陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

順大で箱根駅伝優勝・板倉具視さん 地元へ恩返しするために掲げる2つの夢

順大で箱根優勝メンバー。実業団では世界ハーフ日本代表も経験された板倉具視さん(写真提供・すべて板倉具視さん)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は、順天堂大学で箱根駅伝8区を走って総合優勝に貢献した板倉具視さん(36)のお話です。実業団・大塚製薬では世界ハーフマラソンの日本代表も経験しました。現在は、地元・広島県福山市で走健塾の代表をされています。

有森裕子さん、森下広一さんに憧れて

広島県福山市出身の板倉さん。小学2年生の時にテレビで見たのは、バルセロナオリンピックのマラソンで有森裕子さん、森下広一さんがメダルを獲得された勇姿でした。「その時からオリンピック! オリンピック! と思って、長距離を頑張りたいと思いました」。板倉少年の心に火がつきました。

テレビで見たバルセロナオリンピックがきっかけとなり、走ることに熱中していきました(真ん中が板倉さん)

運動が好きだったこともあって、S&Bちびっこ健康マラソンには小学1年生のときから参加していました。当時は6年生で優勝したら全国大会に出場できました。板倉さんはたまたま家の近くに強い陸上チームがあり、小学6年生から陸上チームで走り始め、優勝して全国大会にも出場しました。同じチームには池邉稔さん(倉敷高~明治大~ホンダ)がいて、ライバルになりました。

中学進学にあたって最初の転機がおとずれます。「学区内の中学はそれほど陸上が盛んでなかったのです。一方で、自宅から5kmほど離れたところに陸上の強い中学校があって、先生も熱心で、そこの中学に行きたかったんです!」ということで、陸上部の顧問に直談判して、ご両親にも行きたいとお願いしました。

S&Bちびっこマラソンにも出場していました。現役時代の渡辺康幸さん(現・住友電工陸上競技部監督)と(左が板倉さん、右がライバルの池邊さん)

それは小学校卒業の2カ月前というタイミング。しかも当時は学区外に通うには手続きも大変だったそうです。結果的に憧れの中学に通えることになりました。「無事に行けることになり、本当に良かったです。池邉君が通う中学校だったので行きたいという気持ちもありました。中学では彼と競い合いました」

全国に挑んだ中学、高校時代

自宅と学校、往復10kmを自転車で通学。強い先輩たちにもまれながらの練習で成果を発揮し、2年生から全日本中学陸上に出場。3年生の時は決勝にも進出しました。

どうしても強くなりたくて、学区外の中学に通い、2年連続で全日本中学陸上にも出場しました(1位が池邉さん、2位が板倉さん、写真は県大会のもの)

とにかく「強くなりたい」という気持ちで練習に明け暮れていたと言います。

高校は京都の立命館宇治高校へ。恩師・荻野由信先生にも部員にも恵まれて充実した3年間でした。中でも印象に残っているのが高校3年生で迎えた国体少年A5000m決勝です。

この国体は、留学生のハイペースに日本人選手たちが果敢に挑み、大牟田高校の土橋啓太選手が日本人トップとなる3位で13分44秒91、西脇工業高校の北村聡選手(現・日立女子陸上部監督)が2年生ながら13分45秒86で続き、8位入賞ラインが14分02秒08という高速レースでした。板倉さんは14分13秒11で13位という結果でした。このときライバルの池邊さんも決勝でともに走り、15位でした。

強いチームメートに囲まれた順大時代

オリンピックのために高校卒業とともに実業団へ行きたいとも考えましたが、「将来的なことを考えて大学でしっかり学んで広い目で見てみたい」という思いで順天堂大学へ。「医学の順大」と呼ばれ、個々の特徴を優先的に練習するところに魅力を感じられたそうです。

ちなみに、板倉さんと僕は同い年。当時、同学年の選手たちがどこの大学に進むのか気になっていたところ、順天堂大学に高校時代の有名選手が多数入学したのが衝撃的で今でもよく覚えています。

板倉さんご自身も高校時代、5000m14分10秒という自己ベストを持っていましたが、今井正人選手(現・トヨタ自動車九州)、現在は順大で監督を務める長門俊介さん、仙台育英高校で都大路優勝メンバーの清野純一さんをはじめ、豪華メンバーが揃い、「高校ランキングトップ10の半分くらいが順天堂大学でしたね!」と板倉さんは振り返ります。

凄い同級生はもちろん、1つ上には1500mでのちに日本選手権優勝を飾るスピードランナーの村上康則さんもいました。

1学年下には高校時代から「四天王」と呼ばれた松岡佑起さん。2学年下には5000mで(当時)日本人高校記録を保持していた佐藤秀和さんも入学してきました。佐藤秀和さんの記録は今年、石田洸介選手(東京農大二3年)が16年ぶりに更新しましたね!

