそうです。

「娘がちょっと大きくなると、学生のみんなが見てくれたから、だいぶ楽になりましたね」と当時を懐かしむように話されました。娘さんたちが小学校に上がれば学生が宿題を見たりと、当時はずっと寮で過ごしていました。京子さんが食事を作ってくださり、監督も練習後は寮で過ごされていたので、まさに「大八木ファミリー」。家族のようなあったかい雰囲気の陸上部です。ちなみに小さかった娘さんたちも、もう成人です。

学生一人ひとりのために

栄養バランスのとれた家庭的で美味しい食事を作ってくださる京子さん。高校で講師をされていた経験もあってか、本当に一人ひとりをよく見てくださいました。箱根駅伝直前には出場メンバーそれぞれにリクエストを聞いて対応。体調が悪い選手には、おかゆを準備してくださいます。

アレルギーのある選手には、その分個別対応となります。卵、牛乳、えびなどの甲殻類といったアレルギーも。そばアレルギーだった選手には「年越しそば」ではなくて1人だけ「年越しうどん」だったり。

そして、部員の誕生日になるとケーキを用意してくださるのですが、必ず手書きのメッセージカードが添えられていました。

選手だけでなくマネージャーのこともよく見てくださり、僕も学生時代に監督に叱られて気持ちが落ち込んでいる時に、京子さんのさりげない一言で、何度も立ち直れました(笑)。今でも感謝しています! もちろん大八木監督にも感謝です(笑)。

また、京子さんの食事作りを支えるのは歴代の女子マネージャーの皆さん。曜日ごとに交代で食事当番を担当してお手伝いをします。

OGの高野(旧姓・塩澤)佑子さんは京子さんについて「チームが良い成績を出してもいつも謙虚で控え目な方です。我慢強くて芯が強く、しっかりとチームを支えて下さり、本当に尊敬しています」と魅力を語られました。卒業後も「奥さん! 奥さん!」と集まる歴代の女子マネージャーの皆さんからも絶大な信頼です。

ちなみに、京子さんは学生からも卒業生からも「奥さん」と呼ばれています。僕も携帯電話の電話帳にいまだに「奥さん」と登録されています(笑)。

栄養士免許を取得、さらに学生たちのために

また、2007年からは専門学校に通われながら栄養士免許も取得されました。

「学生たちのためにも経験だけではなくて、知識としても栄養を勉強したい」という思いから2年間、昼間は専門学校に通って急いで帰ってきて、寮の食事作りという生活。専門学校の同級生は親子ほど歳も離れていましたが、学校生活は楽しかったそうです。

「やっぱり現場で作っていかないとわからないことがありました。座学も勉強になりましたが、学んでもやっぱり現場、実践が大事。学んだものをどう活かすか。一般的な栄養学を軸にいかに陸上の長距離選手用の食事にしていくかですね。毎年毎年長くやっていることがベースになって、積み重ねていく感じです」と常に京子さんも現状打破されています。

「ランナーに必要な栄養と食事」を寮でも学生たちにもわかりやすく伝えています

また、栄養士免許を取得されたあとは、寮で学生たちの食事を作りながらも、福祉施設で5年間、栄養士として献立作成にあたっていた時期がありました。

「障がいのある方の施設でした。アレルギー対応はもちろん、食事形態も様々で、一口大、きざみ食、ペーストなどかなり対応が変わりましたね」。どうやったら食べてもらえるのか、一人ひとりに合わせるきめ細かさなどは駒澤大学陸上部での食事作りにもつながっているといいます。

ちなみに、施設では栄養だよりも作っていたそうです。そういった経験も生かして、道環寮のホワイトボードには栄養素の説明、食事の大切さ、旬な食材などが手書きされた資料が掲示されています。

