陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

箱根を走り、競歩で五輪出場の二刀流! 明治大学競走部監督・園原健弘さん

園原さんは学生時代には競歩選手でありながら箱根駅伝にも出場! ※撮影:金井健至さん

今回の「M高史駅伝まるかじり」は明治大学体育会競走部で監督をされている園原健弘さん(57)のお話です。学生時代は競歩選手として、関東インカレ10000m競歩で3連覇。さらには競歩選手でありながら箱根駅伝にも2回出場! 卒業後はバルセロナオリンピック50km競歩日本代表、世界陸上にも3度出場されました。

「やるしかない」で競歩を始める

長野県出身の園原さん。中学までは剣道部でした。「部活が選べるほどなくて(笑)。陸上も野球もサッカーもなかったんです」という事情からでした。校内マラソンでは速くて、高校では陸上をやろうと思っていたそうです。

南信地区の強豪・飯田高校に進み、念願の陸上部へ。種目は長距離でした。インターハイ予選は各種目3人までしか出られなかったため、1年目から5000mや1500mといった種目に出場するのは部内競争もあり、なかなか大変。得点争いのことも考え「競歩をやるしかありませんでした(笑)」と園原さんは笑って振り返ります。

しかし、その競歩で1年生ながら県大会4位に。北信越大会に出場しました。

2年、3年のときは長距離、競歩を並行して行っていたそうですが「当時は、厳しい自然環境の中、グラウンドでは野球のボールが飛んでくるような環境で練習していましたね(笑)」。今考えると全国の強豪校とは程遠い練習量だったそうです。

明大に進学、競歩で関東インカレ3連覇

競歩の先輩がいたという理由もあり、明治大学に進みます。関東インカレでは10000m競歩で3連覇を果たすなど活躍。「1部を死守するのに、競歩は貴重な得点源でした!」と母校の1部残留にも貢献されました。

一方で明治大学は、箱根駅伝60回記念大会に出場しようと盛り上がっていた時期でした。

関東インカレでは10000m競歩で3連覇。1部残留に大きく貢献しました。※写真は本人提供

走りの方では当時、20kmが64分ほど。チームでは5~6番手くらいでした。当時の予選会は長距離だけではなく、400mや競歩の選手も借り出されて出場していたそうです。普段、朝練では長距離の選手たちと一緒に走り、本練習は競歩の練習に取り組まれていました。

大学の対校戦では専門外の5000mや10000mにも出場。「朝練と競歩の練習だけで5000m15分20秒では走っていましたね」と振り返られます。

競歩選手でありながら箱根駅伝に出場

3年生の時、60回記念大会で出場校が20校のときにチームとして念願の箱根駅伝出場を果たします。さらに翌年、4年生の時は勝ち抜いて15校に残り、箱根に連続出場。園原さんは2年連続で8区を担当しました。

「競歩と違って沿道の大声援に驚きました!」と話される園原さん。今でこそ競歩も少しずつ注目されるようになってきましたが、当時はほとんど観客もいなかったそうです。

競歩が専門でありながら、箱根駅伝にも2度出場。2回とも8区を走りました。※写真は本人提供

並走しているチームの監督の「競歩の選手に抜かれているぞー」という声を聞き、逆に力が湧いてきたそうです。「当時は運営管理車ではなく、ジープから檄が飛んでいましたよ」と懐かしむように話されました。

五輪、世界陸上で知った世界の壁

卒業後はアシックス工場での勤務を経て、アシックス本社で働きながら競技を続けられました。

当時は4年に1度の開催だった世界陸上に、日本代表として3度出場されました。「一緒に合宿した仲間(海外選手)が金メダルを獲得したんです。練習では遠くない位置だったのに、自分で壁を作っていました」と「世界」に対して先入観を持ってしまっていたそうです。

