36歳で10000m28分台! 長野のスーパー公務員ランナー・牛山純一さん
今回の「M高史の駅伝まるかじり」は牛山純一さん(36)のお話です。愛知工業大学で出雲駅伝、全日本大学駅伝に出場。現在は茅野市役所に勤務しながら、35歳で2000mの長野県記録を更新。10000mでも28分台をマークされた快足公務員ランナーです。
野球少年から陸上の道へ
長野県出身の牛山さん。小学校では少年野球をやっていましたが、「バットにボールがあたらなくて(笑)」ということで中学から陸上部に。「短距離が全ての種目の基本」という当時の顧問の先生の方針もあって、牛山さんを含め全員が短距離からのスタート。
しかし、諏訪地方の陸上大会の1500m校内選考で上位で走ったため、周囲の勧めにより長距離の道へ進むことになりました。徐々に力をつけていった牛山さん。中学3年生の時には県大会で800m4位入賞を果たしました。
県駅伝での快走と青東駅伝で感じた力の差
高校は地元の公立校である諏訪清陵高校へ。「スピードに自信があったので、長い距離も走ればいける感覚はありましたね」
駅伝強豪校ではなく、高校の先生も砲丸投が専門。1人でコツコツと練習を積み重ね、5000mの自己記録も3年生の時には14分48秒まで伸ばしました。
3年生の長野県高校駅伝ではエース区間である1区10kmを走りました。長野県高校駅伝といえば佐久長聖高校が1区から7区まで全て区間賞を獲得して優勝を飾るというレースが毎年続いていますが、牛山さんは佐久長聖高校の1区の選手にくらいつきデッドヒートを繰り広げ、なんと同タイムの区間2位という大健闘の走り!
「同タイムで区間2位でしたが、うちの学校は長距離が豊富にいるわけではなく、2区で待ち構えていたのは短距離の選手でした(笑)」。先頭と同時に襷(たすき)をもらった短距離の選手も驚きの快走でした!
そして、県駅伝の翌日、青東駅伝出場のため長野から岩手へ移動というハードな日程。「10km以上のレースを週に2本というのは初めての経験でした。青東駅伝ではエース区間を任されて、区間賞の選手から3分半ほど離されてしまいました」。その時、区間賞を獲得されたのは世界陸上エドモントン大会男子マラソン日本代表の西田隆維さん。日本代表との力の差を痛感したそうです。
愛知工業大学で出雲、全日本に出場
高校卒業後は愛知工業大学へ進みます。
「指導者がいて、練習相手もいて、400mトラックがあって、伸びると思っていました。ただ、真面目に考えすぎてしまったのか、頑張りすぎていたのか、思うような結果につながりませんでした」
全く結果が出ず、落ち込むこともありましたが「先輩たちに恵まれたんです。先輩たちが大事にしてくれました。オンとオフなどメリハリをつけることで、少しずつ良くなっていき、自分のリズムを取り戻していきました」
出雲駅伝には2回(2、3年生)、全日本大学駅伝は2年生の時に出場しました。
大学2年生の時に成人式で地元に帰った時のことでした。
「同級生が関東の大学にいて、箱根駅伝の16名のエントリーメンバーに入ったんです。彼はスターのような扱いでした」。一方ですでに出雲駅伝、全日本大学駅伝にも出場していた牛山さんに対して同級生たちは「え? 牛山まだ陸上やってたの?」と言われたそうです。関東の大学との差、当時の箱根との知名度の差を痛感したそうです。
「関東の大学に進んでいたらどうなっていたのかと思うこともあります。でも、もし箱根を目指していたら、今走っているかわからないです。きっとうまくかみ合っているのかな」と振り返られました。
県縦断駅伝に向けて中学生との練習
大学卒業後は長野県内のメーカーに就職。就職後も市民ランナーとして長野県縦断駅伝などに出場していました。
2012年から茅野市役所にお勤めです。「住民から必要とされるお仕事をしたいと思いました。地元で小さい頃にお世話になった方や友人とも繋がれましたし、走ることを応援してくださる方も多いです。ご縁は大事ですね」とお仕事への思いも語りました。
