あらためまして、陸上応援団長のM高史です!
4years.では大学スポーツの主要競技について、「応援団長」を置くことにしました。かつて大学時代にその競技に打ち込んだ方に、いま青春のまっただ中にいる現役の学生たちを応援していただきます。陸上の応援団長は、以前から4years.でコラムを執筆していただいているM高史さん(34)です。あらためて、Mさんに意気込みを綴ってもらいました!
このたび、4years.の陸上応援団長を務めさせていただくことになりましたM高史です!
大変光栄です。本当にありがとうございます!
現在4years.では二つの連載を担当しています。一つ目は「M高史の駅伝まるかじり」。学生時代、駒澤大学陸上競技部で主務を務めていましたので、駅伝についてマネージャー目線で書かせてもらっています。
この春からの新シリーズ「M高史の走ってみました」は、大学の陸上部や駅伝部の練習にうかがって、一緒に走らせていただくという体を張った連載です(笑)。練習以外でも、寮で食事やお風呂までご一緒させていただくこともあります(笑)。
今後も選手のみなさん、マネージャーのみなさんの目線から書いていきたいと思います。
あらためましての自己紹介
そういえば、これまでの記事では僕自身の自己紹介をあまりしておりませんでしたので、このチャンスに触れさせていただきます。
子どものときから体を動かすのは大好きで、目立つのが大好き! 小学生のころは近くの野球チームに入っていましたが、野球ではまったく目立てませんでした(笑)。長距離は得意だったので、将来は箱根駅伝に出場したいと、中学入学とともに陸上を始めました。
中学、高校は強豪校ではありませんでしたが、本当に陸上が大好きで、月刊の陸上雑誌『陸上競技マガジン』『月刊陸上競技』が何よりも楽しみでした。当時から学生三大駅伝の前になると、各大学の戦力を分析し、勝手に区間予想までしていた駅伝オタクです(笑)。また陸上雑誌だけでなく市民ランナーさんのバイブル「ランナーズ」まで読み込んでいました(笑)。
高校生の主戦場は1500mや5000mのトラックレースや高校駅伝ですが、僕の学校は長距離部員が少なく、3年間で一度も高校駅伝に出場したことがありませんでした。僕自身は自分でハーフマラソンやトレイルの大会に出場したり、休みの日は山にこもって30km走をしたり、ちょっと(?)変わった高校生でしたね(笑)。
トラックのタイムはまったく平凡でしたが、山と長い距離がとにかく大好きで、箱根駅伝の5区ならもしかしたら可能性があるのではないかと、当時は本気で思ってました!
箱根駅伝と大八木監督にあこがれて、駒澤大学に入学
そして、駒澤大学の大八木弘明監督(当時はコーチ)の情熱的な指導にあこがれて、一般入試で駒澤大学に進みました。入学当時、駒大は箱根駅伝で2連覇(その翌々年まで4連覇します)中と強さを誇っていました。スポーツ推薦で全国から選手たちが集まっていました!
