陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

ハーフマラソン日本最高記録保持者・小椋裕介選手が見据える世界への挑戦!

今年の丸亀ハーフマラソンで日本最高記録を樹立した小椋裕介選手(ヤクルト陸上競技部)にお話をうかがいました。(撮影・朝日新聞社)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」はハーフマラソン日本最高記録保持者・小椋裕介選手のお話です。青山学院大学ではユニバーシアード・ハーフマラソン金メダル。箱根駅伝では4年連続で7区を走り、チームの総合優勝に貢献。実業団・ヤクルトに進んでからもハーフマラソンで日本最高記録を樹立。世界に挑戦し続けています。

北海道から挑んだ全国の壁

北海道出身の小椋裕介選手。中学では野球部でしたが、陸上の大会に助っ人で出場したところ、全日本中学陸上に出場。決勝進出も果たしました。

中学校では野球部で白球を追いかける日々(写真は本人提供)

「何もわからず、当時アップシューズしか持っていないくて、アップシューズで決勝も走ったんですよ(笑)。そこでボロボロに負けて高校はちゃんと勝負したいと思いました」と高校から陸上の道へ進みます。

アップシューズで出場した全日本中学陸上。決勝に進むも悔しさを味わったそうです(写真は本人提供)

札幌山の手高校に進み、全国高校駅伝では1年生ながら花の1区を任されました。「冬シーズンは太ってしまって、ボロボロ(区間45位)でした。北海道は冬場のトレーニングが限られています。外で走るにしても、積雪でスピードが出せないのでジョグしかできないんですよ」と北海道ならではのお話を教えていただきました。

2年生の時はライバルチームに負けて、都大路に出ることはできず。3年生ではさらに走力も上がり、12月の日体大長距離競技会で14分03秒96の北海道高校記録を樹立。迎えた都大路では1区で区間12位。「トラックの持ちタイムだけではなく、強さが必要だと痛感しましたね」

高校3年間については「キツかったですが、今の競技の土台となる経験が培われました」と振り返られました。

青山学院大学に進学、出雲駅伝優勝!

高校卒業後は青山学院大学へ。大学では北海道との気候の違いに苦労したそうです。「夏は暑さ、湿度に慣れるのが大変で、日本ってこんなに暑いんだって思いましたね(笑)。今は暑さにも対応できるようになってきましたが」

1年生の出雲駅伝でメンバー入り。「トラックシーズンは故障で走れず居場所がなかったような感じでしたが、なんとかメンバー入りしようと必死でした。メンバーに入って最初は5区の予定でしたが、3日前に1区になったんですよ(笑)。一生懸命走るだけでした!」

レースは前半区間が強烈な向かい風。「前に出たら疲れてしまうと感じ、長身の選手の後ろに隠れて走りました」という1区では、区間7位ながらもトップと6秒差の好走。3区のルーキー久保田和真選手(現・九電工)でトップに立ち、出雲駅伝初優勝! 青山学院大学として初の三大駅伝優勝でした。

アンカーの出岐選手が笑顔でゴール、3大駅伝初優勝。ここから青学の快進撃が始まりました(撮影・朝日新聞社)

「1年目で勝った嬉しさもありましたが、久保田がトップに立って注目されたので、同級生の活躍を見て自分ももっと、と思いましたね」 

初の箱根駅伝は7区。「完全に舞い上がっていました。強い向かい風の中、5km通過がトップだったのですが、足が止まって後半失速してしまいました」。区間14位と苦しい走りとなりましたが、この経験がその後の箱根駅伝につながったと言います。

2年目は出雲駅伝1区・区間4位、全日本大学駅伝4区・区間7位。箱根駅伝では前回に続いて7区を走りました。「前回走ったので落ち着いていました。苦手だった単独走の練習も積んできたんです。苦手ならやるしかないと思って距離走でも1人でスタートしたりして克服しました」。高校時代も含めて1区が多かった小椋選手。単独走の効果も発揮されて区間2位の好走でした。

3年生で箱根初制覇

3年生で迎えた出雲駅伝は台風により当日に中止となりました。「ホテルのロビーで中止と言われて膝から崩れ落ちましたね」。全日本大学駅伝では4区・区間8位と納得のいく走りができませんでした。

