杜の都駅伝からランニングアドバイザー、モデルの道へ! 福内櫻子さん
大東文化大学では駅伝、インカレで活躍しユニバーシアード日本代表にも選ばれた福内櫻子さん。現在はランニングアドバイザー、モデルとしてランニング指導や普及活動に取り組まれています。そんな福内さんにお話をうかがいました。
双子で始めた陸上競技
福岡県北九州市出身の福内櫻子さん。保育園の時から足は速かったそうです。小学校ではマラソン大会で6年間1位。ちなみに福内さんの双子の妹が6年間2位。双子姉妹で毎年ワンツーフィニッシュだったので「マラソンの時は目立っていましたね(笑)」と振り返ります。
双子そろって中学では陸上部へ。小学校でのバスケ部の経験もあって、チームワークを発揮するのが好きという理由から、トラックの個人種目よりも駅伝が大好きだったそうです。
中学時代は県大会の800mでギリギリ入賞するくらいの成績。チーム内でも2〜3番手とそこまで突出した成績ではなかったそうですが、チームメートと力を合わせて駅伝に挑むのが楽しかったそうです。
スピードを磨いた高校時代
高校は、お姉さんが通っていたということで近畿大学附属福岡高校へ。ここで双子姉妹は別々の道へ。福内さんだけが陸上を続けます。
「高校では400mや800mを3年間やっていました」という福内さん。ダイナミックな腕振りから繰り出されるスピード感あふれる走りは、高校時代に培われていたんですね。
400m、800mという種目がら、長い距離を走り込むというよりも、スピードや筋力を重視した練習を行なっていました。「短距離と同じような筋力トレーニングもやっていましたし、ジョグも20分程度です。その代わりジョグのペースはペース走に近く、1km3分40秒くらいから入って、ラスト1kmは3分15〜20秒まで上がります。毎朝、朝練でやっていました」。量よりも質を重視。短い時間で集中して練習に取り組んでいたそうです。
中学までは県大会で入賞のレベルだった福内さんですが、質を重視したトレーニングの成果も発揮されたのか、高校では1年生からインターハイに出場。800mで3年連続インターハイ出場を果たしました。
「魂で走っていました!」と振り返る高校時代。自宅から通っていたそうですが、家から学校までが遠く、朝練習のため毎朝5時半に家を出て、授業や練習を終えて帰宅は22時。電車の中でも陸上ノートを見たり、ご自身のランニングフォームの動画を見たり、常に陸上競技に向き合っていました。
大東文化大学で長距離に転向
高校卒業後は大東文化大学に進みます。陸上部に女子長距離ブロックが創設されたのは2010年。最近では毎年、杜の都駅伝(全日本大学女子駅伝)や富士山女子駅伝で優勝争い上位争いを繰り広げていますが、福内さんが入学した12年はチームも強くなる成長過程のころでした。
トラックでは2年次に日本選手権1500m4位入賞。関東インカレでは5000m3連覇、10000m2連覇。日本インカレでも5000m2位に入るなど、持ち味のスピードを発揮してきました。
「高校時代にスピードを磨いていたので、大学で生きました。ラストスパートが得意で自分の持ち味でした!」
高校でスピード強化を徹底したことに加えて、ラストの強化はぶっつけ本番ではなく日々の練習で取り組んでいたという福内さん。「ペース走の後に400m1本、ポイント練習の後も150mの流しを3〜5本、必ずやっていました。ポイント練習直後は体もきついのですが、きついとフォームが崩れるんです。でもどんなにきつくても練習の最後は腰高なフォームでしっかり締めるんです」。好結果は日頃の準備の賜物だったんですね。
各校のエースに挑み続けた杜の都駅伝
中学から駅伝が大好きだったという福内さん。大学でもその思いは強く持っていました。
大学1年生のときの杜の都駅伝では、各校のエースが集まる当時の最長区間であった3区(9.1km)を任せてもらうことに。
