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特集:第95回箱根駅伝

レジェンドから見た塩尻和也

レジェンドから見た塩尻和也
2区の区間賞は日大のワンブィだったが、塩尻は20年ぶりに日本人最高記録を更新した(撮影・大島佑介)

第95回箱根駅伝 2区

1月2日@神奈川・鶴見~戸塚の23.1km
区間2位 塩尻和也(順天堂大4年、伊勢崎清明)1時間6分45秒

今年の箱根駅伝で、二つのレジェンドの記録が破られた。2区で三代直樹(みしろ、富士通コーチ、当時順大)が持っていた1時間6分46秒の区間日本人最高記録と、4区で藤田敦史(駒大コーチ、当時駒大)が持っていた1時間0分56秒の"事実上の区間記録"だ。二つとも20年前の1999年大会で出た記録である。

三代の記録を破ったのは、順大の後輩である塩尻和也(4年)で、藤田の記録を破ったのは福島県の後輩にあたる相澤晃(東洋大3年、学法石川)。それぞれ関係の深い後輩が、20年後に同時に破った点に運命的なものも感じられる。まずは塩尻が快走した背景と、それを三代さんがどう見たかを紹介したい。

権太坂で予感あり

テレビ中継を通じて塩尻の走りを見ていた三代さんは、予感がしたという。

「塩尻君は5kmを14分8秒で入りましたが、余裕を持ってました。私が4年生のときは14分21秒でした。10km通過がわかりませんでしたが、15kmが43分18秒で、私の43分40秒よりかなり速かった。長門(俊介)監督の問いかけにもしっかり合図で返してましたし、顔つきからも余裕が感じられました。2区の攻略法の一つが(15km付近の)権太坂で、いかないといけないのですが、力を使いすぎないことなんです。そこからまたテレビに映らなくなったので、どのくらいのペースでいってるのか気になりました。自分の記録に関係なく、純粋に塩尻君の走りを見届けたい気持ちが強かったですね」

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三代さんは2008年に現役を引退した(撮影・河合博司)

塩尻にも権太坂の走りを振り返ってもらったが、三代さんと同じことを考えていた。

「結果的に何チームかを抜くことになりましたが、権太坂の上りで上げるというより、平地の動きのまま上りも下りもいこうと思って走ってました。2区を3年間走ってきて、最後の3kmの上り(戸塚の壁)が勝負になるとわかってます。権太坂の方は傾斜に応じて動きは変えましたが、それほど構えずに走れたと思います」

15kmは三代さんより22秒も速く通過した塩尻だったが、記録更新はわずか1秒。三代さんの2区終盤は、圧倒的な強さだったのだ。

ラストの強さが武器だった三代さんに対し、塩尻はスピード持久力を武器に前半からハイペースで押し切る走りが特徴である。終盤はペースダウンする傾向もあったが、この1年間は終盤で切り換えるための練習に取り組んできた。

三代さんも、今回の塩尻には力強さを感じたという。

「久しぶりに見ましたが、体つきが変わってましたね。大腿部や肩周り、腕周りなどがたくましくなってました。2区の最後の走りに必要なところが強化されていたように思います」

塩尻は過去3年間2区を走った経験を踏まえてトレーニングに取り組み、4年目にレジェンドを超えてみせた。

塩尻の記録は「当然」

塩尻は1年のときから2区に抜擢(ばってき)され、1、2年の2区は1時間8分台で走った。3年のときに三代さんの記録を破ることを期待され、自身も「順大の選手である以上、三代さんの記録は目標です」と、取材に答えていた。

リオデジャネイロ・オリンピックに出場した3000m障害が専門種目だが、3年のときの同種目出場は日本インカレだけで、トラックシーズンを通じて5000mと10000mで走力自体の向上を目指した。そして11月には10000mで27分47秒87、学生日本人歴代4位の快記録を出す。三代さんの記録更新への期待が、嫌がおうにも高まった。

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3000m障害のほか、5000mや10000mで走力の向上に励んだ(写真は昨年の日本インカレ、撮影・松嵜未来)

しかし12月に体調を崩して練習に影響が出たこともあり、前回の箱根駅伝は1時間9分26秒かかってしまった。区間順位も1、2年の連続5位から10位に落ちた。これは塩尻だけの責任ではないが、チームも14秒差でシード権を逃してしまう。大会にピークを合わせられなかったことに加え、記録を意識しすぎて走ったことも、終盤で失速した原因と塩尻は考えた。

