陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

藤田敦史さんにあこがれて、僕の人生は変わりました!

昨年、駒澤大学陸上競技部の夏合宿取材で野尻湖に行った時の写真です(撮影・藤井みさ)

「M高史の駅伝まるかじり」今回は番外編! 連載「4years.のつづき」にちなんで、藤田敦史さん(43)との思い出をM高史さんが綴ってくれました。Mさんは藤田さんの駒澤大学の後輩であり、藤田さんの現役時代に駒澤大学のマネージャーとして練習のお手伝いもしていました。

藤田さんは「人生の恩人」です!

僕が駒澤大学を志したきっかけは中学生のころまで遡ります。第75回箱根駅伝4区で区間新記録(当時、1時間00分56秒)で快走された藤田さん。先頭と2分20秒差で襷(たすき)を受けて、中継所では逆に1分06秒差をつける圧巻の走り。

そして、当時はまだ1校1台ではなかった運営管理車の中から大声でアツい檄を飛ばす大八木弘明コーチ(現・監督)! 中学生だった僕にとって衝撃的な光景。大八木コーチと藤田さんの師弟関係を陸上専門誌などで読みあさり、どんどん惹かれていきました。

第75回箱根駅伝で快走を見せる藤田さん(代表撮影)

あるとき、「藤田敦史さんの好きなアーティストはB’z」と書かれている記事を読みました。中学生の僕は「おお! B’zを聴けば藤田さんのように足が速くなる!」と根拠のない自信を抱き、B’zの楽曲にのめりこみ、毎日毎日聴くようになりました。だんだん聴くだけではなく歌いたくなり、モノマネが始まり、まさか将来お仕事でモノマネもするようになるとは思ってもいませんでしたが(笑)。

駒澤大学、B’zが好きになってモノマネするようになったのも藤田さんのおかげ、僕にとって人生の恩人なのです!

あこがれの藤田さんとの出会い

あこがれの駒澤大学に入学して陸上競技部に入ったものの、まったく練習についていけず。1年生の冬にマネージャーに転向したことについては、以前のコラムにも書きました。

あらためまして、陸上応援団長のM高史です!

大学2年生になり、少しずつマネージャー業に慣れてきたかなというころ。先輩から「藤田敦史さんが駒澤を拠点に練習されるらしい」というお話を聞きました。

根っからの藤田さんファンだった僕にとっては衝撃が走りました!

藤田さんと言えば2000年12月の福岡国際マラソン。その年のシドニーオリンピック金メダリストであるゲザハン・アベラ選手(エチオピア)、アトランタオリンピック銀メダリストの李鳳柱(イ・ボンジュ)選手(韓国)ら世界の強豪選手を振り切って、2時間06分51秒の日本最高記録(当時)で優勝されたレースが衝撃でした。そのとき黒いソックスを履かれていて、かっこよくて、すぐにスポーツショップに探しに行ったのも懐かしいです。

2000年の福岡国際マラソンで当時日本最高記録を出した藤田さん(撮影・会田法行)

その後、藤田さんは富士通に所属しながら、大八木監督のもと母校を拠点にトレーニングすることになったのでした。現在は東京オリンピックマラソン日本代表に内定した中村匠吾選手(富士通)が同じスタイルで競技に取り組んでいますね。

初めて藤田さんに話しかけられた言葉は「お前、B’z好きなの?」でした!

僕は笑顔で「はい!!」とお答えしたのですが、緊張とうれしさでニヤニヤが止まらなかったと思います(笑)。

“真剣”という言葉を肌で感じる

当時の駒澤大学は箱根駅伝で3連覇(翌年まで4連覇)中。練習の空気も引き締まり、ポイント練習も一瞬も気を抜けず、タイム計測や給水のミスがないように細心の注意を払い、準備をして臨んでいました。

しかし藤田さんの練習でのオーラは、水蒸気レベル、空気レベルで違いました。練習に挑む空気感はまるで「侍」のようでした。

1回1回の練習に人生をかけている、命をかけているというのが伝わってきました。武士が出陣する前ってきっとこういうオーラだったのかな……というくらい。おおげさではなく、自分が呼吸しているときにわずかに発してしまう息の音すら「申し訳ない」というほど、藤田さんの「マラソンに対する覚悟」が空気レベルで伝わってきました。学生でありながらそうした日本のトップ選手の練習のお手伝いをできたことは、本当に貴重な経験でした。

福岡国際マラソンに向けたとてつもない練習

05年の秋、12月の福岡国際マラソンに向けてのマラソン練習。藤田さんは圧倒的な練習量はもちろん、常にレースを意識した質の高い練習を積んでいました。レースが近づくにつれて質がまた一段上がり、レースペースに近い速めの距離走で仕上げをしていました。

藤田さんが日本最高記録2時間06分51秒を出した00年の福岡国際マラソンのときの練習データをもとに、大八木監督と藤田さんが設定タイムを話し合います。過去の練習データと比較して、さらに速いタイムでポイント練習、距離走をこなされていました。ちなみにこの時点では、02年にシカゴマラソンで高岡寿成さんが2時間06分16秒で日本最高記録を更新していました。

2005年、駒澤大のトラックで練習する藤田さん(撮影・丹羽敏通)

一番印象的だったのは、多摩川河川敷で30kmの距離走を1時間29分台で走ったこと。その年にあった熊日や青梅の30km優勝タイムより速い記録でした!

