大学陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

加藤友里恵選手の挑戦 杜の都駅伝からリオ五輪トライアスロン日本代表へ

リオデジャネイロオリンピック、46位でゴールする加藤選手(撮影・朝日新聞社)

「M高史の駅伝まるかじり」今回は加藤友里恵選手(33)にお話をうかがいました。城西国際大学時代に陸上で全日本大学女子駅伝3位、日本インカレ10000m5位などの成績を残し、実業団に進むもトライアスロンに転向。2016年リオデジャネイロオリンピックに女子日本代表として出場しました。

水泳大好き少女が陸上の道へ

加藤選手は3歳から水泳を始め、小学校に入ってからもずっと泳いでいた水泳少女。「24時間プールに浸かっていたいくらい水泳が好き」だったそうです。ただ種目は背泳ぎで「背泳ぎは常に呼吸ができるので、今思うと自由形(クロール)の方が将来トライアスロンにつながったかな」と笑います。

「水泳大好き少女」でした!(以下すべて写真は本人提供)

中学校でも水泳部。しかし中1の夏、関東大会まで進んだものの水泳部が突然廃部となりました。その後、陸上部の顧問の先生から誘われたこともあって陸上の道へ進みます。

「元々、父が陸上をやっていて、別の学校の教員で陸上部の顧問していたこともあり、陸上が身近にありました。水泳をしていたことについても何も言われてなかったですし、陸上を始めることになっても特に何も言われませんでした。でも、父はこっそり喜んでいたのかなと思いますけどね(笑)」

突然の水泳部の廃部から陸上部へ。ジュニアオリンピックにも出場しました

両親から何か言われるからやるのではなく、自分の意思で動いてきたといいます。

将来を見据えて片道10km以上を自転車通学

銚子西高校でも陸上部へ。女子は少なかったですが、男子は強くて都大路にも出場していました。自宅から高校まで遠く、片道12kmくらい自転車で通学していたそうです。

実は将来トライアスロンをやってみたい、という思いを心に秘めていた加藤選手。「将来のためにと思って自転車で通っていました。銚子は風も強いし、起伏もあって良いトレーニングになっていましたね(笑)」。当時から準備をしていたことがしっかりと将来につながっていったんですね!

杜の都駅伝で3位に

高校卒業後は城西国際大学に進みます。入学時のタイムは3000m10分06秒。「同期で都大路を走っている選手、インターハイで活躍している選手とは差がありました」。しかし、地道に力をつけ1年生の秋には9分40秒台でギリギリ駅伝メンバー入りを果たします。

チームも当時は創部5年目と若いチームでしたが、全日本大学女子駅伝(杜の都駅伝)に出場し、3位に入る大健闘! 当時シード権は6位まででしたが、創部5年での3位はインパクトがありました。

城西国際大学では1年生の時に全日本大学女子駅伝で3位に!

「学生生活は、みんなで寮生活でした。門限は18時半でした(笑)。夕食を18時半から食べて、その後はお互いに部屋でマッサージやケアの時間で21時半には寝て、翌日の朝練に備えていましたね。4年間ずっとでした」と陸上に捧げたストイックな学生生活を振り返ります。

2年生の日本インカレでは10000mで5位入賞。「実は人生初の10000mでした。苦しさ、恐さを知らずに25周なので残りの周回数は見ないでいようと思ったのですが、すぐに見てしまって『あと22周かぁ』とか思っていましたね(笑)」。ただ監督から「未知の世界、行けるところまで行ったら道が開けるから」というアドバイスに「挑戦者の気持ちで最後まで粘れました」と笑ってレースをふり返られました。

ストイックな学生生活でしたが、仲間と過ごした貴重な4年間でした!

実業団に進むもトライアスロンに転向

大学卒業後は実業団・スターツに進みます。「トライアスロンをやりたいという思いは小学生からありました。いつかは始めたいと思った時もあったのですが、陸上を極めてからと思っていたんです」

城西国際大学卒業後はスターツ女子陸上競技部で競技を続けました

実業団でマラソンを走りたかった加藤選手ですが、アキレス腱を痛めてしまい全く走れない日々が続きます。故障中はエアロバイクを1日7時間以上漕いでいる中で「もしかしてこれがトライアスロン始めるきっかけかな」と感じたそうです。

「まだマラソンに挑戦していない」と、陸上への未練もないわけではなかったそうですが、それよりも子どもの時から挑戦してみたかったトライアスロンの道を選びます。「トライアスロンへの気持ちは周囲に言ってなかったので驚かれましたが、自分へのエネルギー、パワーに変えてチャレンジしました!」

