箱根出場で福井の両親に恩返しを! 麗澤大・山川達也監督の実家はお蕎麦屋さん
麗澤大学は箱根駅伝の予選会で、2年続けて次点でした。駅伝ファンの方々からの注目は、年々高まっています。陸上競技部を指導するのは山川達也監督(35)です。以前に山川監督を取材した際、丁寧で実直な指導をされているのを見て思わず「職人のようですね」とお伝えしたところ、「実は実家が蕎麦(そば)屋でして」と、教えてくれました。
山川監督の指導の原点がここにあるのではと思い、福井県福井市の手打蕎麦「とらい」さんへうかがってきました。
夫婦二人三脚で23年
JR福井駅からバスで10分。福井高校前で降り、歩いて3分ほど。住所は福井県福井市文京。「とらい」さんが見えてきました。電車では日華化学前駅(えちぜん鉄道三国芦原線)から約1.1kmの距離です。
蕎麦職人である父の成美(なるみ)さん(63)、母の和代美(かよみ)さん(59)の夫婦二人三脚で23年に渡って続けられています。「遠いところよく来てくれました」と歓迎していただきました!
成美さんは若い頃、中華屋さん、お蕎麦屋さんで調理をしていた経験があり、「将来、蕎麦屋になりたい」と、ずっと夢見ていたそうです。
看護師をしていた和代美さんと結婚したあと、お弁当屋さんを11年、そして念願のお蕎麦屋さんを始めました。和代美さんは山川監督が生まれると看護師をやめ、成美さんを支えて34年になるそうです。
職人としてのこだわりについて成美さんは「いい材料を使って、手で作ることですね。機械では出せない味があります」と語りました。
材料、質にこだわり、福井県産のそば粉を使います。出汁となるカツオ、そして、お米にもこだわっています。「お客さんの『おいしかった〜』という声がうれしいですね。常連さんがお友だちを連れてきてくれるんですよ」。開店以来20年以上に渡って来てくれるお客さんもいるそうです。
「人のご縁に感謝です」と、ご両親。この言葉、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、山川達也監督も何度も口にされていました。ご両親が人とのご縁を大事に生きてこられた姿を見て育ったことが、現在の麗澤大学での指導にもつながっているのかもしれません。
店名の「とらい」の由来は英語の「try」から来ているそうで、挑戦し続けるご両親の姿と山川監督が箱根駅伝に挑戦し続ける姿が、僕の頭の中で重なりました。
こだわりの手打蕎麦
さっそく僕もお蕎麦をいただきました。とらい定食(おろし蕎麦とミニソースカツ丼のセット)です!
一口食べた瞬間に、箸が止まらなくなりました(笑)。大根おろしと手打ちのお蕎麦が奏でるハーモニー、味に優しさを感じます。ソースカツ丼もお米、お肉、ソースにまでこだわりが詰まっているのを感じました。
これだけおいしく料理してもらったら食材たちもきっとうれしいのでは思えるほど、本物の味に出会えた喜びにしばらく浸っていました。原稿を書いているいまも脳裏に浮かんで、おなかがすいてきます(笑)。
味はもちろん最高ですし、お蕎麦を打つ成美さんの人柄、料理を運ぶ和代美さんの明るさと笑顔! また来たくなる味、お店の雰囲気。常連になる方の気持ちも分かります。能登から通っている方もいるそうですよ。
家族4人で毎日山を走った思い出
おいしいお蕎麦をいただいたあと、ご両親に山川監督の話もうかがいました。
山川家は成美さん、和代美さん、達也さんに妹のあゆみさんを加えた4人家族。達也さんが通っていた小学校では毎月、山を走る行事があり、それに向けて家族4人で毎朝山を走っていたそうです。
