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特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

MGC制した中村匠吾、大八木弘明監督とつくりあげたラストスパート

ゴール直後、駒大の大八木監督に頭をなでられる中村(すべて撮影・佐伯航平)

マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)男子

9月15日@東京・明治神宮外苑を発着点とする42.195km
1位 中村匠吾 (富士通) 2時間11分28秒 
2位 服部勇馬 (トヨタ自動車)  2時間11分36秒 
3位 大迫傑 (ナイキ) 2時間11分41秒 

2020年東京オリンピックのマラソン代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」が9月15日、東京・明治神宮外苑を発着点とするコースで争われた。
ラストの強さは圧巻だった。39km過ぎ、白い帽子を脱ぎ捨てたのが「スイッチ・オン」の合図。中村匠吾(しょうご、富士通)は一気にペースアップし、先頭集団から飛び出す。追いかけて来たのは服部勇馬(トヨタ自動車)と大迫傑(ナイキ)の2人だけだ。40km過ぎで大迫に1度並ばれたときは少し焦りを感じたというが、まだ心と足に余裕はあった。「ラスト800mくらいでまた坂があるので、そこが勝負になると思ってました」

恩師は言った。「一緒にオリンピックを目指さないか?」

気温が29度に迫る暑さも気にすることなく、狙い通りのポイントで再びギアを上げた。本命と言われた日本記録保持者を振り切ると、大歓声に包まれる明治神宮外苑に一人で飛び込んできた。フィニッシュラインを越えた先には、笑顔と涙で顔をくしゃくしゃにした駒澤大学の大八木弘明監督が待っていた。強く抱きかかえられ、頭をゴシゴシと手荒くなでられた。これが大八木流だ。中村は富士通の了承を得て練習の拠点を駒大に置き、熱血漢の恩師と二人三脚で東京オリンピックを目指してきた。

壮絶なラスト勝負を勝ちきった

レース後の記者会見で、中村はしみじみと語った。
「大八木監督の指導を受けて、今年で9年目のシーズンになります。大学3年生のときに東京オリンピックの開催が決まって『マラソンでオリンピックを目指すのを一緒にやらないか?』と声をかけてもらって、自分自身も非常にうれしかったですし、そのとき『この監督と一緒に目指せれば、ほんとにそこにたどり着くんじゃないか』と思えました。そして、きょう内定することができて、少しでもこれまでの指導に対して恩返しができたのかな、と思ってます」

驚異の二段階のラストスパートは、コツコツと取り組んできた練習のたまものだ。大八木監督は中村の持ち味を生かすため、距離走の練習のなかにも、スピード強化の要素を入れていたという。MGCに向けて、坂への対策にも万全を期した。この夏は長野県の菅平、野尻湖のクロスカントリーコースでアップダウンのトレーニングに取り組み、勝負どころでその成果を存分に発揮した。普段は厳しい表情の多い監督も、MGCのレース後は頬が緩みっぱなしだった。
「あのスパートはよかった。よく逃げ切ってくれました。(練習の成果が)最後に出ましたね。本当にうれしいです。(指導者として)この約25年間、駒澤から一人はオリンピック選手を出したいとずっと思っていましたから」

恩師との地道な取り組みの先に、晴れやかな笑顔があった

3年かけてマラソン向けの脚力をつくりあげた

中村本人は大学卒業後、なるべく早く42.195kmに挑戦するつもりでいたが、大八木監督のプランは地道にマラソン練習を積むことだった。40km走を増やし、足づくりに余念がなかった。その準備に3年をかけた。駒大玉川キャンパスのトラックで厳しいインターバル走を繰り返し、アメリカまで出向き、中村の体に合っているという高地合宿で持久力もつけた。時間と手間をかけて、マラソンランナーとしての脚力をつくってきた。

そして、満を持して臨んだ2018年3月のびわ湖毎日マラソン。日本勢1位となり、初マラソンにしてMGCの出場権をつかんだ。同年9月のベルリンマラソンでは自己ベストの2時間8分16秒で走り、さらに自信を深めた。

駒大の先輩、後輩たちが支えてくれた

すべてが順調に進んだわけではない。MGCの約2カ月前にけがをして10日間はまったく走れない時期があった。それでも焦らずに8月、9月と調整してきた。

苦しい時期には、駒大~富士通の先輩にあたる駒大の藤田敦史コーチ(元マラソン日本記録保持者)から「開き直れよ」との助言を受けた。大一番のレース前には「最後までもつれる展開になったら、自信を持っていけ」とエールをくれた。8月のアメリカ・ユタ州パークシティーでの合宿では、三重・上野工業高(現・伊賀白鳳高)~駒大~富士通の後輩である下史典(しも・ふみのり)に練習パートナーをやってもらった。富士通の福嶋正監督は「下がいい働きをしましたよ」と振り返る。

駒大の現役部員たちからは、熱い思いを受け取っていた。MGCの約1週間前に選手寮で部員全員の寄せ書きを手渡され、レース当日には陸上部のマネージャー陣が中心となって作った応援幕が、四谷付近のコース沿いに掲げられた。ゴール後には応援に駆けつけた全部員が沿道で喜びを爆発させていた。「すごいよ!」「やったよ!」。しばらくの間、歓喜の声があちこちで上がり、興奮が収まらなかったという。

ここからまた、新しい挑戦が始まる

中村の挑戦は、まだ終わったわけではない。2020年8月のレース本番まで気を引き締めて準備していく。
「ここからまた、大八木監督と一緒にオリンピックに向かってやっていきます。銅メダルには、手が届く可能性はあると思ってます」

東京オリンピックの切符を手にした翌日に27歳の誕生日を迎え、気持ちを新たにした。
次は世界の高みを見すえ、これまで通り駒大で走り続ける。

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