大学陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

目標は80歳でもサブ3! 早稲田大で箱根を走った三輪真之さんの「下克上」!

早稲田大学で箱根駅伝に3度出場。現在は市民ランナーとして走り続け、80歳でもサブ3を掲げています!(写真はすべて本人提供)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は三輪真之さん(34)に取材しました。早稲田大学では箱根駅伝で3度出場。3年生の箱根では9区で駒澤大学に抜かれて2位に。4年生の箱根では5区山上りで東洋大学・柏原竜二さんに抜かれてまたも2位に。抜かれても負けてもド根性で立ち上がり続けた三輪真之さんのお話です。

星稜高校で本田圭佑選手と2人だけの朝練

石川県出身の三輪さん。陸上を始めたのは中学1年生の時でした。ただ、陸上部の顧問はなんと家庭科の先生。先生に陸上経験がないこともあって「練習も自由にやらせてもらっていました」と言います。

たまたま隣の中学が強く、「たまにうちで練習しようよ」と誘ってもらってよく一緒に練習させてもらっていたそうです。おかげで自分で考える習慣が中学時代から自然と身につきました。

高校は星稜高校へ進みます。星稜高校では同級生にサッカーの本田圭佑選手が。なんと3年間同じクラスでした。「(本田選手は)当時からサッカーで世界ナンバーワンになるために純粋に突き詰めていましたね!」

当時の本田圭佑選手はサッカーの技術は抜群だったものの、走るのが苦手だったそうです。高校1年の冬のある日。三輪さんは本田選手から声をかけられました。「『お前が一番学校で速いらしいな』と、苦手な走りが克服できたらプレーヤーとして大成するから、明日の朝から一緒に走ってくれと頼まれたんですよ」

いきなり明日の朝からと言われて戸惑っていたところ、「君にとってもメリットになる。朝練習するきっかけにもなるでしょ。俺は将来すごい選手になるから!」と言われたそう。相手のメリットまで考えて相手を説得するビジネスセンスは、高校時代から持っていたそうです。

当時、星稜高校の陸上部は朝練習での集合がなかったこともあり、三輪さんは本田選手の提案を受け入れました。

翌朝5時半から、さっそく2人だけの朝練がスタート。サッカー部の朝練が6時半から開始ということでサッカー部の朝練が始まるまで、毎朝10kmほど2人で走り続けました。

10km走っている最中、将来の夢も語り合いました。「(本田選手は)常に世界のナンバーワンになると言っていましたね。信念がぶれないですし、デカいことを言うんですけど、それ相応のことをやり、しかも現在もやり続けています」

星稜高校では3年間同じクラスだった本田圭佑選手。現在でも連絡を取り合っているそうです

本田選手から逆に目標を聞かれた三輪さん。それまで高校時代、箱根駅伝は手の届かない大会と思っていたそうですが、「見栄を張って『箱根駅伝で区間賞を獲る』と言ったんです。それに向けて頑張ろうと思えましたし、言ったからには行動しなきゃと思いました」。高校生が朝から夢を語りあって走る、熱い青春ですね!

さらに「学校近くに山があって、朝練でよく走っていたことが3000mSCや将来の箱根5区につながりました」と振り返ります。

高校3年生になり3000mSCでインターハイに出場。目標の入賞に届かず11位でした。悔しさを噛みしめている時に声をかけてくださったのは、当時早稲田大学の駅伝監督をされていた渡辺康幸さん(現・住友電工陸上部監督)でした。

ご自身を象徴するような「下克上」のハチマキをつけて走る高校時代の三輪さん(先頭)

「結果を出せなかったのになぜか声をかけてくださいました。声をかけられた渡辺監督からは『優勝メンバーにしたいから』ということと、『勉強もできないと入れないから勉強も頑張ってね』と声をかけていただきました」。三輪さんは勉強も死に物狂いで頑張り、スポーツの成績と勉強の成績で早稲田大学に合格します。