「雨の日も声をかけて、毎日続けてましたね」と、和代美さんは笑って振り返りました。ランニングには愛犬も参加していて、近所でも有名だったとか(笑)。水泳もやっていて、育成コースで「ちびっこトライアスロン」にも出場するほどの実力でしたが、達也さんは陸上の道を選びました。
当時はお弁当屋さんをされていたご両親ですが、日替わり弁当が人気で休みは月に1度だけ。ゆっくりしたいはずの休日ですが、成美さんは子どもたちと外出したり、家族のために時間を使ったりしてくれたそうです。
夫婦共働きでお弁当屋さんを営むご両親の背中を見て育った達也さんは、幼少期から妹にごはんを食べさせてあげたり、よく面倒を見ていたそうです。「小さいころから、食器の片付けまできれいにやってましたね」と和代美さん。
妹さんの世話、面倒見のよさというのが、現在の丁寧できめ細かい指導に通じているんだろうなと感じました。
「お父さんの日替わり弁当はおいしくて、とても人気でした。中華料理屋で働いていたこともあって、料理は何でも上手なんです。でも蕎麦屋をやりたいってずっと言ってましたね。達也が中学生のころに、念願だった蕎麦屋を始めたんです」と、和代美さんは懐かしそうに振り返りました。
箱根予選会は毎年応援
達也さんは中学卒業とともに親元を離れ、福井県立美方高校に進みます。3年生のときに全国高校駅伝の5区を走り、都道府県対抗男子駅伝にも出場。大学では教員免許を取ろうと中京大学に進み、出雲駅伝にも出ました。
卒業後は愛知県の弥富高校(現・愛知黎明高校)で3年間教員をしたあと、2010年に麗澤大学のコーチに。17年から監督になりました。箱根駅伝予選会の日は、ご両親も福井から毎年応援に駆けつけるそうです。
「もう10年になりますね。愛犬も連れていくのですが、麗澤カラーのバンダナを首に巻いているので、ファンや関係者の方からも声をかけられるようにもなりました(笑)」と成美さん。
さらに「年々、力をつけているのがわかりますね。チームの雰囲気が大きく変わりました」とも。ここ2年はあと一歩で箱根の本戦出場を逃し、本当に悔しそうな空気が流れていました。応援し始めた当初とは雰囲気も変わり、戦う集団に進化していったと、毎年応援しているご両親はチームの変化に気づいていました。
闘病しながら人生をかけて蕎麦を打つ
実は成美さんは透析治療のため、週に3度の通院をしながら、お蕎麦屋さんを続けています。以前は昼休みに和代美さんと一緒に走っていたほど元気だったそうですが、いまは体重も体力も落ちてしまったそうです。
蕎麦職人は仕込みや蕎麦打ちなどがあって、体力勝負です。「おいしいお蕎麦をお客さまに食べていただきたい」と語る成美さんには職人魂を感じます。お客さまに喜んでいただくため、人生をかけておいしいお蕎麦を作り続ける姿勢に心を打たれました。
以前に取材で「長男なのに蕎麦屋を継がずに好きなことをやってますので、両親に恩返ししたいです」と話していた山川監督。ご両親の働く姿を子どものときからずっと見ていた監督にとって、感謝の気持ちから自然と口に出た言葉だったのでしょう。
関東学生連合の監督を2年連続で務め、連合チームの選手たちがSNSで「#タツヤを漢に」というハッシュタグをつけるほど慕われています。人柄のよさ、芯の強さ、一つのことを愚直にやり続ける姿勢などは、ご両親と重なります。
「蕎麦職人」「駅伝の監督」と道は違いますが、情熱、謙虚さ、こだわり、まっすぐに打ち込む姿勢が親子そっくりでした!
関東学生連合で2年連続箱根路を経験した山川監督ですが、今度こそ自分のチームで! という思いは強まっています。
山川監督と麗澤大学の皆さんの3度目の正直、3度目のトライに注目ですね!
そして、手打蕎麦とらいさん! またおいしいお蕎麦を食べにうかがいます。ありがとうございました!