実業団から大学へ 保育士を目指す松蔭大・井上実乃里選手の挑戦!
「M高史の駅伝まるかじり」は、保育士と幼稚園教諭の資格取得の勉強をしながら競技にも打ち込む、松蔭大学(神奈川)3年生の井上実乃里選手(26)に取材してきました。高校卒業後に実業団を経て大学に進学した、異色の経歴の持ち主です!
島根の大自然の中、スポーツ大家族で育つ
「島根県、出雲大社の近くの大自然の中、大家族で育ちました!」と井上選手。6人きょうだい(長男、本人、次女、次男、三女、四女)で、お母さんは元実業団選手。お兄さんは空手でインターハイ出場、すぐ下の妹さんは陸上の中国地区大会で優勝し、現在は看護師をしているそうです。
小さいころから水泳、体操、トランペット、ピアノといろんな習いごとをしていたそうですが、小学4年生で陸上教室に誘われ、陸上も始めるようになりました。陸上教室の青木茂先生には、親子2代でお世話になったそうです!
出雲市立第三中学校では陸上部。井上選手曰く「おてんばでテンション高めでした」。かなり元気があったようです(笑)。
競技でも実力を発揮し始めました。3年生のとき、全日本中学選手権の800mに出場。準決勝に進出します。タイムで9番目と、あと一歩で決勝を逃しました。「悔しいというよりは、当時はあまり何も考えてませんでしたね」と、笑って振り返ります。中学時代の恩師・藤松均(ひとし)先生とは、いまでも連絡を取り合っているそうです。
先輩に救われた高校時代
高校は私立の出雲北陵へ。1年生でインターハイに出場し、いきなり800mで5位入賞。秋の国体でも入賞を果たしました。順風満帆のスタートを切った高校生活でしたが、高2の夏に指導を受けていた三原博昭先生が亡くなられました。ショックのあまり、もう陸上をやめようと思ったそうです。
そんなとき、1学年上でキャプテンだった今田美咲さんに救われます。「美咲さんは元々バスケをしてて、チームをまとめるのが上手な方でした。人柄も素晴らしくて、つらいときもみんなを支えてくれて、出会えて本当によかったです。美咲さんがいなかったら、あのとき陸上をやめてたかもしれません」
今田さんは現在、保育士をされているそうで、保育士を目指している井上選手とここでもつながってますね。
高2の秋には、今田さんたちと走った島根県高校駅伝で優勝し、全国高校駅伝出場を決めました。初の都大路ではアンカーの5区(5km)を走りました。インターハイも結果的に3年連続出場を果たしました。
高校卒業後、実業団の道へ
大学からの誘いもあったそうですが、高校卒業後は実業団の世界へ。実は高校時代に井上選手のお父さんが倒れ、現在も入院されているそうですが、ずっとコミュニケーションがとれない状況だそうです。実業団へ進んだのには「母に負担はかけられない」という思いもあったのかもしれません。
ユニバーサルエンターテインメントに進みます。「高橋尚子さんへのあこがれがありました」という井上選手。高橋さんの恩師である小出義雄監督の指導を受けます。
「新谷仁美さんが隣でストレッチしていたり、永尾薫さんがいつも相談に乗ってくれたり。日本を代表するすごい先輩方に囲まれてました」
ユニバーサルエンターテインメントで4年間の競技生活を送り、その後コモディイイダへ移籍。受付業務をしながら競技を続けました。仕事を覚えるのは大変でしたが、教えてもらって少しずつ慣れていったそうです。
コモディイイダでの競技は約7カ月、その後は仕事に専念します。「上司が仕事のできる方でテキパキ、バリバリ仕事をされてました。たくさん学ばせてもらいましたね!」
「一つ年上の西山路佳さんとは、いつも一緒でした。別のチームからコモディイイダへ移籍してきて経歴も似てました。メンタルが強くて、支えてもらいました。カッコいい女性です!」
保育にあこがれ、松蔭大学へ
コモディイイダの受付業務では、子どもたちと接する機会が多かったそうです。「妹たちの保育園のお迎えもしていたので、子どもが大好きでした!」。そして保育の道へのあこがれ、強い思いが日に日に増していきました。仕事をしながら保育の夜間学校に通えたらと考えていたところ、「松蔭大学なら保育を学びながら競技もできる」と教えてもらったそうです。