高校まで800mが専門だったのに、最長区間。距離に対して驚きもあったそうですが「監督だけは『いける!』と言い続けてくれました。私は単純なので(笑)、監督の言われたこと信じて走ることができました!」。1年生ながらエース区間で区間6位。9位から5位へと順位を4つ押し上げる好走。チームも最終的に6位に入りました。
翌年から各区間の距離が変更。5区が最長区間となり、福内さんはその年から5区を担当。各大学のエースと競り合うことになりました。2年生で区間4位、3年生で区間3位、4年生で区間2位という結果。チームとしても2位、2位、2位と3年連続で2位が続きました。
「4年生の時はキャプテンでしたし、みんなの力を合わせて駅伝で1番をとりたかったんですけど、結局果たせませんでした」。勝つことの難しさを感じたそうです。
ちなみに、ポニーテールをなびかせて颯爽(さっそう)と駆け抜けていくことで、駅伝ファンを魅了した福内さん。ポニーテールの揺れ具合で、ご自身の走りの調子も把握していたそうです。
「縦に揺れている時は、軸もしっかりしていい走り。横に揺れている時は体の軸もぶれているなぁと」
福内さんのトレードマークでもあったポニーテールは、コンディションを把握するバローメターでもあったんですね!
世界大会に出ると宣言、有言実行!
トラック、駅伝でも活躍をみせた福内さんですが、日本学生女子ハーフマラソン5位に入り、ユニバーシアードに日本代表として出場しています。
高校まで400m、800mを専門にしていたのでハーフを走れるとは思っていなかったそうですが、「どうしても世界大会に行きたい!」という強い思いで練習量を増やしました。
どうしても世界に!! の思いは、大学入学時まで遡ります。
大東文化大学の陸上部では新入生が入学すると全体の行事があります。男女・短距離・長距離などの各ブロックに、OBの方もいらっしゃいます。新入生の挨拶で、福内さんは「4年間で世界大会に出ます!」とみなさんの前で宣言されたそうです!
800mでインターハイに出場していたものの、自己記録は同期内でも3番手くらいだったそうです。「そのときはできないと思っていたけど、とりあえずでっかいことを言っておこう(笑)」という思いから言い放ったのでした。
しかしこの宣言により、周りにも「この子は世界を目指す子なんだ」という印象で見られるようになったそうです。そして何より、自分でも覚悟が決まったとのこと。「言っちゃったから、どうしても出たくて一生懸命練習に取り組んだんです!」。目標を口にすることで有言実行しようと火がついたようです。
「あのとき言わなかったら(ユニバーシアードには)多分出れなかったと思います」と振り返ります。迎えた韓国で行われたユニバーシアードでは大雨の中のレース。ハーフマラソンで7位という結果でした。
ランニングアドバイザー、モデルの道へ
競技は大学まで。大学での活躍により複数の実業団チームのお誘いもあったそうですが、競技を引退することに。「今まで陸上だけに没頭してきました。色々なことを学びたいという意欲があったんです」
スポーツメーカーに入社し、社会人としてイチからスタートを切ります。メール作成や社会人としてのマナーなど、毎日が勉強、という日々を送ります。
スポーツメーカーで働く中で、「いかにアスリートはカッコよくあるべきか」ということに気がついたと言います。特に「スポーツする女性は美しいということを発信していきたい」という思いから、ランニングアドバイザー、モデルとして活動することになりました。
「スポーツをやっていることに自信を持って続けてほしいんです。女性はどこかで『オシャレしたい』『可愛くいたい』という思いを持っていると思うんです」と、女性ならではの目線で話されました。
「みなさん陸上が好きだと思って続けていると思うので、オシャレも楽しみながら、強くて美しくて速い選手になってほしいですね!」
現在ではゲストランナー、イベント、メディア出演など幅広い分野で活躍をみせる福内さん。女性アスリートへメッセージを込めて今日も挑戦し続けます!