強い先輩、同期、後輩、熾烈なメンバー争いを勝ち抜かないと駅伝メンバーの座に入ることはできませんでした。

監督の娘さんとの約束

学生三大駅伝デビューとなったのは3年生の出雲駅伝。4区を走ることになりました。「順大が3年連続で4区区間賞がかかっていたんです。若干プレッシャーでした(笑)」。予想外に後方で襷(たすき)をもらった板倉さんですが、プレッシャーを跳ね除け区間賞を獲得。「獲れる自信はありました。後ろで襷をもらいましたが、無事に獲れてよかったです!」

続く箱根駅伝は故障の影響により、走ることができませんでした。その年の箱根では順天堂大学にアクシデントもあり、優勝を逃すことになりました。

「箱根駅伝で復路優勝をするとキリンのトロフィーをいただけるのですが、仲村明監督(当時)の娘さんが『あれ、持ちたい!』って話していて、来年こそは娘さんにキリンのトロフィーをプレゼントしたいってみんなと誓いましたね」。その思いで翌年も頑張れたといいます。

迎えた4年生の箱根駅伝。4年生にして初出場となりました。

初代・山の神こと今井正人選手らの快走もあって、往路からすでに首位に立った順大。板倉さんは8区を任されました。

「最初で最後の箱根駅伝。楽しく走れました。9区、10区にも絶対に信頼のおける選手がいましたし。沿道の声援もすごくて、1時間ずっと名前を呼んで応援してくれて、しかもトップで、嬉しかったですね」。あっという間の1時間だったそうです。

「楽しかった」という最初で最後の箱根路では8区。チームの総合優勝に貢献しました

区間4位で首位を守った板倉さん。総合優勝に向けて盤石な襷リレーが続いていましたが、選手たちの間ではハラハラしていた部分も。「前年に仲村監督の娘さんにキリンのトロフィーを渡すという約束をしていましたので、なんとしても復路優勝も達成したかったんです」。復路優勝しないともらえないキリンのトロフィーに向けて、復路優勝も日大と激しい競り合い。差がある中での見えない戦いでした!

結果的には9区・長門俊介さん、10区・松瀬元太さんの連続区間賞(松瀬さんは区間新※当時)で総合優勝とともに復路優勝も飾ることに。娘さんも当時とても喜んでくれたそうです。

「最初の2年間は走れなくて、思い悩みましたが、3年生になってやっと走れるようになってきました。総合的に見ると楽しい4年間でした。仲村監督は選手一人ひとりに情をかけてくれる方で、しんどかった時も乗り越えることができました」と恩師への感謝も口にされました。

世界ハーフ日本代表に

大学卒業後は大塚製薬で競技を続けることに。河野匡監督(現・大塚製薬陸上競技部部長兼女子部監督)の「実業団は駅伝よりも日本代表に」と目標を掲げられている点に魅力を感じられたそうです。

大学卒業後は世界を目指して大塚製薬で競技を続けました

こどもの時から「日本代表になりたい」「オリンピックに行きたい」と挑戦を続けてきた板倉さん。入社3年目(2009年)の札幌国際ハーフマラソンで日本人3位となり、世界ハーフマラソン選手権の日本代表の座を決めました。

「憧れの日本代表でした。もちろんオリンピックを目指していましたが、日の丸ということで感無量でした」

その年、10月にイギリスのバーミンガムで開催された世界ハーフ。初の日本代表は「世界の強豪選手の壁を感じましたね。全然通用しなくて走っていても時間が長く感じました。距離は同じくらいなのに箱根の倍くらいに感じました(笑)」

初の日本代表となった世界ハーフ。海外勢のレベルの高さを痛感しました

6年間の実業団生活で現役を引退。「オリンピックを目標に掲げてきて、オリンピックには届きませんでしたが、充実した陸上人生でした。もちろん苦しい時もありましたが、もう1回、人生があっても陸上をやりたいです」。陸上が大好きという思いを話されました。

地元・福山で走健塾を設立

現役引退後、1年は会社に残って仕事をされましたが、13年11月に地元・広島県福山市で走健塾を設立します。

自分の経験を還元したいという思い、地元への恩返し。そして、仕事として続けていけるようにという思いからでした。現在は小学生から市民ランナーの方まで、幅広い年代の方にランニング指導をしています。

陸上選手のセカンドキャリアについても応援したい。走健塾ではアテネオリンピック女子マラソン日本代表・坂本直子さん、元実業団選手の室田祐司さんもコーチとして一緒に指導にあたります。

代表の板倉さん、アテネオリンピック日本代表の坂本直子さん、箱根駅伝・実業団経験者の室田祐司さんと走健塾の豪華コーチ陣

「育成方針ではサッカーのクラブチーム、人気ではプロ野球が理想」と言います。そのために小学校、中学校、高校と育成していくためのシステム・組織作りを始めました。それぞれのカテゴリーだけではなく、長期的な視点で選手を育成していく組織作りを見据えています。

走健塾では、こどもたちから市民ランナーの方まで幅広い世代のランニング指導を行っています

こどもたちから市民ランナーの指導もする一方で、「実業団を作りたいんです。ファンや市民ランナーさんで成り立つようなチーム作りですね」と新たな計画も話されました。

「ファンクラブを設立して、サポーターを増やす取り組みをしていきたいです。リターンとしてノウハウをお伝えすることで、市民ランナーさんも自己ベスト、選手も自己ベストを出す。ファンと実業団の垣根をなくしていきたいです」と新たな目標に向かって動き始めています。

「体型維持のために毎日走っています(笑)」という板倉さん。「中学生、高校生の自己記録をサポートしたいので。3000mでは8分50秒切り、5000mでは14分台ではいつでも走れるようにしておきたいですね。背中で見せたいですね」と笑顔を語る板倉さん。陸上競技や地元への恩返しのため、次世代のアスリートへの恩送りのため、今日も走り続けます!

M高史の陸上まるかじり

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