旬な食材、差し入れの説明も長距離選手の栄養素に絡めてホワイトボードに掲示されています

食事を作っていて嬉しいとき

食事を作っていて嬉しいことについて、「残さず食べてくれるのがやっぱり嬉しいですね。1年生は寮生活や学校生活に慣れるのに時間がかかります。生活や練習にも慣れてちゃんと食べられるようになっていくと、故障も少なくなっていくようですね」と学生たちの成長を見守ります。また、卒業するときに「食事、美味しかったです!」の声が嬉しいといいます。

卒業する時の「食事美味しかったです」の声が嬉しいと教えていただきました(写真提供:水上俊介さん)

時間を見つけて記録会やインカレ、出雲駅伝や全日本大学駅伝にも応援にも行かれています。駅伝では「沿道で選手の走りを見ると思わず叫んじゃう」という京子さん(笑)。走っている選手も気がつくそうです! 大八木監督の熱い檄とともに選手のパワーの源ですね!

箱根駅伝の時は、寮に残って選手たちの食事を作られていますが、昨年は復路の選手たちを全員お見送りした後、13年ぶりにフィニッシュ地点へ向かわれました。「以前よりも大手町が大混雑で、結局、駒大の陣地にいました(笑)」と驚かれていました。

26年間、食事を作り続ける情熱

長年、食事を作り続ける情熱について伺ったところ、「昔はご飯が準備されていなかったけど、キツい練習をしてきて帰ってきて、あったかいご飯が用意されていたら嬉しいと思うんですよね」という学生たちへの思いやり。そして、こう続けられました。「ご家庭で食べていたような普通の食事の延長にしたい。なるべく環境の変化がないようにしたいです。もちろんアスリートとしての栄養素やバランスは意識するんですけど、あくまでも家庭的な食事にしたいです」という心くばり。

練習後の食事は選手たちの楽しみでもあり、リラックスしたひと時でもあります

選手のお母さん代わりのような存在の京子さん。もっとも26年経った今では「学生たちのお母さんよりも年上になってしまって(笑)」と冗談っぽく笑われました。

食事を作り始めた頃、大学1年生だった藤田敦史さんも今ではヘッドコーチに。ちなみに、OBで東京オリンピックマラソン日本代表の中村匠吾選手(富士通)は、現在も合宿や遠征以外は駒澤大学を拠点にトレーニングをされ、食事も学生たちと寮で食べています。

学生時代の中村匠吾選手。卒業後も合宿、遠征以外は駒大でトレーニングを行い、寮で食事をしています(写真提供:水上俊介さん)

京子さんの今までのご経験を多くの方に知っていただき、より多くのアスリートや保護者の方にも伝えていきたいという思いから、書籍「駒大陸上部の勝負めし」も発売となりました。

今後やってみたいことをうかがったところ「ゆっくり旅行したい(笑)」とのことでした。それだけ大八木監督とともに駒大陸上部に全てを捧げてこられたのが伝わってくる言葉でした。

現役の学生からも卒業生からも京子さんへの感謝の気持ちが溢れます

最後に大八木監督のすごいと思うところについてうかがったところ「この歳まで続けている情熱は、すごいなと思います。本当に陸上が好きなんでしょうね」と話されました。いえいえ、京子さんもすごい情熱で駒澤大学陸上競技部をずっと支え続けてくださっています!

駒澤大学の記事はこちら

『駒大陸上部の勝負めし』

箱根駅伝の雄・駒沢大学陸上競技部。名将大八木弘明監督のもと、選手たちは四年間の寮生活を送りながら、自らの肉体を鍛え上げ、大学三大駅伝をはじめとした様々な大会で活躍しています。この本では、学生たちの4年間を食事や生活面で支え続けてきた寮母・大八木京子さんが監修する「駒大陸上部の勝負めし」をお届けします。一年を通して学生アスリートたちは一体どんなものを食べているのか? 試合前の食事はどうしているのか? 長距離ランナーにとって必要な栄養素とは? などなど、実際の食事を写真で紹介しつつレシピを公開します。
発行:枻出版社

M高史の陸上まるかじり

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