早稲田大学に進むも、ほろ苦い箱根デビュー

同級生にはのちに北京オリンピック代表になる竹澤健介さん、インターハイ3000mSC優勝者で5000mでも13分台の阿久津圭司さん、インターハイ1500m2位(日本人トップ)の高橋和也さんといったすごいメンバーが揃っていました。

入学したときは一番下のCチーム。同期の竹澤さんたちはAチームでした。しかし、夏合宿あたりから持ち前の粘りが発揮されはじめ、秋にはAチームに。

迎えた1年目の箱根駅伝ではエントリーメンバーに。「本当は走る予定ではなかったのですが、10区を走る予定だった先輩が当日体調を崩したんです。そばにいたのが自分しかいなくて急遽、当日の朝走ることになったんです。中継所で待っている時から頭が真っ白でした」。三輪さんが襷をもらったのが9位。しかも後ろはわずかの秒差で日体大、東洋大といった力のあるチームが続いていました。

急遽、走ることになった1年目の箱根10区。苦しい走りとなりました

結果的に9位から13位に順位を落としてしまいました。フィニッシュ直後に号泣。当時主将だった高岡弘さんからは「1年生に10区を走らせてしまった自分たちが悪い」と言葉をかけられました。「先輩たちに恩返ししなきゃ、腐ってはいけない」と誓った三輪さん。さらに同級生の竹澤さんからは「泣いている時間があったら、挽回することを考えろ」と竹澤さんならではの激励が。

1年生の時の駅伝報告会。絶望した気持ちで話されたといいます

「素晴らしい同級生を見てきたからこそ、勉強させてもらい、起き上がることができました」。雪辱を誓った2年目。再びエントリーメンバーに入るも今度は走ることができず。「実は4年間で最も調子が良かったのですが、チーム状況も良く、走ることもできませんでした。走れないのがわかったのは大会前日でした。前年の悔しさを挽回したかったのですが……」と前年とは違う悔しさを味わいました。

復路のエース区間・9区での粘走

3年生の箱根駅伝では9区。復路のエース区間を任されることになりました。2年分の思いをぶつけようと意気込む三輪さん。早稲田大学は往路優勝を果たし、復路でも先頭をキープ。三輪さんも先頭で襷をもらいました。「15秒差で2位・駒澤大学の堺晃一さんが追いかけてくる展開でした。中継所から『追いつくぞ』というオーラがありましたね。それでも1位でもらったからには1位で渡さなきゃという思いがありました」と気持ちを入れてスタートしていきました。

「序盤の権太坂の下りで抜かれてました。横浜駅あたりで追いつこうと距離を保ちながらついていこうと思ったのですが、堺さんは力もあるのでついていけなかったですね」と区間6位の走り、2位で襷を渡しました。渡辺監督からは「決して悪い走りではなかったよ。タイミングも相手もよくなかった。お前らしいな(笑)」と声をかけられたそうです。

区間6位ということで「走りとしては悪くはなかったのですが、負けは負けです。モヤモヤが残りましたね」と過去2年間の雪辱というわけにはいきませんでした。

関東インカレでは3000mSCに出場しました

山の神を一度抜き返した意地

ラストイヤーとなった4年生の箱根駅伝では、山上りの5区を任されました。同級生・竹澤健介さんが3区で区間新。ルーキーの三田裕介さんも4区で区間新の走りで、首位で5区・三輪さんに襷リレー。その年、ルーキーながらインカレや出雲・全日本でも活躍して前評判の高かった柏原竜二さんも5区に登場。柏原選手を警戒しつつも東洋大学は4区終了時で9位。早稲田大学とは4分58秒差ということで「ブレーキさえしなければいける」と思っていたそうです。

ラストイヤーは5区山上り。先頭で襷をもらい、東洋大学・柏原竜二さんに逆転を許すも往路2位で芦ノ湖へ

山梨学院大学の高瀬無量選手に一度追いつかれるも引き離しました。ところが、最高点の手前、沿道から「後ろ、きてるぞ!」の声。「誰がきているのかな?」と山梨学院大学の高瀬選手が再び追いついてきたのかと思ったそうです。物凄い勢いで「まるで平地を走っているようなスピード」で風のように抜き去っていきました。視界に入ったのは鉄紺のユニフォーム。そう、柏原選手でした!