迎えた箱根駅伝では青山学院大学旋風が巻き起こります。4区まで先頭・駒澤大学と46秒差の好位置につけると、5区を走った神野大地選手(現・セルソース)が柏原竜二さんの区間記録を上回る驚異的な区間新記録を樹立(コース変更前の記録)。「3代目・山の神」の称号がつくほど衝撃的な走りで、青山学院大学が往路で首位に立ちました。

「往路を走った選手が小田原に泊まりに来るのですが、もう勝ったような雰囲気でしたね(笑)。自分たち復路メンバーもやってやろうと気合が入りましたし、なんとか復路も活躍しようと思いました」。3回目の7区では当時歴代3位となる1時間2分40秒の走りで、区間賞。「こんなに記録が出るとは思っていなかったです。先頭を走るのが初めてで、楽しくて楽しくて」。復路ではすべての区間で青学が首位を走り続け、ついに初の箱根駅伝総合優勝を成し遂げました。

箱根駅伝で初めて総合優勝を果たし、選手全員で原監督を胴上げ!(代表撮影)

さらに当時のチームについては「主将である藤川拓也さん(現・中国電力)と主務の髙木聖也さん(現・神野選手マネージャー)がチームをうまくまとめ上げてくださいました」と先輩への感謝も口にされました。

ユニバーシアード金メダル、箱根は有終の美

4年生になり、ユニバーシアード日本代表に。ハーフマラソンで金メダルを獲得しました。「世界大会を経験できたことは大きかったですね。金メダルを獲って帰ってきてから四天王と呼ばれるようになったんですよ(笑)」

韓国・光州で開催されたユニバーシアード。ハーフマラソンで金メダルを獲得しました(写真は本人提供)

それまでは久保田選手、神野選手、一色恭志選手(現・GMOアスリーツ)が「三本柱」と呼ばれていたところ、ユニバーシアードでの活躍で小椋選手も含めて「四天王」と呼ばれるようになりました。

3冠を狙っていたという学生三大駅伝初戦の出雲駅伝は優勝。全日本大学駅伝では悔しい2位。最後の箱根駅伝では4年連続となる7区でした。

4年連続となる7区で区間賞を獲得。チームの総合優勝に貢献しました(写真は本人提供)

「7区は4年連続ということでコースも熟知していましたし、走り終わったあと自然とありがとうございましたと言葉が出ました。ちなみに7区は意外と応援されない区間なんですよ! 6区が終わってみんな次に行っちゃうんです(笑)。ですが、4年目はみんな応援に来てくれて、嬉しかったですね!」。4年間の有終の美を飾る箱根総合優勝。そして個人でも区間賞の快走でした。

連覇を達成し、仲間とアンカー・渡邉利典選手(現・GMOアスリーツ)を出迎えました(写真は本人提供)

ちなみに、恩師・原晋監督の魅力をうかがったところ「テレビで見ている感じそのまんまの方ですね(笑)。人よりも一歩二歩進んだ視点で理論的に話をしてくださいます。こちらも漠然とした回答ではなく、理論的に説明できないとやり直しになります。根拠に基づいて説明すること、自分の言葉で自分の意思を伝えることは社会人になっても役立っています」

原監督から4年間で学んだことは自然と身についていて、仕事でも競技でも生かされているそうです。

実業団で感じたレベルの違い

大学卒業後はヤクルトに入社。「実業団1年目は大学の勢いで、夏までは良かったんですが……。ニューイヤー駅伝は3区を走りましたが、(まわりが)とんでもないスピードで心構えが足りなかったですね。実業団のレベルの高さを痛感しました」と振り返ります。

初マラソンは2018年の北海道マラソン。「マラソンをだいぶ甘く見ていました。練習で距離走はできていたので、2時間10分前後では行けるかなと……。いま思うと、とんでもなく甘く考えていました。準備不足も甚だしかったです」と大きく失速し、2時間29分09秒を要しました。

2回目のマラソンとなった2019年3月びわ湖毎日マラソンでは2時間12分10秒。「当時はよくできたなと思いましたが、レベルが低いところでの『よくやったな』でしたね」意識の差を強く感じたのが翌月のハンブルクマラソンでした。意識が飛ぶほど寒く、コース上に膝をついてしまうほどの大失速で2時間40分50秒。ちなみに、このレースでは同じヤクルトの高久龍選手がMGCを決めました。「自分がマラソンに対して甘いと痛感したレースでした。高久選手は体つきも練習のボリュームも全く違いました」。自分自身も何か変えなければいけないと強く感じたと言います。