長野県縦断駅伝については「長野県のランナーにとって重要な大会です。中学生から社会人まで区間があります。長野県は地域のランナーの結びつきが強いので、中学生も一緒に練習する文化が根付いているんです」。牛山さんが所属されている全諏訪は特に意識が高いそうです。
※全諏訪(オールすわ)……長野県の諏訪地域(岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村)で構成されています。
ある日、中学生だった關颯人選手(現・SGホールディングス)が全諏訪の練習へやってきました。全国大会を狙っていたのに、調整失敗もあってかまさかの地区大会敗退となってしまったそうです。
「県総体に行けないのなら、通信大会で標準記録を破って、そのまま全国大会にいこう!」と牛山さんは關選手を鼓舞。「練習ペースはついてくるだけでいい! 任せとけ!」と標準記録突破のためにペースを引っ張りました。「地元のおじさんランナーたちの経験が活きてきましたね(笑)」と話す牛山さん。他にも元実業団選手など地元の大先輩たちが後輩の挑戦のために一肌脱ぎました。
結果的に關選手は標準記録を突破し、県総体と北信越大会には不出場ながら、全日本中学陸上選手権へ出場。さらに都道府県駅伝の中学区間を走り区間3位の成績を残すまでに成長します。
その後も名取燎太選手(東海大学4年、佐久長聖)、中谷雄飛選手(早稲田大学3年、同)といった選手たちが中学生の頃、牛山さんたちと一緒に練習をしていたそうです。
「走り方を教えるのではなく、大人が競っているのを見て力を試してほしいんです。例えば1000mのインターバルで大人は5本、中学生は2本。こちらも本気で迎え撃ちます(笑)。彼らに育ててもらったという思いがありますし、お互いに育てあったのかなとも思っています。中谷君は中3の時、2分36秒で上がっていたので、負けないようにこちらも戦略を立てて、全力で必死でした(笑)」
一緒に練習していた中学生が、高校、大学、実業団と活躍しているのを見ると嬉しいと言います。
「關選手、名取選手、中谷選手が都大路で3年連続1区区間賞を獲得したときは感動しましたね!」。今、練習している中学生の皆さんのモチベーションにも大きくつながっているそうで「感謝しかない」と思いを話されました。
年齢は数字でしかない
のちに都大路や箱根で活躍することになる中学生の皆さんと質の高い練習を積み重ねていき、牛山さん自身も好記録を連発します。昨年、2000mで5分26秒51と長野県記録を更新。また36歳にして初の10000m28分台(28分58秒)をマークしました。
「長野県縦断駅伝があるのは大きいですね。長野県は実業団がないので先入観がなく競技を続けられます」
そして、マスターズアジア記録保持者である利根川裕雄さん(49)の存在が大きいといいます。高校時代に青東駅伝で襷リレーをした先輩で今でもお世話になっています。「最近スピードが出ないんですよ、と言うと利根川さんから『まだまだいけるよ』と言われるんです。利根川さんに言われたらまだいけると思えるんですよね(笑)」。今年の11月で37歳になる牛山さんですが、走りにはますます磨きがかかっています。
年齢は数字としか見ていないという牛山さん。「20歳の老人もいれば、80歳の若者もいます」。常に挑戦していく気持ちを忘れない牛山さんらしい言葉です。
今後の目標についてうかがったところ「夢とか目標に向かって取り組むのが一般的だと思いますが、私はそういうのがないんです。まず事実が先にある。そこに後から思いがついてくるんです。好奇心があって、そのあとに結果がついてきています。夢とか目標とか持ったり、達成する義務はないんです。目標に追われると誰かに見せる目標になってしまう。楽しい、好きだからやっている。それを積み重ねていくと、後から結果がついてくるんです。やり始めないとやる気なんて出てこないですからね」と話されました。
「1年先よりも5秒後の自分を」という牛山さん。あくまでも好きなことをやり続けていった結果が今につながっているそうです。
「合宿で茅野市にお越しの際は声をかけてください。美味しいアイスクリーム屋さんをご紹介しますよ!」と笑顔で話された牛山さん。今日も自然体で走り続けます。