覚悟を決めて松蔭大へ。「大学は楽しいですね! 最初は年齢差もあるし、友だちができるか心配だったんですが(笑)。子ども学科で、ほかの部活の友だちも一緒に学べるのが楽しいです!」
保育士、幼稚園教諭になるにはピアノが必修。「ピアノは子どものときに少しかじった程度でしたが、久々でも少しは弾けたのでよかったです。人生、ムダなことはないですね!」
井上選手の実家はお父さんが倒れて以来、お母さんが6人の子どもたちを育ててきました。いま、井上選手は勉強と競技の合間にアルバイト。「3足のワラジ」生活です。
「一番下の妹はまだ中学生ですし、これ以上母に負担をかけるわけにはいかないので」と、明るい表情で話す井上選手。思えば取材中、ずっと笑顔。「母が前向きでよく笑う人なんですよ!」と教えてくれて、思わず納得しました(笑)。
関東インカレ、全国女子駅伝にも出場
競技に再挑戦して1年目は、いい結果に結びつかなかったようですが、2年目には少しずつ好結果も出始めて、関東インカレ10000mに初出場。全国女子駅伝には島根県代表として出場しました。
松蔭大女子駅伝部で指導にあたるのは中野幹生監督。神奈川大学ではキャプテンを務め、箱根駅伝総合優勝に貢献されました。実業団での競技経験もあります。その後、鍼灸の国家資格を取得し、実業団チームでのトレーナー経験を経て、監督に就任。なんと「治療もできる監督」です!
「経験も豊富ですし、寛大な心で見守っていただける監督です」と、井上選手も信頼を寄せます。
頼りがいのあるお姉さん的存在
チームメイトのみなさんにも話を聞きました。
中山由菜選手(3年、札幌創成)
「年上なのにそれを感じさせないところが魅力です。実業団時代のエピソードや体験談は勉強になります。よきお姉さんであり、よき同期です。4年間、最後まで一緒に頑張りたいです!」
岡田叶恵キャプテン(2年、宇都宮文星女子)
「頼りがいのあるお姉さん的存在です。相談しやすいですし、調子が悪いときにこれまでの経験からアドバイスしてくれます。優しいし、上からじゃなくて同じ目線でいてくれるんです。尊敬してます!」
チームのみなさんからも頼られている井上選手ですが「チームメイトはしっかりしているし、みんな自分の芯をもっていて面白いです! 逆に支えてもらっていて感謝です!」と、謙遜気味に話していました。
道は一つじゃない、知らない世界への挑戦
最近はほかの大学の選手から競技面や進路についての相談が舞い込むこともあるそうです。そんなときに井上選手が伝えるのは「人生は(選択肢が)一つだけじゃないし、まずはやってみること。もし失敗しても大丈夫なんだと思うこと」「挫折することがあっても、その中で楽しさや頑張れるところを見出すこと」「知らない世界に挑戦するのは楽しいし、新しい道が開ける」といったこと。そして最後に「出会いを大事にすることですね!」と話してくれました。
マラソンランナーの吉田香織選手(TEAM R×L)のイベントでペースランナーを務めたり、松蔭大のチームメイトと市民マラソン大会でペースランナーをしたり。ランナーさんに楽しんで走ってもらえることの喜びを感じたそうです。「卒業してからも走っていたいなと思います」と話してくれた井上選手は将来、保育士ランナーとして話題になるかもしれませんね!
保育の仕事についたら「一人ひとりをしっかり見てあげたいです。もしイヤなことがあっても、それを子どもが忘れるくらい元気な先生になりたいですね!」と話してくれました。近い将来、子どもたちと元気に走り回る姿が想像できますね! しかも一般的な保育士らしからぬ腰高のフォームとスピード感で(笑)。
「道は一つじゃない」「知らない世界への挑戦を楽しむ」
井上選手のライフスタイル、チャレンジする姿勢は、昨今のアスリートのセカンドキャリアに通じる部分があるのではないでしょうか。
井上選手、これからも応援しています!