スキーから陸上に転向し世界陸上日本代表! 異色のアスリート磯野(野尻)あずささん
学生時代はスキー部で冬季ユニバーシアードに2度出場した磯野(旧姓:野尻)あずささん。社会人になってもスキーを続けますが、その後、陸上に転向。世界陸上女子マラソン日本代表、全日本実業団女子駅伝優勝などで活躍されました。スキーでも陸上でもトップレベルの活躍を見せた異色のアスリートです。
走ること、スキーとの出会い
富山県出身の磯野あずささん。走ること、スキーとの出会いは小学校の担任の先生がきっかけでした。
「小学校の時、担任の先生がマラソン大会の申込書を持ってきてくれたんです。スキーもきっかけを作ってくれました」。担任の先生との出会いがなければスポーツに縁があったかわからなかったかも、と言います。
中学の部活では最初は陸上部に入りますが、顧問の先生がスキー部も兼任されていました。「スキー部は夏場、陸上の大会にも出ていたんです。土地柄もありますがスキー部の方が部員も多く、力を入れて取り組んでいたので、スキー部にも所属していました!」冬はスキー、夏は陸上というスタイルの中、陸上の方では全日本中学陸上でなんと5位入賞を果たすのでした。
高校ではスキー部へ
高校は県立雄山高校へ。スキー部に入部します。
「陸上への想いも捨てきれなくて、スキー部なら夏場は走れるけど、陸上へ進んだら冬にスキーはできなくなると思ってスキー部を選んだんです!」
ただ、両方やることで、なかなかどちらも思ったような結果に結びつきませんでした。というのも「スキーと陸上では体型も変わってきます。(スキーは)ポールを使うので特に上半身の筋肉が変わってきますね」
3年生でスキーに専念したところ、スキーではインターハイで2位! それでもスキー部でも雪のない夏場は走って体力をつけます。「いま考えると将来の下地ができていましたね!」という高校生活でした。
スキーの名門・日本大学へ
高校を卒業後は日本大学へ。日大スキー部は何度もインカレの優勝を重ねてきた名門です。
大自然の中を滑るスキーの魅力、自分の選んだ道だという誇りもありました。しかし周囲からはスキー選手にしては小柄で細身ということで、体格的にはスキーより陸上が向いていると言われることもあったそうです。
しかし「小柄な私が競技をすることで、体格は関係なく、誰にでも努力次第ではチャンスがあるということを示したかったんです!」と逆に闘志に火がついたそうです。
体格差をカバーする厳しい練習を積み重ね、大学3年の時にはクロスカントリースキーでインカレ3冠、冬季ユニバーシアードにも日本代表として2度出場しました。
「スキーのトレーニングは持久力もスピードも筋力も必要です。いろんな要素があって満遍なくトレーニング、さらに道具を使いこなす技術など複合的に絡み合うんです。やればやるだけ奥の深い競技ですね!」とスキーの魅力を教えてくださいました。
大学卒業後も企業に所属してスキーを続けます。その後はフリーで活動を続け、国体成年Aで女子優勝を飾るなどの活躍を見せますが、オリンピックの代表にはなれませんでした。
スキーから陸上の道へ
スキーをやっていた中学時代に、「陸上をやったら」とずっと言い続けてくれた地元の関係者の言葉を思い出します。スキーの練習をしながら全国5位に入った走り、ポテンシャルを関係者の方はずっと感じてらっしゃったのでしょう。
周囲の応援もあり、25歳のときに陸上転向を決意します。「スキーを離れる時に、スキーを引退するわけではなく、いったん競技から離れて違う方向性でと考えていました」という磯野さん。あくまでも前に進むためのチャレンジでした。
ご縁があって、2008年8月に実業団の名門・第一生命女子陸上競技部へ。
「最初はめいっぱいでしたね。いざ陸上の大会に出場すると周囲の選手との体格差を感じましたよ。特に周りの選手の腕回りの細さでした。私はスキー仕様の上半身でした(笑)」と、最初は明らかにスキーで鍛えた肩や腕のたくましさが目立ってしまったそうです。
初マラソンは2010年の大阪国際女子マラソン。2時間29分12秒で8位に入りました。同じ年の札幌国際ハーフマラソンで2位に入り、世界ハーフマラソン選手権の日本代表にも選出されました。スキーでは達成できなかったシニアでの日本代表に喜びを感じたそうです。これは13位でしたが、尾崎好美さん、木崎良子さんとともに日本チームで銅メダルを獲得します。