「山の神を生で感じました。デビューを拝めましたね(笑)。ただ、一回抜かれたあと、下りで抜き返しているんですよ。柏原選手が4年間5区を走ってきた中で、抜かれて抜き返したのはたぶん僕だけじゃないですかね(笑)。意地でしたし、もうここで抜かれっぱなしで終われない!絶対抜き返す!」と死に物狂いで走ったそうです。

下りきって平地に戻ってから走力の差を見せつけられ、東洋大学が往路優勝。三輪さんは往路2位で芦ノ湖に戻ってきました。復路も東洋大がそのまま逃げ切り、早稲田大学は総合2位でした。

思えば、1年目は急遽出走となり順位を落としてシード落ち。2年目は前日にメンバーから外れ、3年目は首位で襷をもらうも2位に。最後の箱根も首位で襷をもらうものの再び2位に……という悔しい箱根路となった三輪さん。しかし、負けても負けても起き上がってチャレンジし続けた姿勢は、多くの陸上ファンの心に響いたのではないでしょうか。

卒業後「相楽監督を応援する会」にて若手OBメンバーで集まりました

「人間として成長させていただいた4年間でした。今思えば、負けから学ぶことは多かったですし、そこから立ち上がる力というのは社会人になっても生きますね」とふりかえります。

社会人で掲げた新たな目標

大学卒業後はサントリーフーズ株式会社に入社(現在は出向でサントリー酒類に勤務)。実業団に進むのか、企業に勤めるのか進路を考えたそうですが、決め手となったのは同級生で北京オリンピック代表となった竹澤健介さんの存在でした。「竹澤に勝てないと思った時点で実業団という選択肢はないと思いました」

社業に専念しながらも「このまま成し遂げないで終わるのも悔しい。何かインパクトを残せるような成績を出したい。亀とウサギでいうところの自分は亀。長い間、走り続けていつか結果を残したい」という気持ちが芽生えてきました。

その結果、「80歳で(フルマラソン)サブ3という目標を立てました。80歳まで走り続けて、結果を出したいです」という究極の亀作戦!

高校時代「下克上」の三文字が入ったハチマキをつけて走っていた三輪さん。学生時代に悔しい思いをしながら、時間がかかっても大きな花を咲かせたいという三輪さんを体現するような言葉ですね。

各地の市民マラソンで上位入賞。京都マラソン2020では2位に

仕事はフルタイムで働きながら、ランニングも追い込みすぎず、けがをしないように、走るのが嫌いにならないように長く続けていけるように心がけています。その中でも1500m3分57秒36、フルマラソン2時間22分23秒と学生時代の記録を上回る自己ベスト。

三輪さんの地元である石川県の市民ランナーも盛り上がっているのも刺激になっているそうです。石川県には実業団チームがないものの、社会人から長距離を始めてマラソン2時間16分32秒の開上知弘さん(金沢市役所)、旅館に勤めながら2時間18分17秒で走る旅館ランナーの一花建さん(ジュピターRC)といった2時間20分を切る市民ランナーさんの存在が三輪さんのモチベーションにもつながっています。

先頭を3人並走するのが、開上さん、三輪さん、一花さん。石川県市民ランナー界も盛り上がっています

「今後は自分の経験を中学生、高校生の皆さんにも伝える活動もしていきたいですね。勝ちにこだわりすぎて競技を嫌いにならないでほしいんです。本来、楽しめる競技ですから、楽しみながら続けてほしいですね」

ご自身の目標である「80歳でサブ3に関しては必ず達成したいです!」と力強く宣言されました。箱根路で抜かれても抜かれてもあきらめずに人生の挑戦を続ける三輪真之さんは、今日も人生の壮大な目標に向かって現状打破し続けています。

M高史の駅伝まるかじり

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