最後の箱根駅伝は区間賞を目標としたが、記録は意識しないで臨んだ。レース前の取材にも「自分の走りに集中した方が、いい走りができる」と繰り返した。実際に前回の反省を生かし、自分の走りに徹することができたのだろうか。

「去年までは、前半はこのくらいだからこうしないといけない、と考えすぎたり、少し焦ったりしてました。今回は、このくらいでいいかな、くらいに考えられたので、後半まで余裕を持てた気がします」

三代さんは3年時の塩尻を、27分台を出した負荷が大きすぎたのではないか、と推測する。実業団選手でも、11月末に10000mで力を出し切って好記録を出すと、1カ月後の駅伝に合わせるのが難しくなるケースが多いという。

塩尻の練習を見てきたわけではないので、4年間の成長を具体的に把握していたわけではない。だが、3年のときの失敗を克服しているのであれば、「単純に自分の4年のときより力はある」と三代さんは言い切る。

「私は1時間7分20秒が目標で、渡辺康幸さんの当時の区間記録(1時間6分48秒)はまったく狙ってませんでした。120%の力が出せて、あの記録だったんです。それに対して塩尻君は、80%くらいで普通に走れば私の記録くらいは出せる。20年かかってしまいましたが、彼のような才能のある選手が出てくれば、破って当然だったと思います」

三代さんは「1時間6分30秒くらいまでは出すイメージがあった」とも言った。そのくらい、トラックやハーフマラソンで示した塩尻の力を評価していた。

勝負にこだわる順大スタイル

つまり三代さんは、今回の2区の記録はそこまですごいと思っていない。その一方で、塩尻が4年間見せてきた勝負強さは高く評価している。

「いまの選手たちはいい記録を持ってても、いざ勝負となると強さが感じられないことも多いのですが、塩尻君は雰囲気が違います。日本インカレも4連勝しましたし、リオではよくありませんでしたが、アジア大会(銅メダル)では日の丸をつけてもしっかり力を発揮しました。未知の部分も、まだまだ持っていそうです」

勝負という点では、三代さんも学生時代からユニバーシアード10000mで銀メダルをとり、インカレでも何度も優勝した。インカレは最終日に5000mがあり、総合優勝を目指す順大のエースとして、高得点(1位8点、2位7点……8位1点)を取るのが責務だった。「順大のユニフォームを着ている限り、勝負に負けてはいけないと教えられましたし、自分でもそう思い続けてました」

日ごろはのんびり屋の塩尻も、勝負にはこだわってきた。「インカレも駅伝も、大学の代表として走るからには負けられません」と、何度も口にしている。その勝負への集中力が、今回の箱根駅伝の走りにも現れた。

三代さんの記録を上回れた理由として(1)過去3年間の2区の経験(2)記録を意識せず自分の走りに徹したこと(3)終盤の切り換えを意識して練習してきたこの1年間の成果、この三つ以外に何が挙げられるかを質問すると、チームの勝利(目標達成)への気持ちについて語ってくれた。

「前回は自分が2区で順位を上げられず、チームの悪い流れを変えられませんでした。今回は、自分の区間でチームの流れを変えたかった」

長門監督も2区の後半で目標となる選手が適度にいたため、塩尻の思いが上手く走りに現れたと見ている。4年間で培ってきた順大のランナーらしい勝負強さが、偉大な先輩の記録を1秒上回る最後の一押しになった。

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昨年の日本インカレでは3000m障害で4連覇を達成した(撮影・松嵜未来)

塩尻は4月から富士通に入社し、実業団選手として走り始める。指導スタッフの一人になる三代さんは、勝負強さを存分に発揮してほしいと考えている。

「私が卒業してから、箱根駅伝はチーム戦略などもあって、エースが5区をはじめ2区以外を走る傾向が出てきました。順大も伝統的に適材適所の考え方で区間配置をしますが、エースは2区で、他校のエースに勝つことが仕事でした。塩尻君はその2区で4年間、しっかりと勝負をしてきた選手で、最後に記録も残しました。箱根駅伝で経験したことを生かして、次は世界で勝負してほしい」

塩尻が世界で活躍したとき、箱根駅伝で失敗と成功をしてきた4years.が、本当の意味で評価される。

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