大学陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

ふるさと秋田の陸上を盛り上げたい! 駒澤大OB高橋正仁さんの挑戦

昨年4月、母校・秋田工業高校陸上競技部で監督に就任した高橋正仁さん

「M高史の駅伝まるかじり」は秋田工業高校陸上部の監督、高橋正仁さん(40)の話です。高橋さんは秋田工業から駒澤大学へ進み、大学時代は箱根駅伝優勝、全日本大学駅伝優勝に大きく貢献。実業団のコニカミノルタでの競技生活、母校駒澤大のコーチを経て、昨年4月に秋田へ戻り、母校の監督に就任しました。

僕も大変お世話になった方です。監督として新しいスタートを切って1年になる高橋さんに、取材してきました。

高校時代に学んだ体調管理の大切さ

「兄がやっていたので」と、中学校から陸上(長距離)を始めた高橋さん。中3の秋田県総体で優勝します。中学の3000mの自己ベストは9分19秒でした。

そして秋田県立秋田工業高校へ。このとき同じ秋田県立の花輪高校には、のちにコニカミノルタでチームメイトとなる双子の松宮隆行(たかゆき)さん(現・愛知製鋼)と祐行(ゆうこう)さん(現・セキノ興産)が入学しました。

「松宮兄弟は強かったですね。走りのキレがありました。トラックレースだとずっと引っ張ってラストで負けてましたが、得意なロードでは負けなかった」と、高橋さんは振り返ります。

高校時代の5000mの自己ベストは14分59秒でした。高校で印象に残っているのは、2年生のときの全国高校駅伝。エースとして1区(10km)を走る予定でしたが、レースの数日前に発熱。本番までには何とか回復して6区(5km)を走りましたが、区間37位。「体調管理の大切さを身をもって学びました。その後の競技人生、指導にも生きてます」

箱根駅伝初Vのゴールへ駆け込んだ

1998年の春に秋田を離れ、東京へ。当時の駒澤大は大八木弘明コーチ(現・監督)が就任し、箱根駅伝の予選会常連校から本戦で優勝争いをするチームに変貌(へんぼう)を遂げていました。

同級生には揖斐祐治さん(現・岐阜協立大学駅伝部監督)、神屋伸行さん(現・相生学院高校駅伝部監督)といった、高校時代から全国で活躍してきた選手たちがいました。「同級生に負けたくない」と意気込んだ1年生のときは、けがや貧血に苦しみます。

2年生のときはハーフマラソンに何度も出場。「2年目はトラックシーズンもひたすらハーフマラソンばっかり走ってました。だから、トラックの持ちタイムはなかったんです(笑)」

2年生のとき、10区を走り区間賞・区間新(当時)で初優勝のフィニッシュテープを切りました※写真提供:高橋正仁さん

年間を通してロードレースでの経験を積み、初出場となった2年生の箱根駅伝ではアンカー10区を任されました。高橋さんはここで、当時の区間記録を塗り替える区間賞の快走! 駒澤大初優勝のフィニッシュテープを切りました。

箱根駅伝で初の総合優勝。上から2列目左が高橋さん※写真提供:高橋正仁さん

3年生で主将となり、箱根9区で「高橋対決」

3年生になると駅伝主将に任命されました。箱根駅伝前の12月は「(練習で)何をやってもキツくなかった」というほど絶好調。「いける」という自信があったそうです。

当時、駒澤大と順天堂大は「紫紺対決」と呼ばれ、しのぎを削っていました。このシーズンは出雲、全日本とも順天堂が優勝。学生駅伝3冠に王手をかけられた中、駒澤も意地を見せたいところ。

箱根駅伝では往路で順天堂がトップの中央と8秒差の2位と絶好の位置につけました。駒澤はトップと2分24秒差の4位でした。

順天堂がトップに立ち、7区、8区で駒澤が2位に浮上します。そして9区。順天堂はキャプテンでエースの高橋謙介さん。27秒差で襷(たすき)をもらった高橋正仁さんは「いくしかない!」と覚悟を決めてスタート。