実は「周りから驚かれるのですが、暑さの方が得意で寒いのが苦手なんです。スキーは全身着込んでいるので実は暑いんですよ! ランパン・ランシャツの真冬のマラソンの方がよほど寒いです(笑)」という裏話も教えていただきました。
世界陸上日本代表に
世界陸上代表をかけて準備をしていた2011年3月の名古屋国際女子マラソンでしたが、東日本大震災により急遽中止となりました。
「走っていていいのだろうか」と心苦しいこともあったそうですが、いま自分ができることを精一杯やろうと気持ちを切り替えます。代替レースとなったロンドンマラソンで2時間25分29秒。選考基準をクリアし、世界陸上代表出場を決めました。
韓国・大邱(テグ)で開催された世界陸上。「気負うことなく今できることをやろうとスタート地点に着くことができました」。前回銀メダルを獲得していた同じ第一生命の尾崎好美さんが出場されているのも、心強かったそうです。初の世界陸上では19位という成績でした。
恩師・山下佐知子監督の魅力
恩師・山下佐知子監督のご指導についてうかがいました。
「自分で走って自分で学んでいってほしいというご指導で、思うように走らせていただいた時間でしたね。女性の監督ならではの声かけもありました」。そしてこう続けます。「駅伝で優勝するなど強いチームでしたし、当然厳しさもありましたが、厳しさの中に優しさや思いやりのある方でした」
さらに山下監督のお人柄がうかがえるこんなお話も。「『自分の誕生日はお母さんに産んでくれてありがとうとお礼を言う日だよ』と教えてくださったんです。競技面以外でもたくさんのことを教えてくださいましたね」
また「速くて、強くて、品のある選手」を目指してほしいという言葉を選手にお話されていたそうです。
世界陸上後は全日本実業団女子駅伝で優勝。年明けの大阪国際女子マラソンでは2時間24分57秒の自己新をマークしますが、ロンドンオリンピックには届きませんでした。
「4年サイクルで見直して、考える時期が必要だと思い、新しい形を探すことにしました」ということで第一生命を退社。
先が決まっていない状況での退社でしたが、早々とスポンサー(ヒラツカ・リース)も決まり、プロランナーとしての活動がスタートします。2016年以降は故郷・富山のNPO法人 笑顔スポーツ学園のサポートのもと、現役を続行しながら、スポーツ活動の普及と全てのランナーが気軽に学べて集えるクラブとして、NikoA’s running familyをスタート。定期的に様々なランナーと交流を図りました。
さらにラフィネ陸上部でプレイングコーチとして女子選手の指導にも携わり、形を変えながら走り続けてきました。
現役を引退、伴走家としての新たなスタート
2019年10月には、夫である磯野茂さんが立ち上げた一般社団法人日本伴走家協会で理事として一緒に活動をしています。
「知的障がいのある方のサポートをしています。大会や練習の伴走などですね。競技とは違う魅力を感じます。走るということを通じて楽しむ、挑戦を共にする、一緒に達成感を味わうことができます。みんな一人一人違う良さがあるんですよ!」とイキイキと話されました。
また「細かすぎる部門のあるマラソン大会」も立ち上げられました。残念ながら今回はコロナにより中止となってしまいましたが、「それぞれ部門を考えてもらって好きな日に好きなところで走っていただいて、チャレンジに対して自分自身で気づける、感じていただける機会になればと思っています」と夢が広がります。
競技の方は「(2019年の)埼玉国際女子マラソンで一区切りしました。実は昨年、スキーの国体にも出場していました(笑)。陸上もスキーも競技者として一区切りしました」。「引退」という形をとれていなかったということで、どちらも完全燃焼で競技引退の区切りとされました。
「結果、記録に関係なくいろんな経験ができ、今後につながる競技人生でした。この経験を活かして、クロカンスキー、陸上、マラソンの競技の普及、チャレンジしようと思っている選手のサポートをしていきたいです」
「ピンチはチャンス。小さなピンチを乗り越えていくと必ずその先につながりますし、あとから報われることもあると思います。毎日をイキイキと、毎日が旬な生き方をしたいですね。野菜、フルーツに旬があるように毎日が旬でいたいです!」。今日も旬な果物のようなフレッシュな笑顔を見せながら、磯野さんの挑戦は続きます。