オリンピック、世界陸上と日本代表に選ばれるも世界との壁を感じてしまったそうです ※写真は本人提供

1992年、バルセロナオリンピックの代表にも選ばれますが「今思えば出るだけで終わってしまった。代表になりたいっていうのを最終ゴールにしていましたね」

当時、メキシコで合宿をしていて、同じ競歩の選手たちはライバルというよりも友人。競歩ファミリーのような関係性でした。競技を引退するときは惜しまれましたし、今でもFacebookでつながって交流されているそうです。

世界のトップレベルの選手たちと合宿した現役時代。交流は今でも続いているそうです ※写真は本人提供

続く96年のアトランタオリンピックでは日本代表のコーチを務められました。

「一番年下でマネージャー的な役割でしたね。コーチでしたが、指導やフォローまでできなかったのが申し訳なかったなと思います」。オリンピックを通じて、選手としてもコーチとしても様々な経験をされたそうです。

母校の指導者として

その後、母校・明治大学競走部のコーチに就任されます。

明治大学競走部短距離ブロックの鹿児島合宿の1コマ ※写真は本人提供

西弘美駅伝監督(現・スーパーバイザー)を招聘し、「古豪復活」を掲げて強化を図りました。西さんのお人柄と指導力で有力な選手も集まるようになり、箱根常連校に返り咲きます。

園原さんは競走部の副監督を経て、2019年より競走部監督に就任されました。

「明治大学の競走部では、長距離は山本佑樹駅伝監督、短距離は渡邉高博コーチ、競歩は三浦康二コーチと、それぞれのブロックに日本のトップレベルの指導者がいるので現場の強化は彼らに任せきりです。学生の競技力・人間的な成長をど真ん中に置きながら、コーチ、スタッフも成長できるような環境整備をすることが私の仕事と思って取り組んでいます」

18年の山本駅伝監督就任後、箱根でも昨年の総合17位から今年は6位までジャンプアップしました。

今年の箱根駅伝終了後の報告会。総合6位となり、さらに上を目指しています! ※写真は本人提供

「明治大学体育会競走部で監督をしているので、箱根で優勝したいですね。上位に入るのと、3~4位あたりから優勝まで行くのは全然違います! 並大抵ではないことは承知していますが、達成したいですね!」。頂を目指し、覚悟を決められています。

競歩の科学的アプローチ

専門でいらっしゃる競歩について、最近の日本競歩勢の躍進についてうかがいました。

「科学の力を取り入れています。運動生理学的なアプローチ。組織だって情報共有しています。誰か一人の才能、タレントではなくて、科学的なアプローチをしていけば、ここまでいけるという体系作り。そこから先は個人の頑張りですね」と丁寧に教えていただきました。

さらに「競歩は技術が圧倒的に大事」とお話されます。体力ベースではなく、技術をベースにしているそうです。

選手の汗の成分も分析しているそうです。この選手はカルシウムが出やすいのか、カリウムが出やすいのか、それともナトリウムなのか。どういう給水をどうやってとればいいかまで細かく分析しています。

ドーハ世界陸上50km競歩で金メダルを獲得した鈴木雄介選手(富士通)が後半、立ち止まって給水を飲んだことについても「立ち止まって飲んだ方が、直腸温が下がるというデータも出ているんです。ここ最近だけではなく、積み上げてきたものが生きていますね」と解説してくださいました。

今後の日本競歩のみなさんのさらなる活躍も期待されるところですね!

学生アスリートのみなさんへのメッセージ

最後に学生アスリートのみなさんへのメッセージもいただきました。

「目先の情報に惑わされるのではなく、人生の中で時間軸を長く考えてほしいですね。社会の中でスポーツが、アスリートがどういう役割を果たしているのかを考えること。そして、頭を使って今できることをしっかりやる、集中すること。それをたんたんと繰り返すことですね」

様々な競技経験を積まれて、そして、現在も競走部の監督として、現場で選手のみなさんと接している立場だからこそ感じられる深みのあるメッセージ。これからも園原さんの下から輝くアスリートがはばたいていくでしょう!

M高史の陸上まるかじり

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