「キャプテン対決」「高橋対決」「紫紺対決」として、駅伝ファンの間では今でも語り継がれる名シーンです。

9区の最初は下っているとはいえ、1km2分30秒ちょっとという怒濤(どとう)のスタートダッシュ!  持ちタイムや実績では格上だった高橋謙介さんに、7km付近で追いつきます。そのあとも「勝つために冷静でした」と振り返ります。

「いま思えば、10km過ぎに1度前に出てるんです。調子がよかったので、そのまま前に出ていれば、という思いもあります」

その後は延々と22km付近まで並走が続き、ラスト1kmの手前で猛スパート。高橋謙介さんに17秒差をつけてトップで中継、区間賞をとりました。しかし、10区で順天堂に逆転され、学生駅伝三冠を達成されてしまったのでした。

最終学年で箱根V奪還

引き続き4年生も駅伝主将を任された高橋さん。「一人ひとりが勝つために必死でした」と振り返ります。キャプテンとして「性格やタイプに応じて声かけを変えてました」と細やかな気遣いで、優勝奪還に燃えるチームをまとめました。

全日本大学駅伝では、最長区間となるアンカーの8区(19.7km)を任されました。同期や後輩にエース格が何人もいたので驚いたそうですが、区間3位の走りでほかの大学の大エースを振り切り、優勝のフィニッシュテープを切りました。

全日本大学駅伝優勝のゴールテープを切る高橋さん(撮影・橋本弦)

箱根駅伝では9区で2年連続の区間賞を獲得。駒澤大学は2年ぶり2度目の総合優勝を果たし、この年から4連覇を成し遂げます。

「初優勝も印象に残っていますが、キャプテンとしての優勝はやはりうれしかったですね」。当時の責任の重さをかみしめるように、高橋さんは言いました。

悪循環でけがが続いたコニカミノルタ時代

コニカミノルタに進んでからは、けがとの闘いでした。

「1年目の青東(東日本縦断)駅伝で肉離れ。その後は焦って治して、無理をして、またけがを繰り返して、といった感じでした。チームが強かったし、『学生時代に箱根で優勝したんだから、しっかり走らなきゃ』という変な焦りやプレッシャーもありました」

思うようないい結果は残せなかったそうですが、4年間の実業団経験はその後の指導者人生において、貴重な経験になったそうです。

「指導するときに、大学と実業団の違いを話せました。それに大学だけでなく、社会人になってからも羽ばたいてほしいと思うようになりました」

駒大の主務として、本当に頼れるコーチでした

2006年には駒澤大のコーチに。僕が4年生で主務をしていたときです。1年間だけでしたが、さまざまことを教えていただきました。

例えば、けがを抱えている選手に対して、どういう補強をして、走れないのであれば代わりに何をすべきか、どういう計画で練習に戻っていくのかなど、綿密にコミュニケーションをとっていました。本当に頼れる存在でした。

2006年の日本インカレ。選手と招集所へ向かうシーン。右奥が高橋正仁さん。斜め前にいるのが僕です

僕自身の学生時代を振り返ると、主務としての仕事を抱え込んでしまって、一人で悩み、視野も狭く、目の前のことで精いっぱい。そんな僕に、マネージャー同士の連携、伝達、情報共有。そして確認、連絡、報告といったマネージャーの基本や、準備の大切さなどを細かく教えてくださいました。

それでも学生時代は周りのみんなに迷惑をかけてしまった思い出ばかりですが、その年の全日本大学駅伝では優勝。いまでも感謝しています。

昨年、秋田工業高校へうかがったときの写真です。学生時代の思い出に話も弾みました!

さて、僕から高橋正仁さんへの感謝の手紙みたいになってきましたので、話を戻します(笑)。

2006年から9年間は、駒澤大で大八木弘明監督のもと、コーチを務めました。大八木監督から学んだことについて聞くと「情熱ですね! 指導者も本気になって練習をしっかり見てあげるということは、いまの指導にもつながってます」。

さらに「コーチとして学生三大駅伝すべてで優勝という貴重な経験をさせてもらったのが財産です」と言います。高橋さんは学生時代も三大駅伝のすべてで優勝を経験されてます。「学生時代、出雲で優勝したときはメンバーに入ってませんでした。全日本と箱根は自分が走って優勝できましたが、選手とコーチでは優勝の味が違いますね。チームが勝つときの雰囲気というのも感じられるようになりました」