最初の3カ月は陸上部に入れず、同好会からのスタート。夏前に入部許可をいただきました。なんとか入部できましたが、朝練と快調走というベースとなる練習だけで、いっぱいいっぱい。朝練と本練習だけで、1日30km前後は走ります。しかも高校時代に走ってたペースとは全然違います! 走ってはけが、治って走ってはまたけがの繰り返しでした。
1年生の箱根駅伝が終わった冬、大八木監督からマネージャー転向の打診がありました。「自分の実力がないからとはいえ、入って1年足らずで箱根をあきらめるのか」という葛藤もありましたが、それ以上に先輩で主務だった方を見ていて「マネージャーは大変だ。とくに主務は相当な覚悟がないと……。自分に務まるかどうか……」という不安の方が大きかったです。
それでも「いてもいなくても変わらないような存在で終わるよりも、せっかく駒澤大学陸上競技部に入らせてもらったんだから、チームの役に立てるような存在になろう」と覚悟を決めて、マネージャーに転向しました。2年生では副務、3、4年では主務を務めました。
マネージャーの役割は練習のサポート、試合エントリー、合宿の手配、大学関係の資料作成や提出、メディア対応から監督の娘さんに勉強を教えること(笑)まで多岐にわたります。学生時代のマネージャーのお仕事についてや、恩師・大八木監督とのエピソードは以前の記事にもたっぷり書いてきましたので、そちらもご覧いただけますとうれしいです。
障がい者施設で目覚めたエンタメへの想い
大学で社会福祉学を専攻していたこともありまして、卒業後は知的障がい者の方の施設
で、生活支援員として約5年勤務していました。知的障がいのある利用者さんの食事、入浴、排泄、余暇などの生活支援をする仕事です。入浴介助のとき、お風呂場でよくものまねをして歌ってました。利用者さんには喜んでいただいてましたが、上司には「うるさい」と思われてたでしょうね(笑)。
支援員をしながら「障がい者スポーツ指導員」の資格も取得し、マラソンの伴走や水泳の伴泳を始めたのはこのころからです。生活支援のほか、音楽が得意な利用者さんとバンドを組んで、別の施設へ訪問演奏にも伺いました。いつしかそれが生きがいとなっていきました。
その思いは日に日に強まり、エンターテインメントの道に進むことを決意。2011年に、かつて所属していた事務所のオーディションを受けて合格。「ものまねアスリート芸人」という肩書きで新たなスタートをきりました。
川内優輝選手のものまねで、お仕事をいただくように!
最初は歌手の方のものまねをメインにしていましたが、その後は川内優輝選手のものまねをさせていただき、おかげさまで北海道から沖縄まで全国各地のマラソン大会でゲストランナーやMCを務めさせてもらっています。川内選手をはじめ、川内家の皆様には本当に感謝です! 埼玉県久喜市には足を向けて寝られません(笑)。
その後、東京マラソン財団スポーツレガシー事業のチャリティアンバサダーに就任。海外のランナーさんに対しても積極的に「おもてなし」がしたいと思い、英語や中国語の勉強もしています。
芸人になってからも障がい者施設、高齢者施設、保育園にも訪問していて、「ものまね体操」など参加型のエンタメを大切にしています。また「NPO法人アトリエ言の葉」の理事長にも就任しました。最近では福祉や健康、スポーツに関する講演をさせていただくことも増えてきました。
また「M高史の部活訪問」という活動もあります。高校の練習に参加し、SNSで発信、全力で応援しています。4years.に連載中の「M高史の走ってみました」の原点でもあります。
陸上競技、とくに走ることは地味で我慢が必要なスポーツです。僕のさまざまな活動には、楽しみを見出して競技を次のステップでも続けてほしいという思いが込もっています。僕自身、陸上のおかげで心身ともに成長させてもらいました。陸上界に恩返ししたいと感じています。走ること、歩くこと、体を動かすことは何歳になっても自分のペースで楽しむことができます。
駅伝を見ている人も「ちょっと走ってみようかな」と走り始めてみる方もいらっしゃいます。走らなくても駅伝観戦に行けば、けっこうな距離を歩きますので、いい運動になりますよ(笑)。
すでに駅伝が大好きな方には、新たな視点をお伝えしたい。
これまでご覧になっていなかった方にも、興味を持ってもらえるようにわかりやすく魅力をお伝えしたい。
現役で頑張っている皆さんの魅力を、自分なりに全力でお伝えしたい。
縁の下の力持ちであるマネージャーさんにもスポットを当てたい。
同世代で監督、コーチとして活躍している陸上仲間もいるので、応援したい。
自分の好きなこと、得意なこと、経験してきたことを通じてたくさんの方に喜んでいただけるように、役に立てるように、これからも感謝の心を込めて日々精進いたします。
というわけで自己紹介がだいぶ長~くなってしまいましたが(笑)、大好きな陸上競技に少しでも恩返しできるような記事を執筆していきたいと思います。よろしくお願いいたします。