茨城の少年は走って褒められるのが楽しくて、陸上にのめりこんだ 稲田翔威1
今回の連載「4years.のつづき」は順天堂大学で箱根駅伝を3回走り、「オタクランナー」として全国に認知され、SNSが縁で壽屋(コトブキヤ)に就職、いまは宣伝ランナーとして活動する稲田翔威選手(26)です。4回連載の初回は、陸上をはじめたきっかけ、高校時代の活躍と大学に入学するまでです。
「足が遅い」と思っていた少年の転機
稲田は茨城県常陸太田市出身。のどかな自然の中で育ったが、稲田少年は走るのが苦手、足が遅い子どもだった。小学校の仲のいい友達に、サッカーをしていて足の速い男子がいた。4年生の持久走大会のときに何を思ったか、「友達についていってみよう」と思い立って全力で走ってみた。結果は80人中、10番台。
「その時に初めて自分も長距離を走れるんだ、と気づいたんです。今までは遅いと思いこんでいたし、走るときつい、苦手だという意識でした。友達と走ることで限界まで挑戦できたんだと思います」
持久走大会での活躍を両親も喜んでくれた。純粋にそれが嬉しくて、「もっと走りたい」と思うようになった。ちなみにその時走ってくれた友達は今は運動をしておらず、ゲーム会社で働いているという。「苦手だった僕が続けて、運動が得意だった彼はそこまでじゃないのもなんだか面白いですよね」と笑う。
強豪校からのスカウトに「チャンス」
陸上の魅力にハマった稲田少年だったが、小学校を卒業して入った太田中学校には陸上部はなかった。代わりにサッカー部に入り、陸上の大会がある時だけ各部活から集められて大会に出る、という形で走ることと関わっていた。「走るのが好きだ、というのはこの頃から感じてました。きついけど、走り終わったあとに達成感が感じられるのと、速く走れば周りから褒めてもらえるのもまた嬉しくて」。常陸太田市内はアップダウンが多く、家の周りを走ることで自然と足腰も鍛えられていた。
ところで走るのが速い=運動が得意だと思われがちだが、稲田は「スポーツ自体得意じゃないんです」という。特に球技は苦手中の苦手。サッカー部はぎりぎりの人数しか部員がいなかったので、「試合には出てたけど……という感じですね」と振り返る。
中3のときに出場した県内の陸上大会には、各高校の陸上部の監督、スタッフがスカウトに来ていた。水城高校から声がかかったときは、チャンス! と思ったそうだ。県内屈指の強豪校に進み、稲田の陸上人生が本格的にスタートした。
初の全国を経験するも、雰囲気に飲まれる
当時、水城高校は8年連続で県大会2位。なんとしても全国に行く! という思いで選手たちも日々練習に取り組んだ。結果、茨城県駅伝でチームは優勝、悲願の全国出場をつかみとる。稲田は1年からメンバーに入れる実力をつけていたが、インフルエンザにかかってしまい、大会への出場はできなかった。「全国を決めた瞬間にいられなかった、選手として走れなかったのが悔しすぎて……初めて、悔しくて泣きました」
迎えた2009年12月の都大路。稲田は留学生も走る3区にエントリーされた。このときは60回の記念大会ということもあり、通常時の47校から11校増えた全58校が出場。選手たちは初めての全国大会の雰囲気に飲まれてしまい、稲田もまた同じだった。「気づいたら終わっていたという感じで、なんとか走り抜いただけになってしまいました」。区間56位、総合順位も56位。個人としてもチームとしても悔しい、ほろ苦い全国デビューだった。
一度全国への扉を開いた水城高校は、その後も都大路に出場(2019年まで出場は途切れていない)。稲田は2、3年とエース区間の1区を担当した。2年のときは区間33位、チームは30位。このシーズンは全国都道府県対抗男子駅伝のメンバーにも選ばれ、茨城県代表として走った。「県で1番になれるとは思ってもいなかったんですが、嬉しかったです」と選ばれたことを素直に喜ぶ。
今も思う「もっと後ろで潜めていたら……」
稲田は高校3年間で、5000mのタイムを16分程度から14分47秒まで縮めたが、「全国的に見ると遅いタイム」という。トラックよりロードタイプだということは早くから自覚していた。高校3年のときの茨城高校駅伝、1区10kmを29分48秒で走りきった。今でこそ10km30分切りの高校生は普通になってきたが、当時はまだ少なく、一躍都大路での「注目選手」となった。
本番では1区10km、30分28秒で区間18位。区間トップは九州学院の久保田和真(青山学院~九電工)の29分38秒。トップと1分差以内での襷(たすき)渡しに「個人的には、流れは良かったと思います」と言いながらも、「県駅伝で29分台を出したという自信もあって、前半から前で前で勝負しようと、先頭でずっと引っ張っていました。今思うと舞い上がりすぎていたのかなと……。ちょっと前半から攻めすぎてしまったので、もう少し後ろぐらいで潜めていれば結果は違ったのかなと、未だに思い返したりしますね」。ちくりと悔いの残る結果となった。
茨城県代表の水城高校のエースということもあり、稲田には複数の大学からの誘いが来ていた。そのひとつが順天堂大学だった。順大は稲田が中学1年の2007年に「初代山の神」今井正人(現・トヨタ自動車九州)を擁し箱根駅伝優勝。走り始めたときから漠然と「箱根駅伝に出てみたいな」という思いは抱いていたこともあり、「(箱根の)強豪校から声がかかって嬉しかった」と振り返る。
はじめて親元を離れて大学への進学。そこには「人生を変える4年間」が待っていた。