駒澤大のコーチとして得たものを改めて尋ねると「目標を持って取り組むことの大切さですね。達成できなかったとしても、目標に向かってどれだけやれたか、挑戦できたのかが、その後の人生につながっていきます」と返ってきました。

通信制課程で学び、教員免許を取得

駒澤大でのコーチ生活のあと、秋田工業高校に戻った高橋さん。コーチをしながら星瑳大の通信制課程で学び、保健体育教諭の免許も取得しました。そして、昨年4月から、秋田工業高校陸上競技部の監督に就任しました。

「1から10まで教えるのではなく、自分で考えて目標を立ててもらうようにしてます。自分で考えてやってみれば、たとえ失敗をしたとしてもいい経験になりますし、そこで新たな『気づき』が生まれて、次につながります。自分が本気になってどれだけやれたか、努力できたか。受け身にならない、指示待ちにならないのが大切です。やらされるのではなく、『気づき』を大切に自分から動けるようになってほしいです」

自発的に練習、補強、ストレッチに取り組む選手の皆さんを優しい眼差しで見守る高橋正仁監督

さらに「大学に進む生徒もいれば、就職する生徒もいます。社会に出てからも目標に向かってやり通せるための基盤をつくっています」と、卒業後のことも考えての指導の日々です。

昨年12月、監督として初めての都大路には「設定タイムは2時間3分30秒。狙い通りの練習ができましたし、いままでやってきたことができれば不可能な数字じゃないと思ってました。勝負に絶対はないので、強い選手が相手でも名前負けしないこと、走るのは同じ高校生なんだから」との意気込みで臨みました。

そして本番。優勝した仙台育英(宮城)の2時間1分32秒を筆頭に、8位の自由ヶ丘(福岡)も2時間2分57秒と、2時間3分を切らないと入賞できない史上空前の高速駅伝でした。秋田工業は2時間3分43秒の好タイムで13位でした。

「ほぼ設定通り。入賞を目指してましたが、生徒はよく頑張ったと思います。みんな悔しがってましたね。いけるかもしれない、達成できるかもという思いがあったんだと思います」

その中でも「やればできる」ということに試合を通して気づき、経験できたのはチームにとって大きなプラスでした。「若いから、成長するスピードが早い!」と、選手たちの成長を日々実感しているそうです。

中には高校から陸上を始めて力をつけてきた選手もいます。例えばエースの中川雄太選手は中学校までサッカー部。秋田工業に入学してから陸上を始め、コツコツと力をつけて記録を伸ばし、5000mは14分4秒まできました。2年生ながら都大路の1区で区間10位(29分13秒)と輝きました。

「生徒が主体的になり、その可能性を引き出してあげられるような、目標に向かってみんなが頑張れるようなチーム作りをしていきたいですね」と、高橋監督は改めて理想のチームについて触れました。

逆境を乗り越える自主性の力

ここ最近の新型コロナウィルスの問題で、全国各地の学校が休校、部活動休止となってます。県立である秋田工業も部活動が休止となり、寮生活をしている生徒さんたちもいったん自宅へ戻りました。この期間中は自分で時間を見つけて、各自で練習します。

「この1年間、自分で『考えて動く』ということに取り組んできました。自分で考えてやってみるのはいい経験になり、新たな気づきを生む。時間の使い方、練習をやりすぎてしまった、あるいは練習が足りなかったなど、自分の体調や練習の強弱を自発的に学べます。また、洗濯やそうじなど普段の寮生活で取り組んでいることは、自宅に戻っても自分でやるようにと生徒に伝えました。何でもそうですが、普段の生活が乱れれば成果は生まれませんし、親に甘えないこと。当たり前のことを当たり前にすることが大切です。この期間はある意味、1年間の集大成であり、成長するためのチャンスととらえてます」

都大路では2時間03分43秒で13位。今季の活躍にも注目したいです!

取材の中で「秋田の陸上を盛り上げたい」と何度も口にした高橋さん。今年の全国都道府県対抗男子駅伝では秋田県チームの監督も務められました。

ふるさと秋田からの陸上界への恩返し。高橋正仁さんの挑戦は続きます。

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