ウェートトレーニングとロング走

現状を打破すべく5月からウェートトレーニングを始めました。またロング走を普段から多く取り入れ、練習のボリュームを増やしていきました。 

ウェートトレーニングはすぐに効果は出ず、むしろ一回パフォーマンスがガクンと下がって、夏場は調子が上がらなかったです。これでダメなら引退するくらいの覚悟でやっていました」

パフォーマンスが変わり始めたのは11月頃。八王子ロングディスタンスで10000m28分08秒80の自己記録をマーク。「離されてからも粘って、もう一回勝負できるようになりましたね」と確実に体の変化を感じていました。

八王子ロングディスタンスで自己ベスト。ウェートトレーニングの成果が発揮され始めました(写真は本人提供)

今年のニューイヤー駅伝では3区を走り区間8位。「3位で襷(たすき)をもらって、途中先頭争いをしたんです。チームとしても久しぶりの入賞でした」

ヤクルト陸上競技部を指導されているのは本田竹春監督。就任2年目です。「選手個々人の自主性が求められるチームです。自分の考えを受け入れてくださる監督には感謝しかないです」と感謝の気持ちを話されました。

今年のニューイヤー駅伝では旭化成と先頭争いも繰り広げました(写真は本人提供)

ウェートトレーニングも最初はパフォーマンスが下がり、周囲からは「合ってないんじゃないか」という声もあったそうですが、本田監督は「こういうのはそんなに簡単に成果が出ないから続けてやってみなよ」と見守ってくださったそうです。

ハーフマラソン日本最高記録樹立

ニューイヤー駅伝の翌月。丸亀ハーフマラソンで陸上界に衝撃が走りました! 小椋選手はここで1時間00分00秒の日本最高記録を樹立しました。

「15kmくらいで、これはもしかしたらと思っていました。ただ、すごい嬉しいという気持ちよりも、1カ月後の東京マラソンのことが頭にありました」とマラソンを見据えたハーフ出場での快挙でした。

丸亀ハーフでは日本最高記録を樹立。東京マラソンへの弾みとなりました(撮影・朝日新聞社)

迎えた3月の東京マラソン。「速いペースメーカーもいて、コンディションも良かったですし、何よりオリンピックにかける各選手の思いが伝わってきました。ライバルですけど、みんなで行こうという連帯感がありましたね」

30km付近では大学の後輩でGMOアスリーツの下田裕太選手が後ろを振り返って「みんなでもっといきましょうよ!」と叫んだというエピソードからも、一致団結している感じが伝わってきます。

東京マラソンでは2時間07分23秒をマーク(写真提供:EKIDEN Newsさん)

小椋選手は2時間07分23秒で大幅に自己記録更新。しかし「同じチームの高久選手は2時間06分台(2時間06分)。嬉しさ3割、悔しさ7割といったところですね。まだやることはたくさんあると実感しました」

ちなみに、普段の小椋選手の息抜きは奥様とモンブランを食べに行くこと。さらに趣味のお菓子作りも得意だそうです。

もっともアスリートなので、作ったお菓子はご自身ではそんなに食べず、社宅の陸上部の奥様会に手作りケーキを届けたりされるそうです。「突き詰める性格なんです(笑)。次もうちょっとこうしたら美味しいかなとか」。こういったところにも小椋選手の性格、人柄が現れていますね。

小椋選手の手作り「抹茶のテリーヌ」。陸上部の奥様会の皆さんにも喜ばれますね!!(写真は本人提供)

今後の目標は「日本選手権10000mに出場し、27分28秒00を突破して優勝すればまだ東京五輪のチャンスがあるので挑戦したいです。駅伝、マラソンに出場予定です。個人的には世界大会に出たいので、再来年の世界陸上はマラソンで狙っていきたいですね」

世界大会出場を目指して、小椋選手の挑戦は続きます!(写真は本人提供)

箱根から日本最高記録、そして世界へ! 小椋選手のさらなる活躍に注目です!

M高史の陸上まるかじり

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