トライアスロンの魅力

加藤選手が挑戦しているのはオリンピックディスタンス。スイム1500m、バイク40km、ラン10kmです。

「3種目それぞれに駆け引きがあって、常にインターバルしている感じです。スタート後、スイムで飛び込んで最初ダッシュ、ちょっと落としてターンしてまたペース上げてといった感じです。バイクの40kmは周回コースになることが多く、コーナーが多い時もあり、足に負担がかかった状態からのランです」

バイクは周回コースで行われることが多く、コーナーは脚への負担も大きいそうです

自分のペースを最後まで刻んだ人が上位にきたり、ラストの50mでスプリント勝負になったり、レースの流れや駆け引きなどの戦略が大切で頭脳戦の種目でもあります。また、出場選手、得意種目、コースによっても戦略が変わってきます。

海外では陸上とトライアスロンを両立している選手もいます。男子の場合10000m27分台で走るトライアスリートもいて、スイムで多少遅れてもバイクで粘ってランでゴボウ抜きということもあるそうです。

苦しさの先につかんだオリンピックの切符

2010年に実業団をやめてトライアスロンに転向したものの、2戦目では周回遅れになるなど惨敗。体も動かず、心もなかなかついてきませんでした。2012年のロンドンオリンピックを見たときに「陸上を中途半端にやめた状況で、自分はいったい何をやっているんだろう」とスイッチが入ったそうです。

ロンドン五輪を観戦しスイッチが入ったという加藤選手はその後、徐々に結果を出し始めていきました

2014年のワールドカップでは初の表彰台。それまでオリンピックは具体的な目標ではありませんでしたが、「もしかしたら行けるかもしれない」と頑張れば手が届きそうな目標に変わっていきました。

そして2016年のリオデジャネイロオリンピック選考会。最終選考となったレースで8位以内に入れば事実上内定というレース。最終種目のランで8位、9位争いを演じます。競り合っていたアメリカの選手はすでに内定していて、ロンドンオリンピック4位の実力者でした。「相手を蹴落とすとかそういう気持ちでは勝てないと思って、心の中で『お願いします! 勝たせてください!』と思って必死で走っていました(笑)」

接戦を制した加藤選手は8位に入り、オリンピック出場をほぼ決定! ちなみに9位となったアメリカの選手がフィニッシュ後「オリンピック決まった?」と駆け寄ってきて称えてくれたそうです。

リオデジャネイロオリンピック代表が決まり、地元からも熱い声援、激励も力となりました

オリンピックで感じた世界の壁

迎えたオリンピック本番。海外選手たちとの力の差を痛感します。ランの最後は1位、2位のデットヒートのすぐそばで周回遅れになりました。

金メダルへの執念からかレース中は激しく言葉をかけあっていて、あとで録画で確認したところ「なんで前に出て引っ張らないのよ!」「あなたはもう前に金メダル獲ったことあるでしょ!」と言い合っていたそうです(笑)。ところが、そんな選手たちも表彰式ではお互い称え合って仲良くしている姿に驚いた加藤選手でした。

オリンピック再挑戦と今後の目標

2018年からはトライアスロンでオリンピック4度の出場を誇る日本トライアスロン界のレジェンド、田山寛豪氏(流通経済大学トライアスロン部監督)に指導を仰ぎ、2019年からは流通経済大学を拠点にトレーニングをしています。流通経済大学は日本インカレで個人でも団体でも優勝経験がある強豪。学生選手たちからも刺激を受けているそうです。

東京オリンピック出場を目指し鍛錬を重ねてきた加藤選手ですが、1年延期となりました。

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるう前までは「正直、オリンピックが延期になるとは思ってもいませんでした」という加藤選手。33歳という年齢からも今回のオリンピック挑戦が最後ということで、競技人生の集大成となるべく日々鍛錬を続ける一方で、こう言います。「健康だったり平和だったりあってこそのスポーツだなと。そもそもオリンピックができたきっかけは世界平和のため。原点回帰できるいいきっかけとなりました」と前向きにとらえています。

田山寛豪監督のもと、流通経済大学を拠点に挑戦を続けます

「将来的にはトライアスロンの魅力を発信して、普及活動もしていきたいです。体験してきたことで伝えたり、お役に立ちたいですね。色々変更になりましたが、逆に気づきもありました。目標に変わりはないので、まずはアスリートとしての目標を達成したいですね!」

トライアスロンへの熱い気持ち、応援してくださる皆さんへの感謝の気持ちがモチベーションとなっています

発する言葉の一つ一つからトライアスロンへの情熱、溢れるエネルギーが伝わってきます。「レースで応援してくれる皆さんと、一緒に喜び合って終わりたい」という加藤選手の挑戦に注目です!

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