館澤亨次 東海「黄金世代」のリーダーとして
ゴール地点の出雲ドームで両角速(もろずみ・はやし)監督に声をかけられて号泣した。何とか報道陣に対応したあとも、また顔にタオルを当てて泣いた。10月8日、出雲駅伝で東海大の2区(5.8km)を走った館澤亨次(りょうじ、3年、埼玉栄)は、涙が止まらなかった。「この悔しさはもう、大学駅伝で一番悔しいものだと思うんで、この悔しさを忘れないようにやっていきたいです」。時折しゃくりあげながら、こう言った。
3人抜いても広がった青学との差
東海大にとって連覇の期待を背負った出雲路だったが、レース前から暗雲がたれこめていた。昨年の優勝メンバーが6人とも残っているのに、1年後に走れたのは館澤と關颯斗(せき・はやと、3年、佐久長聖)だけ。万全のチーム状態とは、ほど遠かった。
1区(8km)は大学初の駅伝となる西川雄一朗(3年、須磨学園)。先頭の青山学院大から20秒遅れの6位。館澤は3人を抜いたが、青学の鈴木塁人(たかと、3年、流通経大柏)には差を3秒広げられた。その3秒がそのまま区間賞との差だった。3区以降は青学の背中を追うこともできず、1分33秒差の3位だった。
東海大の3年生といえば、学生の長距離界で「黄金世代」と呼ばれる。その学年リーダーを務める館澤は、完敗の責任を背負い込んだ。「今回東海大に区間賞が一人も出なかったということは、それだけ1位のチームと差があるということなんで、この1カ月、チーム全体としてレベルアップして、次の全日本につなげたいです。何より自分自身がこのままじゃいけないっていうことを感じたので、全日本では必ず結果で証明したいです」。最後は顔を上げて言った。
主力メンバーで雪辱を
館澤は1500mを得意とし、この春の関東インカレと日本選手権で2連覇。しかし8月のアジア大会(ジャカルタ)で挫折を味わった。ラストスパートには自信を持っていたが、その勝負に持ち込む前に置いていかれた。最低限の目標としていた8位入賞を逃し、9位だった。「日の丸をつけて9位という結果は、日本で同じ1500mに取り組んでる人たちに本当に申し訳ない気持ちになりました」。
そして帰国後まもなく迎えた9月の全日本インカレ。疲れが抜けきらない中で臨んだ。残り250mで先頭で並んでいた才記壮人(筑波大院2年)が飛び出した。どんどん背中が遠くなる。館澤は懸命に追った。追って追って、フィニッシュ直前でようやく抜き去って優勝だ。「あきらめそうになったんですけど、ここであきらめてたらいままでの自分と変わらないなと思って頑張りました」。意地の勝利だった。トレードマークである大きく両腕を広げてゴールする姿はなかった。
ただ1500mで試合に出続けていた分、夏合宿で距離を十分に踏めなかった。体も絞りきれていなかった。それでも6区間45.1kmと学生三大駅伝で最も短い距離の出雲駅伝なら、自分のスピードでチームに貢献できるはず。だからこそ、たった3秒とはいえ、青学に差を広げられた自分が許せなかった。「ここまでやってきたことを、全部見直す必要があるんじゃないかと思います。それと、やっぱり努力していかないといけないです」。まっすぐな言葉は、思いの強さの表れなのだろう。
全日本までには、出雲を走れなかった主力メンバーたちも戻ってくる見込みだ。両角監督は「全体的に上げていける自信はあります。青学はスキがないし、東洋の粘りはすごい。でも、チャレンジするのが大事だと思ってます」と話した。館澤については、「個人では見せない涙を流してましたので、それは駅伝のよさなのかなと思います。彼の持ち味を生かせるチームにならないといけない。彼の配置が全体のヤマかな」と語った。
全日本インカレで館澤が言った「ここであきらめたら、いままでの自分と変わらないと思った」との言葉が、強く印象に残る。自分の弱さを真っ正面から受け止め、「いままでの自分」を更新し続けてきた。出雲のふがいない走りを、どこまで上回ってくるのか。伊勢路が楽しみだ。