実際、その日は30kmでしたが、まだまだいけそうな勢いがありました。もしあと12.195kmをそのまま走っていたら「2時間5〜6分台」、「日本記録更新」だったのでは!? といまでも時々、藤田さんとお話することがあります。多摩川の土手で一人で走られて、この記録ですからね(笑)。

00年の福岡のレース前最終の30km走では1時間31分前半だったそうです。今回の練習で30km1時間29分台を出されたということは、次の福岡国際では2時間5分台も出るのでは!? という空気を感じていました。

一瞬も気が抜けない自転車での先導

ロードの練習は自転車で伴走や先導をします。だいたい僕が前で自転車、真ん中に藤田さん、すぐ後ろに大八木監督が自転車で伴走。僕にとっては緊張しっぱなしのフォーメーションです(笑)。

藤田さんから「風よけ」をお願いされることもあります。タイム計測や給水もつとめ、自転車や歩行者の方にご迷惑がかからないように「すみません」とお声をかけ配慮しながら、自転車で藤田さんの少し前をキープし、なるべく藤田さんが向かい風を受けないようにします。

2005年の福岡国際マラソン、30kmすぎで先頭から離れる藤田さん(撮影・金子淳)

もし万が一、0.1秒でも気を抜いてしまうと、走っている藤田さんにぶつかってしまう可能性があります。でも少しでも離れてしまうと「風よけ」の意味をなしません。

接触を心配された大八木監督からは僕に対して「もっと前にいけ!」と大きな声が飛ぶのですが、その声を上回る大きな声で藤田さんには「もっと近く!」と! 結局「離れすぎず、近すぎない」ギリギリの絶妙な距離を保って自転車に乗り続けていました。40km走のときは約2時間、全神経を集中しつづけました。

藤田さんは練習でも常にレースを意識して、後半の勝負どころをにらんでビルドアップされていました。

悔しそうな表情でゴールする藤田さん(撮影・溝脇正)

そして迎えた本番の05年12月の福岡国際マラソン。僕も食い入るようにテレビで応援していました。当日はあいにくの強風、途中から雨、低温の厳しいコンディションもあり2時間09分48秒で3位(日本人トップ)でした。コンディションの悪さもありましたが、あとで藤田さんに聞くと30km走のときの方が好調だったそうです。「ピーキングの難しさ」も教えてくださいました。

思い出のB’zライブ 

練習中は戦に出陣する侍のようなオーラを放つ藤田さんでしたが、練習以外では優しく話しかけていただきました。

共通の話題はなんといっても、B’zトークです! 藤田さんは相当なB’zファンなので、アルバムにしか入っていないファンの間では人気の高い曲の話はもちろん「このライブでしか披露されなかった限定アレンジ」など、かなりマニアックな話も教えてくださいました(笑)。

1度、B’zのライブに連れて行ってくれたことがありました。中学生のころからあこがれていた藤田さんと大好きなB’zのライブに行ける。しかも初ライブということで、夢のような時間でした。

練習とは違った表情の藤田さん。アツくライブ鑑賞されていました! 「ultra soul」の「Hi!」のタイミングで一緒にジャンプした思い出はいまでも鮮明に覚えています。ありがとうございました!

指導者になってもリスペクト

卒業してからも毎年、箱根駅伝では母校のお手伝いにうかがっているので、藤田さんがコーチに就任されてからは、また毎年お会いするようになりました。正月に寮へご挨拶にうかがうと丁寧にお話してくださいます。こちらが恐縮するほどです。

いつでも丁寧に接してくださる藤田さん。本当にありがとうございます!(撮影・藤井みさ)

新入生歓迎会ではOBとして余興をするのですが、僕の持ちネタでB’zの稲葉浩志さんのモノマネがあります。稲葉さんの熱烈なファンの藤田さんの前でモノマネするのは、ダブルで緊張です(笑)。

昨年の夏には駒澤大学の夏合宿を取材したのですが、その際もチームの調子、トレーニング状況、マネージャーの働きっぷりまで本当に丁寧に真摯にお話いただきました。

ずっとあこがれであり、尊敬している駒大陸上部の大先輩でもある藤田敦史さん。指導者としてのますますのご活躍、心から応援しております!

M高史の陸上まるかじり

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